今週は雨で始まった。朝から雨がシトシトと降り、鉛色の重い雲が東山を覆うように垂れ下がっていた。雨の中を歩いた。横手川の堤防を生息の場とした数々の雑草の群れは久しぶりに迎えた雨を恵みとして、鮮やかなほどつやつやとしていた。良く見ると雨の水玉が葉っぱや茎の上で列をなし、まるで透明な真珠の首飾りを付けたような美しさだった。イタドリ、ギシギシなど余り可愛げのない雑草でさえ輝く水玉で飾られると密かな恥じらいを抱く清楚さを感じさせた。このごろ雑草にさえ心惹かれる。「山野草」の本を買い求めた。堤防に生きる野の草の名を少しでも覚えたら、より親しみがわくのではないかと心を寄せる。
幼いころ母はいろり端で縫い物をしながら「ツバメが巣を組んだ家はお金持ちになるんだよ。だからツバメにいたずらはしてはいけないよ」と良く言ったものだった。それを聞いてどうして我が家にはツバメが巣を作ってくれないのかと母に尋ねた。母は黙って寂しそうな笑顔を見せただけだった。なるほど近所でもツバメが巣を組んだ家は玄関構えも大きく、立派だったし、子ども心にもお金持ちの家に見えた。
そのツバメが巣を組んだ家を訪ねてただうらやましくて呆然と眺めた思い出がある。エサをくわえたツバメはその家の玄関を見事なスピードでくぐって、天井に組んだ巣の中から小さなクチバシを出して泣き叫ぶ子どもたちに食事を与えていた。その健気な姿に見とれ、黙って見上げたものだった。そしてどうして「我が家には来てくれないのか」と寂しい思いをしたものだった。ツバメさえ飛んで来てくれたら自分の家ももっとお金持ちになれるのにと願ったものだった。
だから初夏を迎え、ツバメが飛んで来たのを見かけると玄関のガラスの引き戸を開けっ放しにし、ツバメが家に入って来るのを首を長くして待ったものだった。ツバメはスイスイと飛翔し、道路や畑をすれすれの高さで矢のように飛んでも、我が家には入ってくれなかった。どうしてもわが家にも巣を組んでもらいたくて母に「今日は玄関を閉めないでおいて」と登校前に強く頼んで出かけた。しかし、ツバメはよその家には入っても我が家の玄関をくぐることはなかった。小学2〜3年のころだったと思う。
そのツバメが最近、我が家の車庫を営巣の地とした。車の屋根に小さなドロの塊が落ちてたり、運転席側の窓にドロが流れ落ちた跡があるので不思議に思っていたのだが、ツバメの番いが交互に出入りしているのを見つけて巣を組み始めているのが分かった。車の真上にある電球を足掛かりにドロを塗り固めているのだった。
まだ巣の形にもなってないが、これには困った。子どもの頃なら「幸せを運んできた」と大歓迎したかもしれないが、車庫の中に巣を組まれたら日中、誰も居なくてもシャッターを開けっ放しにしておかなければならない。我が家は車庫と一体となった家の造りであり、シャッターを開けっ放しにしておくということは留守している間、誰でも自由に家の中に出入りできることになる。それほど財産があるわけではないが、やはり不用心だ。
妻にも相談したが「ツバメに意地悪するわけではないけど、シャッターを開けっ放しにしておくのは無理よね」とツバメの巣作りは遠慮してもらうことにした。巣を取り落とすのではなく、シャッターは朝夕の出勤時以外は閉めておくことにしたのである。ツバメの番いは開かなくなったシャッターを近くの電線に羽を休めてじっと見つめていた。
「あなた。困ったわ。私たちの巣、あれではもう作れないわ」
「うん。せっかく、あの家の車庫なら安心して子育て出来ると選んだのだが、シャッターが開かないのではどうしようもない。まあ子どもが生まれる前だから諦めるしかないだろう。仕方がない。ほかを探そう」
電線に止まって様子を見ているツバメの番いからはそうした夫婦のやり取りが聞こえてきそうで胸が痛んだ。だが、どうしようもない。家から独立した車庫ならシャッターを開けておいても構わないし、幸せを運んで来ると言うツバメさんなら大歓迎だった。だが、車庫は家と一体であり、その二階は物置にもなっている。これからは雨の多い季節だ。室内の湿気も心配だ。ツバメには本当に気の毒だが営巣の場の提供は遠慮してもらった。
仁部富之助の「野の鳥の生態」によると野鳥の配偶関係は一夫一婦制を厳守するものが多いが、中でもツバメは最もその仲が良い鳥だという。彼らは春に南方の越冬地から海を渡ってきて、人家の屋内に巣を組み、夏の間に2回子を育て、9月上旬から10月下旬ごろに親子連れ立って常夏の国へと旅するという。そして事故や病気で亡くならない限り、その夫婦関係は続き、年が明け再び春を迎えると前の年に巣を組んだ家に帰って来るという。
そうしたツバメの営巣の習慣を知ると本当に悪いことをしたような気がして滅入った。しかし、わが家だけでなく周辺の家々を観察してみるとツバメのために玄関を開けっ放しにしている家はほとんど見られない。ツバメが巣を組みやすい家がなくなったのだ。それでたまたまシャッターの開いているわが家の車庫を見つけ、そこを営巣の場としたのだろう。
雨の日、小犬のパピーを連れて近くの川港親水公園を歩いた。ツバメの夫婦には本当に気の毒なことをしてしまったと思った。足元をカタツムリがユックリと進んでいた。雨に濡れた道路を気の遠くなるような鈍い動作で進んでいた。その道路は中学生の通学路にもなっている。このままでは自転車の下敷きになってしまう。ひょいとつまんで草むらの中に放り込んだ。
でんでんむしむし カタツムリ
おまえの頭はどこにある つのだせ
やりだせ あたまだせ
カタツムリは握られた指の中でつのを出して怒った。そして空中を移動しているのにビックリしたのかツノも身も縮め背負った貝の家の中に隠れた。雨の中で小さな命を救ったと思った。ツバメの夫婦には気の毒なことをしたが、カタツムリという小さな命を代わりに救った。これでかんべんしてくれ。