夕方、小犬のパピーを連れて横手川の堤防を歩いていると遠くから、近くからカッコウの鳴き声が聞こえる。「カッコー、カッコー」と緑の風にさえ染まるような澄みきった声を聞きながら堤防を歩く時ほど幸せな時間はない。そしてカッコウの鳴き声と競演するかのように葦(よし)の川原からは「ギョギョシ、ギョギョシ」とオオヨシキリたちの合唱が聞こえる。「カッコー、カッコー」。「ギョギョシ、ギョギョシ」。まるで鳥たちの二重奏だ。パピーはただ無心になって歩く。西日を受けた東山が油絵のように立体的に浮かび上がり、稜線を覆った雲が白く輝く。初夏のこの美しい時間帯に小鳥たちの二重奏を聴き、小犬のパピーを連れて歩く時ほど平和で幸せを感じる時はない。
自損事故を起こしてからもう10日以上になる。「こちら編集室」を読んだ多くの読者からメールでのお見舞いを受けた。ご心配をかけてしまった。一度もお会いしたことのない方からまでお見舞いのメールがあった。このような方までケンニチの拙いエッセーを読んで下さっているのかと驚いた。妻も見知らぬ方からお見舞いの声をかけられビックリしている。本当にご心配をかけた。ケンニチは相変わらず多くの読者に心配をかけている。しかし、事故のショックからはまだ立ち直れない。いまだに思い出すとゾッとし、身震いする。だから思考をできるだけ事故から逸らす努力をしている。
妻と自分たちの生活の手助けしたいと事故当日に来てくれた実家の母は今も家に居て来れている。朝夕の食事の準備をし、夕方には夕食の買い物にいそいそと出かけているようだ。日中は小犬のパピーと二人きりの生活だ。さぞや退屈しているだろうと心配したが、母は「なーもだ。のんびりしてかえっていい」と誰も居ない家の中での静かな暮らしを本を読んだり、新聞に目を通したりしながら楽しんでいるようだ。
その母から日中のパピーの生活ぶりを聞いた。「それが本当におとなしいんだ」と母はいう。あんまり静かなので「おや。パピーどこさ行ったべと心配になって探したら、テーブルの下で横になって眠っているだけだった」と笑った。
なるほどパピーは留守している間はケージの中でただジッと眠って待つしかない。普段からそうした生活をしているだけに月曜日から金曜日までは日中は眠るのが習慣となっているようだ。
そして自分たちが夕方帰って来ると見違えるように「ワンワン」と叫び出す。車庫のシャッターを開ける音だけで帰ったのを知り、興奮するのだ。その声が外まで響く。そのパピーの叫び声で母も「おや帰ってきたな」と気づくという。
「本当にあのおとなしいパピーがマサオさんや和子が帰って来ると急に元気になるから犬って不思議なものだ」と母は目を細める。そして台所へと向かって夕食の準備に入る。もう打撲の痛みも大分、楽になったという妻だが、痛み止めの薬は手放せないでいる。実家の母はその妻への湿布薬を貼り、自分の背中と脇腹へも湿布薬を貼るのを朝夕の役目としている。
その母と付き合って気づいたことはお年寄りが楽しみにしている仕事、あるいは気力の源としている〃役割〃は決して奪ってはいけないということだ。こちらはあまり難儀させては申し訳ないの一点でしてしまったのだが、母にとっては台所仕事は楽しみであり、それを奪われてしまったのは寂しかったようだ。
それは朝夕の食器洗いである。2人きりの生活と違って、3人となるとテーブルに並ぶ茶わんや皿などの食器はかなりの数になる。その食器を「マサオさん。いいよ。食器は私が洗うから」というのを振り切って、食器洗い器に入れてしまった。母は何も言わなかったが、自分の仕事が奪われたかのような寂しい顔を一瞬だけ浮かべた。「ああ。悪いことをしてしまった」とその顔をみて気がついた。
娘の世話をするために来ているのだから、食事の準備や世話は自分の役目だし、仕事だと思っていたのだ。それを「楽をさせる」ことこそ母へのいたわりと誤解し、奪ってしまった。母にとっては例え食器洗いでも、それをやることでまだ自分は役に立っているんだという自負を持ちたかったろうし、生きがいにしたかったはずだ。
台風が来るという前の日の夕方、外に置いた鉢ものの花を傷めては大変だ一端、車庫に仕舞って置いた。そして台風通過の21日朝、それらを再び外に出して出勤した。ところが台風の余波か再び風が強まった。妻はラベンダーやミニトマトなど背の高い草花がこのままだと倒れてしまうと心配し、携帯電話からわが家に電話をかけた。そして「母さん。車庫のシャッターを開けて、表の鉢ものを中に入れておいて」と頼んだ。母は「ああ。いいよ。分かった」と喜んで引き受けたと言う。
80歳を過ぎた母。いたわられるよりもまだ役に立つんだと頼ってもらう方が嬉しいのだ。台所に立って食事の準備をし、「和子。今夜は湯豆腐にしたから」と先日はニコニコして言った。自分が湯豆腐大好きだと知っていて母は近くの店まで豆腐を買いに行ってくれたのだ。テーブルの上でパソコンを操作しながらまだ終わってない仕事を手がけていた自分は嬉しくて「エーッ。母さん。湯豆腐だって。いいぞいいぞ。ならもう仕事を止める!」と叫んだら母は「あっはっはっは」と台所で大きく笑った。パピーもワンワンと同調して叫んだ。
パピーの散歩を終え、シャワーで汗を流し、妻の母が作ってくれた料理を口に運んで飲むビールの味の幸せをこのごろ楽しんでいる。幸せとはかくもささやかなものである。