こちら編集室「空行く雲」(7月9日)

 「アレッ!」と思わず声を出してしまった。「堤防除草作業中」の看板が立ち始めたからいずれは堤防斜面の雑草の草刈りが行われると思っていたが、「アッ」という間に堤防の草は刈られてしまった。しかも「ギョギョシ、ギョギョシ」と鳴いていたオオヨシキリたちの住処(すみか)である河川敷の葦(よし)も刈られた。葦原の鳥たちもどこかへ飛び去ったのだろう。鳴き声も消えた。

 まるで伸び放題にしていた髪の毛をバリカンで刈り取って、一気に坊主頭にされたような寂しさを感じた。確かに腰ほどまでの背丈に伸びた雑草はむさ苦しい面もあった。しかし、それなりに個性を発揮して花を咲かせていた。イタドリ、スイバなど幼いころにその酸っぱい味を楽しんだことのある野草。今はなぜか触れるのさえ怖いが、それなりの個性はあった。ハルジオン、ヒメジョオンなど小粒な菊に似た花もあった。エゾノギシギシと言った名前も姿も不気味な野草もあった。アカツメクサ、シロツメクサもそれなりに個性的な美を見せていた。

 雨の日。銀色の水玉を付けておしゃれする美しい葉っぱもあった。小犬のパピーには黄色のコートを着せ、雨に濡れた堤防を「このごろなぜか野草さえ好きになって」と野の草を愛しみながら歩いた日もあった。カッコウの鳴き声、オオヨシキリの合唱、そして堤防の野の草たちは夕方のひと時、歩くのを楽しませたものだった。

 以前は除草作業も大勢の人たちが除草機を手にしての作業だったが、今はキャタピラのついた車に取って代わられ、数日もかかっていた作業がわずか1日で終わってしまう。除草も機械化され、「アレッ」と思わず叫んだのは余りにもあっけなく野の草が姿を消してしまったからだ。

 写真は内小友小出沢で写すでもこざっぱりした堤防の風景も悪くはない。横手川の堤防は幼いころ、斜面に寝転んで空を流れる雲の行方を追った場でもあった。学校からの帰り、ランドセルを家に放り投げて堤防まで走り、斜面にゴロッと寝転んで青い空を見つめた。白い綿のような雲が流れるのをジッと目で追った。何も考えず、何も恐れず、静かに呼吸して、雲の行方を目で追うだけで良かった。

 刷毛(はけ)で掃いたような筋雲、羽毛のような羽根雲、うろこ雲、綿を千切ったような綿雲、クジラのような巨大な雲、美味しそうなパンのような雲、チョウチョウのようにひらひらと飛んでいる姿によく似た雲。ウサギのような雲。イノシシ、キツツキ、フクロウなど雲は様々な形を創造した。いろんな雲が浮かんでは消え、旅をしていた。そうした雲の流れを追い、雲に憧れ、満足したものだった。寝転んで嗅いだ青草の臭い、土の香りも懐かしい。

 夏。遠くに青く霞んだ東山の上に浮かぶ巨大な入道雲は大好きだった。たくましくて猛々しく、それでいてどこかに優しさも含んでいた。雲を眺め「孫悟空のように雲に乗ってみたい」と真剣に思ったものだった。孫悟空は雲に乗って天空を自由自在に駆け回った。近くの映画館で「孫悟空」の映画が上映されると父に小遣いをおねだりして何がなんでも観に行ったものだった。猪八戒と沙悟浄を引き連れて、三蔵法師さまをお守りしながら、砂漠を旅し、様々な妖怪たちと戦う孫悟空の痛快な映画は楽しくてしょうがなかった。

 「雲に乗ってみたい」。東山からモクモクと立ち上がる入道雲を眺めながら憧れた。雲は今でも好きだ。積み木のように積み重ねた「積み雲」、入道が東山の上でどっかりとあぐらをかき、腕組みをしているような「座り雲」、逆に立ち上がったように見える「立ち雲」、儚(はかな)く消えいりそうな「徒(あだ)雲」、孤独な旅をする「はぐれ雲」。小泉首相が「人生いろいろ」と言ったのが今度の参院選ではかなり不評のようだが、本当に雲にだって〃いろいろ〃ある。

 小学校から横手川までは真っ直ぐな田んぼ道だった。一軒の家もなく、青々とした田んぼがどこまでも続いていた。学校からの帰り道は視界も広く、雲が良く見えた。いつも帰りは一人での下校だった。小学1年生の時、後ろから自転車で追い越して言った女の先生から「マサオさんはいつも一人だけで帰るのね」とさりげなく注意されたのが、とても悪いことをしたようでしばらく悩んだ。

 人付き合いが苦手だから一人で帰ったわけではない。今だって普通に人とは接しているし、話しもする。冗談も言って笑わせる。ただ集団での行動は苦手だった。それは今も変わらない。多分、集団になると埋没してしまうのが嫌なのかもしれない。だから小学校はいつも一人で帰り、笹の葉を折っては田んぼの脇を通る水路に流し、それと競走した。そして雲を眺め、雲の流れを追って走った。空行く雲を追った。

 朝夕の小犬のパピーを連れての散歩。カッコウの声もオオヨシキリたちの鳴き声も消えたが、昨日、初めてヒグラシの鳴き声を川港親水公園のスギの木の林から聞いた。しみ入るような澄んだヒグラシの声だった。セミの季節が来たなと思った。夏を迎えよう。