こちら編集室「くちなしの花」(8月27日)

  玄関前に置いた小さな鉢の小さな「くちなし」の木から真っ白な花がポツリ、ポツリと一輪だけ咲いては散っている。表現を強調すれば限りなく白い花だ。夏に入る前から咲き出している。「くちなしの花がまた一輪、咲いているよ。随分、長く咲いてるね」と妻に言うと「そうねー。何か、こうパッと一斉に咲くんじゃなくて一輪咲いては散って、また一輪咲いてと繰り返してるみたい。だから不思議なの」と答えた。今年の2月にスーパーから買い求めたものだった。妻は「くちなしの花」とはいわず時々、「渡哲也の花」と言い、その甘い香りを楽しんでいる。

  花の美しさや香りの甘さで涙ぐむほどではないが、このごろ自分の〃涙もろさ〃にあきれている。毎朝夕のオリンピック放送をテレビニュースで観ては柔道、体操、水泳、マラソン、レスリングで活躍し、金メダルを取っては表彰台で嬉し涙にふける日本選手団の活躍を目にするともうたまらない。いつの間にか眼(まなこ)がウルウルし、涙がたまってくる。そしてポツリポツリと涙が?を伝わる。

  22日の甲子園を舞台にした全国高校野球選手権大会決勝で、北海道代表の駒大苫小牧が初優勝したときもたまらなかった。テレビのスイッチを付けたのは試合も終わりに近い9回表で、「アッ。北海道が勝ってる!やったーっ」と思わず叫んでしまった。

  わが家ではどちらも野球には無関心で、妻は裏庭に回ってその日も台風15号が運んできた落ち葉拾いをしていた。自分の興奮した声はその妻の耳にも届いたようで「エー。北海道が勝ってるの!」といそいそと家の中に入ってテレビの前に座った。そして自分は駒大苫小牧が勝った瞬間、「勝った!。勝った!」と両手を叩き、思わず立ち上がってしまった。「あの優勝旗が、オイ。あの優勝旗が『白河の関』どころか、一気に北海道に渡るんだ。すごいや」と大声で叫びながら、目頭を熱くしていた。

  表彰式で駒大苫小牧主将の佐々木孝介君が深紅の優勝旗を受け取り、思わずニコッと微笑んだ時はたまらなかった。目から涙がボロボロと落ちていた。

  涙が浮かぶのは野球選手の活躍、オリンピックでの日本選手の頑張りだけでない。本紙「お悔やみ欄」の取材で、大曲市役所市民課から受け取る「おくやみ連絡票」を手にして亡くなった人たちの年齢を見ても思わず涙をこぼしてしまう。23日には1歳の女の子の名前があった。「エーッ。まだ1歳じゃないの」とつぶやき、「なぜこんな年齢で」とその子の余りに短命で幕を閉ざしてしまった人生に泣いてしまった。そして幼子を失った両親の哀しみにも同情を禁じえず、1歳の女の子の名前を涙でぼやける目でキーボードを叩いた。

  青い空と白い雲(川港親水公園で)病気や事故で30歳、40歳、50歳で亡くなる方々の名前を目にしてもこのごろはつい、涙ぐんでしまう。この若さで夫を、妻を失った人たちの心情はどうなんだろうと思うと気の毒でたまらず、原稿を打っていても泣けてくる。

  涙もろさは母もそうだった。母はどちらかと言うと頑固で気丈だった。しかし、劇場で「親孝行」ものを演じた芝居を観ると顔中を涙で濡らして観ていたものだった。川一つ越えたわが家の向こうの「角間川町」には映画館があった。木造の古い建物で、毎日の映画のほかに年数回は芝居の上演や楽団の演奏があった。

  遠い昔のことなので確かな漢字は忘れてしまったが「湊(みなと)定夫」という役者を中心にした芝居グループがあった。子どもの目から見ても美男の役者さんで、一本刀を腰にした〃やくざ芝居〃をいつも演じていた。そしてあちこちの祭りに掛かった舞台を回っては芝居を演じ、地方でも人気役者だった。だから角間川劇場でも年に数回、その湊定夫の芝居があった。

  母はその湊定夫のファンだったろう。その人の芝居があると必ずと言っていいほど自分と3つ上の兄を連れて劇場に行った。そしていつも一番前の席に陣取り、芝居を熱心に観た。ストーリーはおそらく「瞼の母」とか「一本刀の土俵入」などやくざものをテーマに演じたものと思うが、湊定夫が舞台上で「おっかさん」と感極まった声で熱演すると母は目から涙をボロボロと落とし、それをぬぐいもせずに観ていたものだった。横に座ったこちらは、芝居の意味も分からず、ただ母がなぜ泣いているのかと無性に悲しんだものだった。そして母を泣かせている舞台の上の男たち、女たちを思いっきりにらんだ。

  やがて成人し、大曲市内の夜の町をブラブラしながら寿司屋に飛び込んだら、その湊定夫さんが寿司職人となって寿司を握っていた。最初は分からなかったが、なぜかお酒の酔いが回ったら子どものころ、舞台の上で活躍したあの役者さんではないか、と確信するようになった。しかし、相手は自分の幼いころなんて覚えているはずもないし、昔の職業のことを尋ねるのもどうかと思い、知らんぷりを決め込んで一緒に入った記者仲間と酒を飲んだ。

  飲んでいるうちに新聞記者としての義理を果たしたか、果たさなかったかを巡って、口論となってしまった。お互い大声を出すようになってついには「何を言ってんだ。バカヤロウ」と禁句まで口にするようになった。その時だった。カウンターの向こうで黙って寿司を握っていた湊さんが「お客さん。私のような寿司職人が言うのも口幅ったいようですが、お酒は楽しく飲むものです。お二人はまだ若い。お気持ちは分からないわけじゃないですが、ケンカはいけません。ケンカは・・・。どうです。一杯注ぎますから、ここは仲良くやりませんか」と惚れ惚れするようなタンカを切った。

  こちらは「アッ。やっぱり湊さんだ」と思わず叫んでしまった。その湊さん。年齢はもう50歳前後だったろうか。それでも相変わらず水もしたたるような美男で「おや。お客さんはあの母さんのお子さんではないですか」と言い出した。湊さんは覚えていたのだ。湊定夫劇団の芝居が角間川劇場に掛かると常に一番前の席に座って、涙を流しながらその芝居を観ていた母のことを・・・。そしてその隣に座って、怒ったような顔でにらんでいた自分のことも。

  「いやー。お客さん。覚えてますよ。あなたのお母さんのことは。いつも一番前の席に座って私たちの芝居を観て、泣いてくれました。嬉しかったものです。泣いて喜んでくれるお客さんがいるというものは・・・」。

  本名は今も分からない。湊定夫という地方回りの役者さんはその後、芝居では食っていけず、寿司職人に転職し、スポットライトの輝く舞台から下りて、ささやかな人生を静かに過ごしていたのだ。しかも相変わらず恰好のいいセリフを吐き、男振りも良く。

  湊さんは苦み走った笑顔で「で。お客さん。あのお母さんは健在ですか。そうですか。お客さん、親孝行してやって下さい」とまるで芝居のようなセリフを言い聞かせた。こちらは「ハイ。分かりました」と素直に頭を下げ、湊さんから受けた盃を空にした。その母から受けた涙もろさなのだろう。

  毎朝夕のオリンピックのニュースで涙を流す日々が続いている。そして渡哲也の「くちなしの花」を一人で口ずさみ、懐かしさで涙を浮かべている。

  いまでは指輪も 回るほどやせてやつれた お前のうわさ

くちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくる

くちなしの白い花  おまえのような 花だった

  わがままいっては 困らせた  子どもみたいな あの日のお前

  くちなしの雨の 雨の別れが  今でも心を しめつける

  くちなしの白い花  お前のような 花だった
  (作詞 水木かおる・作曲 遠藤実)