秋雨前線が活発化し、今週は雨の日々が多くなるだろうとの予測だった。その通り月曜日は雨の朝となった。それでも秋の虫たちは草むらでリーン、リーンと透明な鳴き声を響かせていた。雨の朝。小犬のパピーは鮮やかな黄色をしたレインコートを妻から着せてもらって表へ出た。フード着きのコートを着て雨の中を歩く小犬のパピーはどこかユーモラスで、おかしい。
6月の車の単独事故以来、妻は自分が一人で車を運転し、家を出ようとする時、「もしかすればこれが最後になるかもしれない」と最悪の事態を考えてしまうのか「あなた。気を付けてね。絶対、気をつけてね」とこれまでは見せたこともない深刻な顔で注意し、見送る。その真剣な顔を見ると「悲しませたくはない」とこちらも思ってしまう。自分も一緒に乗っている時なら注意することもできるが、一人で家を出てしまったら見守れないという不安が妻には沸くのだろう。
「これが最後になるかもしれない」。事故の体験はそんな悲しい予感へとつながってしまい、心を痛め、思い詰めてしまうようだ。晴れた日の先週の土曜日もそうだった。そろそろ表紙の写真になる風景を撮りに行かなければと「これから六郷町と千畑町を走ってくるよ」と車のカギを握って家を出ようとしたら「あなた。気を付けてね。携帯電話は持った。何かあったら必ず電話するのよ」と念を押す。まるで子どもでも見送る母の口調だ。
そうした心配をよそに男とは身勝手なもので「ああ。分かってる」とぶっきらぼうなひと言を残して家を出るだけだ。しかし、さすがに車の運転は慎重になる。だが、その分、運転がとても怖くなった。おかしなもので、運転が怖くなると今度は緊張感も高まり「ああ。タバコがあればな」とリラックスをタバコに求め、止めていたタバコが無性に吸いたくなる。タバコを止めて8月でちょうど1年になり、もうタバコへの依存度はそれこそ煙のように〃雲散霧消〃したと思っていたのに車の事故を思い出すと、運転が怖くなり、そして緊張する。神経がそれで高ぶると「ああ。タバコがあればな」とまるで連想ゲームのようにタバコへの愛着が深まる。
しかも、すれ違う車のドライバーがタバコをくわえたりしていると「ああ。うらやましい」とさえ思うからやっかいだ。タバコへの依存が再び高まったせいか、最近までは目の前でタバコを吸われてもなんでもなかった自分が微妙に変化してきた。欲しくなったのである。
先日も取材である人を訪ねた。その人は「いやー。しばらくでした」と歓迎し、時間は限られていたが10分ほど貴重な情報交換ができた。しかし、愛煙家だ。その10分ほどの間に2本のタバコに火を付け、紫煙をくねらせた。その煙の行方を目で追いながらどんなにか「すみません。一本、もらえませんか」と言いたいのを我慢したか。それこそ喉(のど)から手が出そうな感じさえしたが、「今、ここで吸ったら元の木阿弥。この1年間、我慢した苦労が水の泡となる」とどこからか自分を叱る声がして口を閉ざした。
タバコへの執着は尾を引き、その日の夕方は買い物先のスーパーにあったタバコ自動販売機の前にしばらく立ち尽くした。「マイルドセブンはあるか」と昨年7月まで吸っていた品種を目で追ったら、無性に懐かしさが募った。毎日一箱は吸っていた。原稿を書くのに詰まってしまうと一本取り出し、火を付けた。思索に詰まってはまた一本取り出し、胸の奥いっぱいに吸っていた。
父は肺ガンで77歳で亡くなった。タバコが原因だったと思う。その父の死因を思えばとうに止めなければいけなかったタバコだ。なのに父が亡くなってからも25年間も吸い続けた。
自分が初めてタバコを吸ったのは高校に入ってからだった。入学して間もなく先輩たちが隠れてタバコを吸う姿を目にした時は毛嫌いしたのに、いつの間にか自分も不良学生の一員となることに変な誇りを持つようになって、タバコを口にしていた。初めて煙を吸い込んだ時は頭がクラクラし、これがタバコと言うものかと恐れたものだった。周囲にいた仲間たちはタバコに酔ってよろける自分の姿を見て「キュッキュキュキュッ」と笑った。しかし、タバコを吸ったことで彼らは自分を仲間として受け入れた。
それ以来、40年近くも付き合ったタバコである。何度もタバコの害を目にし、耳にしても馬耳東風で止める気にはならなかった。保健所でタバコの弊害で肺が真っ黒になった写真を見たこともあるが、止めれなかった。なのに昨年9月のアメリカ旅行で、機内で10時間もタバコを吸えないで過ごすのは大変だと7月31日をもって禁煙に踏み切った。
ニコレットというガムに助けられ、縁を切った。それから1年と1カ月。先日、市の大腸がん検診があった。保健師さんが昨年までのデーターを基に「タバコは1日20本ですね」と聞いた。その時、「いいえ。タバコは止めました」と晴れがましく答えた。聞いた保健師さんは「アラッ」と意外そうな顔で検診データーに書き込んだ。「タバコは止めました」。こんな晴れがましい言葉を口にすることが出来たのは我が人生始まって以来の事のような気がした。やはりタバコは口にするまい。再びそう決意した。