早朝の散歩をしばらく休んでいた妻も今月に入って、再び歩き出した。コースも時間も以前と同じで、午前5時には起床し、平日は横手川の橋を渡って真っ直ぐに東へと足を向け、藤木小学校の先から左折し、アネスト岩田工場の手前で元の道を目指して曲がり、帰宅する。万歩計で計ると歩数は5000歩前後。時間にして50分ほどの距離だ。
早朝、東に向かって歩く楽しみは東山から昇る太陽と山肌の色の変化を眺めることだ。山は毎日、様々な表情を見せる。水色だったり、若むらさき色に染まったり、墨絵のような光景にもなる。太陽が昇るのに従ってその色合いも変化し、言葉こそ発しないが山は表情を変えて様々に語りかけてくる。「今日は雨になるわ」とか「今日も暑くなるよ」とか「今年もそろそろ冬支度に入るわ」と。
日本画家・東山魁夷は風景についてこう語ったことがある。「風景を眺めていると、風景が私に語りかけてくるのです。今の私の姿を描いてくれと。私はその風景の語りかけを受けて絵筆を運ぶのです」と。風景が語りかけ、風景と一体となる。東山魁夷さんだからこそ成せる技だと思う。東山魁夷さんの絵は大好きで、一冊だけ彼の絵画集を買い求めたことがある。その中にそのような言葉があった。
東山魁夷さんほどではないが、やっとこのごろ自分の愛する東山(奥羽山脈)も自分に語りかけてくれるようになった。「今日の私の姿はどう?。緑一色に飾ってみたのよ。きれい?」。東山は5月から6月の新緑のころはとても自分の姿を気にしていた。若草色に染まった山はそのころとても端正で美しかった。
「ああ。綺麗だよ。世界で一番、綺麗に見えるよ」「ホントウ!。うれしい」。世界で一番だ、なんて少し大げさだったかなと思ったが、山は自然にほほえんでくれた。まだ太陽は昇らず、光の帯が空を金色に染めていた。山は遥か遠くから、白い雲を次々と呼び寄せ、頂きに布団のように横臥させた。白い雲は太陽の光を受けて茜色から金色に染まり、若草色の山は黒っぽいシルエットとなった。そして「今日は暑くなるわよ」と語った。
7月に入って灰色の雲が空いっぱいに広がると、「きっと今日から雨になるわ」と嬉しそうにつぶやいた。「いま、その雨の音を届けるからね」とイタズラっぽく笑った。間もなく、「ゴーン、ゴーン」とお寺の鐘が静かに流れた。普段は聞こえない音である。山の麓に開けた六郷町はお寺の町だ。そのお寺の鐘の音(ね)を山は風に乗せて届け、雨が近づいているのを知らせた。「ねえ。雨の音が聞こえたでしょう。私にとっても、田んぼにとっても恵みの雨よ」と山は喜んだ。
梅雨が明け、暑くなってから妻は東山を目指しての散歩は休み、自分とパピーだけの散歩となった。東山とは横手川の堤防を歩きながら言葉を交わした。「今日は本当に暑くなるわよ」と山は心配しながら語りかけた。海のような青い空と白い雲の下で、東山は深い藍色に染まっていた。そして「今日はいいものを見せるね」と次々と映像を運んできた。
それは六郷町の「町民の森」の風景だったり、白樺の木の映像だったり、千畑町の山沿いに延びた道路の風景だったり、農家の敷地内に立つヒョロリと伸びた杉木立の風景だったりした。何かみんな見たことのあるような懐かしい風景だった。思い出したらどの映像も過去にケンニチの表紙を飾った写真だった。
「なんだ。これみんな自分が撮った写真じゃないか」と話したら、「そうよ。みんなあなたが撮った私の写真なのよ」と東山は嬉しそうに答えた。「あなたは歩いたでしょう。車でサアーと走ってきて、私のところを歩いたでしょう。不機嫌そうな顔で歩いた日もあれば、寂しそうな顔で歩いた日もあったわ。私を遠くから眺めて嬉しそうに写真を撮った日もあれば、私の与えた木々をテーマにカメラを向けた日もあったわ。私の子であるスミレやラベンダー、コスモス、ススキを写した日もあった。あなたが私を訪ねて来た時はいつも静かに見守って、歓迎してたわ。あなたは私に憧れているのでしょう。私はあなたのその憧れに応えようと、私の子である草花をあなたに与え、私の分身である木々を与えてきたわ。そして私の姿そのものも」。
暑い夏の日の朝。小犬のパピーと横手川の堤防を歩き、東山と向き合ったら山は次から次へと思い出を語り出した。その言葉は川が運んでくる風に乗って流れるように消えた。いたわるように優しい言葉の響きだった。
東山はいつも遠くにあったが、幼いころから神のように近寄り難く、美しい女性のようにたおやかだった。白い雲を浮かばせては美しく装い、新緑から深い緑色へと変わり、秋になると赤く燃えた。そして冬。真っ白に雪化粧し、荘厳な美しさで突き放すように対峙する日もあった。それでも「あの山へ行けたら」と悲しい時はいつも憧れた。
「あなたの私への憧れは知ってたわ。だから、私はいつもあなたを静かに迎えているのよ。私の子であるスギの木も、トチノキも、カエデもブナもナラの木も、そして山の中にある湖もあなたを静かに迎えたわ」。「私の姿を撮ろうとする時、私の子である木々や草花をカメラに収めようとする時、私たちはあなたの力になってやろうとソッと手を差し向け、息吹をかけ、あなたを包んでいたのよ」。「あなたが私に憧れる限り、私はあなたへ応えます。あなたの求めに応えます。それがあなたに私が与えられる愛ですから」。
秋を迎えた今、東山は黄金色に実った稲穂の波を遠くから静かに見守っている。午前5時半。朝日がキラリと姿を現した。その朝日が家に向かう妻とパピーを照らし、路上に長い、なが〜い影を落とした。二人と一匹の家族が東山を背に歩いている。「今年の秋はもっときれいになってあげるね」。東山は自分の背中にそう呼びかけてきた。東山との会話で迎えた秋の朝だった。