月が午後5時50分、東山の上の雲を淡いオレンジ色に染めながら、ゆっくりと上ってきた。雲から顔を出した月は丸い大きな皿のようだった。28日夕、十五夜のお月さまを観た。小犬のパピーと歩きながら、横手川の堤防の上で月見をした。余りの見事さに「こうしてはいられない」と写真を撮ることを思いついて慌てて帰宅した。そして三脚を車に積んで「月の写真を撮るんだ。パピーを頼む」と妻に言い残して再び堤防へと走った。カメラの準備をしていたら月は雲に隠れてしまった。雲の切れ間からもう一度、月が顔を出すのを待った。
月が山から上り始めたころ、堤防の上では近所の人たちが数人、月を見つめながら「いいお月さんだこと」と手を合わせていた。こちらも「本当に綺麗なお月さんで」とあいさつした。表にテーブルを出してススキを飾り、お月さまに一献ささげたいとお酒の準備をして、ロウソクの火を灯しながらお月さまを迎えようとしている家もあった。その家の月にささげる情緒の深さに心和んだ。
車を堤防に止め、エンジンを切ると草むらからピー、ピチピチ、コロコロコロと虫たちのすだく声が聞こえた。闇の底から響く明るく澄んだ鳴き声だった。月は雲に隠れたままだったが、三脚で固定したカメラのレンズを月の位置に合わせた。ピー、ピチピチ、コロコロコロ。リーン、リーン、リーン。虫たちの合唱は休むことなく続いた。清冽な鳴き声に心洗われるような思いだった。虫の音に耳を傾け、月を待った。
「月を待つ」。
何て素敵な夜だろうと思った。カメラを構え、お月さまとの逢瀬を楽しむ。生きているからこそ出来る楽しみだ。やがて黒い雲の切れ間から月がその全貌を出した。オレンジ色に輝く月がニコッと笑ったように全貌を出した。
「やぁー。きれい。本当にきれい」とシャッターを切りながら心の中で叫んだ。「そぉー。喜んでくれるの。良かった」。月はそんなふうに答え、再び雲に隠れた。本当なら大好きな東山から上って来る瞬間を撮りたかったが、気づくのが遅かった。雲の中に浮かぶ十五夜のお月さまだけの写真となった。
写真を撮り終えて、夕食の準備をしていた妻をパソコンの前に呼んだ。「どう?。この月の写真は?」「あら・・・。いいじゃない。キレイ。すごくきれいよ」と妻は喜んだ。その妻の励ましに嬉しくなって「よし。ならお月さまの記事を入れよう」と夕食の前に十五夜の原稿を一本書いた。その後で飲んだビールがいつもよりもとてもうまかった。大好きなシャブシャブ鍋もテーブルに運ばれた。鍋をつつき、ビールを口にし、十五夜を祝った。
しばらくして「私もお月さまを観たい」という妻に付き合って表へ出た。満月は天空で皓々(こうこう)と輝き、青白い光で地上を照らしていた。「キレイな空」。妻はそう言って手を合わせた。お月さまに何を祈ったのか。しばらく手を合わせていた。
26、27日と東京を歩いた。兄の子の結婚式だった。32歳になった兄の子の長男の結婚式は26日、東京のホテルの中のチャペルで行われた。タキシード姿となった兄の子は見違えるほど立派に見えた。お嫁さんを迎えることができた自信からだろう。堂々としたたたずまいで「秋田のおじさん。本当に遠くから良く来てくれました」と自分たち夫婦をねぎらい、ウエディングドレスに身を包んだ美しい花嫁さんに「僕のお父さんの弟に当たる方で秋田から来てくれたんだ」と紹介した。
両家の控室で両家の親類、家族が紹介された。6つ上の兄はもう仕事から離れ、「主婦(夫)業をやっているよ」と冗談を言いながら、「きれいなお嫁さんをもらったね」と褒めると「ありがとう。本当にいいお嫁さんだ」とわが事のように喜んだ。新婦方の親類、家族はすべて江戸っ子とかで、家族紹介の時の話振りは穏やかで品位にあふれていた。
親類・家族紹介が終わると式場に案内された。そこはホテルの中の教会だった。若いお二人は神前結婚式よりもスマートな教会での結婚式を望んだのだろう。外人の神父が入場するとパイプオルガンが奏でられ、父親に手を引かれた新婦が静々と入場してきた。途中から新郎となる兄の子が出迎え、父親に代わって新婦の手を取り、入場した。
同時に鮮やかなワインカラーの衣裳を身につけた二人の若い女性がソプラノで、賛美歌312「祈とう」を歌った。
いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを とり去りたもう
心の憂いを 包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を
教会に響いた二人の女性のソプラノはまさに天使の声そのものだった。メロディにとても懐かしいものを感じた。目をつぶって聴いていたら古い藤木小学校の音楽室が目に浮かんできた。同級生たちが歌っている顔も浮かんできた。それで気がついた。「そうだ。あのころ学校で教えられ、歌った『冬の星座』だ」と気づいた。
堀内敬三訳詩、ヘイス作曲の「冬の星座」だった。こちらの歌詞は
木枯らし 途絶えて
冴ゆる空より
地上に降りしく
奇(くす)しき光よ
もの皆憩える しじまの中に
きらめき揺れつつ 星座は巡る
である。自分たちが子どものころに習った「冬の星座」がなぜ賛美歌にもなっているのかは分からないが、とにかく二人の若い娘さんが歌う賛美歌は結婚式の厳かさを美しく清め、神父によるその後の聖書の朗読、説教、誓約、そして指輪の交換もとても神秘的で厳かなものに見えた。指輪の交換こそ堅い夫婦の契りとなったのか、花嫁の緊張した美しい顔、指先の震えがこの人の誠実さを物語っているように思えて好感が持てた。
結婚披露宴では新婦のご両親が近づいてきて「わざわざ秋田から来て下さったとかで、本当にありがとうございます」と笑顔で頭を下げた。そして「僕は雪国に憧れを持っているんです」と秋田への思いやりを見せた。その言葉が嬉しくて「それは良かった。ぜひ冬の秋田へ遊びに来て下さい」とお二人を誘った。お二人は「横手のかまくらを観たいですね」とも言った。新婦の両親の「雪国への憧れ」は本物だと思った。
翌朝、東京は雨だった。雨の中を妻は自分の希望を受け入れて東京大学へと案内した。東京駅のロッカーに荷物を預け、身軽になってから電車に乗り継ぎ、「本郷3丁目駅」から歩いた。東大のある街らしく医学書専門店、古本屋、顕微鏡専門店などもあった。歩いて10分ほどしたら、雨の中にあの赤門が現れた。威風堂々としたたたずまいの赤門だった。
興奮状態となって「東大だよ。東大に来ちゃったよ」と妻と向き合って、雨の中で喜んだ。多くの若い人、カバンを持った中年男女が黙々と門をくぐっていく。「入ってみようよ」との誘いに妻は、「大丈夫かな。無断で入っていいのかな」と心配した。「大丈夫だよ。入っちゃいけないなら立ち入り禁止とかの看板があるよ」と妻の心配を取り除き、歩いた。構内は雨でシットリと濡れていた。
赤レンガの重々しい建物が東大という歴史を物語っているように思えた。赤レンガの窓から見える部屋の壁にはずらりと本が隙間なく積まれているのが見えた。部屋という部屋は本だらけという感じだった。間もなく有名な「安田講堂」が目の前にそびえた。
「とうとう来たよ。安田講堂へ。これだけは観たかったんだ。自分の才能では、生まれ変わっても入学できそうもない大学だけど、とにかく大学の中へは入れた」と喜んだ。妻も「私も入れたものね」と笑った。とにかく足を踏み入れただけで満足した東京大学の構内だった。
大学を出てから東京駅へと戻り、駅周辺をブラブラしながら時を過ごし、午後3時近くの新幹線で秋田へと帰った。朝から歩いた歩数は1万8000歩にもなっていた。足はクタクタに疲れた。疲れたが東京という大都会は、雨の日でも緑が美しい空間がいっぱいあった。美しいお店がいっぱいあった。人が流れ、活気にあふれていた。またいつか東京を歩いてみたいと思った。
小犬のパピーは2日間、ドッグトレーナーの小原さんにお世話を願った。小原さんに関する情報は本紙「著名人・消息」にあります。