やはり東山を訪ねた。六郷町から千畑町へと抜ける山沿いの道を走って、左右に広がるリンゴ畑にホッとし、ススキの広がる白い野原に母の膝(ひざ)を枕にしたような温もりと親しみを感じた。秋の深まりに一抹の寂しさもあったが、山沿いの風景を観ていると心和んだ。山の緑の葉はいくぶん精彩を失い、そろそろ紅葉の季節へと衣替えの準備をしているように見えた。車を走らせながら「やはり自分は山の子かもしれない」と思った。山沿いの道を走るとホッとするからだ。山の空気に触れるといやされるからだ。
そう言えば母は山奥で生まれた。幼いころ母は年に何度か、自分たちを連れて西仙北町の山沿いにある親類宅を訪ねた。そこが母の実家だったのかもしれない。山の中の一軒家だった。〃おがぁ〃と呼んだ優しいおばあさんがいて、汽車に乗って刈和野駅に降り、そこから随分と歩いた。そして雄物川の渡し船に乗って再び山道を歩いた。
母の親類の家に着くとそのおがぁは「よぐ来た。よぐ来た」と曲がった腰を伸ばすようにして歓迎した。いつもニコニコしていた優しい笑顔は今でもうっすらと覚えている。モンペにかすりの着物を着て、髪は白く、後ろでお握りのように丸く束ねていた。
顔中をしわだらけにし、「マー。本当によぐ来たごと」と頭をなで、「今夜はいっぱいご馳走するからな」と歓迎した。そこの親類宅に行く時はいつも、3つ上の兄も一緒だった。そして親類宅には自分より6つ上の兄もいた。おがぁに良く似ていて、子ども心にも笑顔が素敵な兄だった。
その人は「マー。山へ行ってみるか」と家に着くと直ぐに山へと案内した。山がそこの家の裏近くまで迫っていて、秋になると熟したアケビや山ぶどうの香りだったろうか。どこからともなく甘い香りが風に乗って、スーッと流れてきた。その兄の案内で山道を歩いた。湿っぽい山の空気、小鳥たちの鳴き声、せせらぎの音、そして熟した実が放つ甘い香り。山はうっそうとした樹木で多くのナゾにも満ちていたが、優しくホッとさせるものがあった。
クリの実も落ちていた。ザックリと割れたイガの中から赤茶色のクリの実を取り出し、堅い皮を歯でむいて、まだいくぶん青臭さの残る実をかじったものだった。そしてズボンのポケットの中にその実をタップリと入れて膨らませた。アケビや山ぶどうはたまらないほど甘かった。バッタが飛び、バッタを追って捕まえた。カマキリも捕まえた。ヘビを見つけ、悲鳴を挙げて逃げたものだった。
山の秋は暮れるのが早く、夕方の5時ごろには薄暗くなった。「マー。マー」。麓から母の呼ぶ声が聞こえて、兄と親類の家の兄さんと3人、急いで帰ったものだった。もう夕食の準備ができていた。白いスギワケの味噌汁やゼンマイがタップリ入った味噌汁が出され、とても美味しかった。おがぁは自分と兄のそばに座り、味噌汁をよそおった。「うまいが?。ン?」と聞いて、「ウン。うまい」と答えると「ンダか。ンダか。エガッタ。エガッタ」と心底、喜んだ。
あのころは当たり前だったろうが、風呂は母屋から離れた外にあった。独立した小屋の中に風呂場があって、そこで兄と二人で入った。怖かったのはフクロウの鳴き声だった。冗談だったろうが、その家のお父さんが「フクロウは夜中に遊んでいる子をさらうから気をつけねばナ」と脅した。それを真に受けていた。ましてや真っ暗な闇の中から聞こえてくる「ホーッ。ホーッ」と地の底をはうような鳴き声は不気味だった。風通しの良い風呂だっただけにその鈍い鳴き声は遠慮なく入ってきて、風呂に浸かりながら怖くて震えた。
「大丈夫だべか」。「何が?」。「フクロウだよ。フクロウは子どもをさらうと言ってだよ」「誰が?」。「ここの家(え)の父さん」。「心配ネェ。おどしただけだ」。
兄は落ち着いてフクロウの鳴き声に耳を傾け、「何でもネェ」と裸のまま下駄を履いて外へ出た。そして石を拾うと「このヤロウ」と叫んで闇に向かって石を投げた。木に当たったのだろう。カーンと乾いた音がした。同時にバサバサッと翼の音もした。兄は「追い払ったよ」と自慢そうに言った。
3つ上の兄はいつも自分を守る役を買ってくれた。夏のホタル刈りの時もそうだった。兄とその友だちに連れられて横手川の橋を渡った。橋を渡ると小川があって、夏はよくホタルが飛び交った。そのホタルを追った。青白い小さな光を灯して夜の闇をゆっくりと上下しながら飛ぶホタルの群れは幻想的な美しさだった。
そのホタルを追っていたら遠くにある墓地の方からボーッと大きな光の玉が生まれた。その光の玉は真っ暗な田んぼの上を滑るように飛んで、自分たち目掛けて追ってきた。兄の友だちが「火玉だ!」と叫んだ。自分は足がすくみ、恐怖に陥った。「ワーッ」と泣き叫び、砂利道の橋の上で腰を落としてしまった。
「マサオ!。大丈夫だ。あんなもの。怖くない。やっつけてやる」と兄が叫んだ。兄の友も「おれもやる」と叫んだ。二人は砂利道を駆け、その火の玉に向かった。そして目前に迫った火の玉に砂利つぶてを思いっきり投げた。石が当たったのか、火の玉はボッと鈍い音を出して消えた。
西仙北町の山沿いの母の親類の家に泊まって風呂に入り、フクロウの鳴き声に震え上がった時も兄は自分をかばおうと裸で表に出て、石つぶてを投げて追い払った。そこの家ではトイレも外にあって夜中におしっこが出ても怖くて一人では行けず、兄を起こして連れて行ってもらった。
今思えばフクロウは愛敬があって可愛い動物だが、あのころは「ホー。ホー」と闇の中から響く鳴き声は恐怖の象徴だった。先日、東京であった結婚式で、その兄と久しぶりに会った。「マア。元気そうでよかったな」と兄は昔とちっとも変わらぬ優しい笑顔を見せた。西仙北町の母の実家の思い出話をしたら「よくまあそんな昔のことを覚えているな」と兄は懐かしそうな顔で喜んだ。
表紙の写真を撮ろうと千畑町の山沿いの道を走って自転車の子どもたちと出合った。山の中の急な坂道を自転車を押しながら上ってきた二人はカメラを向けた自分を見つけ「おじさん。何してるの」「おじさん。カメラマン」と無邪気な声をかけた。来る途中に取ったというカマキリやバッタを袋の中から取り出し、「おじさん。カマキリ見せようか」とも言った。「ゴメン。昆虫はおじさん怖くて触れないんだ。子どものころは何でもなかったのにね」と言った。
子どもたちはさらに「虫だけでなく、先日はヤマカカシも取ったよ」と自慢した。「えー。ナァーに。そのヤマカカシって」と聞いたら「ヘビだよ。おじさん。知らないの。毒蛇だよ」とも言った。平気な顔だった。山の子たちとの会話は楽しく、元気をもらえた。やはり東山の麓の道はいい。ホッとさせる。東山はいやしの山だ。
8日午後。その子どもたちのいる千畑南小学校を訪ねた。表紙を飾った写真と別な角度から写した写真3枚を2枚ずつプリントし、思い出になればと学校を通じてプレゼントしてもらうためだった。学校を訪問したら先生たちもその写真を見て大喜びだった。子どもたちから「県南日々新聞というインターネットに新聞に載ったよ」との報告を受けて、先生たちも学校で大笑いしながらその写真を見たとか。「子どもたちの両親もとても喜んでました」と担任の先生は言った。写真を学校に届けて良かったと思った。山の空気は心を優しくする。