こちら編集室「月の砂漠」(10月15日)

  先月28日夜の「十五夜」のお月さま以来、雨の日が多く、随分長いこと月を見てないような気がする。雨でなくても曇り空が続き、月はその厚い雲に隠されたままだ。10月の青い空というが、先週の週末には台風22号が通過し、その影響で3連休も雨だった。曇り空の夜、空を見上げた。空しいほど夜の闇が深かった。10月は月の美しい季節でもある。今月26日は「十三夜」となる。満月を期待したい。

  「とにかく雨にならないうちに歩こう」と3連休は雨を気にしながらの朝の散歩となった。万が一雨になってもいいようにと、妻は折りたたみの傘2本を入れたナップザックを背負った。やはり雨に打たれた時もあって、小犬のパピーは傘を取り出して空っぽとなったナップザックに入れて背負って歩いた朝もあった。

  散歩の途中、横手川の橋を渡り、大久保の橋を渡ったら雨に濡れた道路の真ん中をカタツムリがユックリと移動していた。前を歩いていた妻に「踏むなよ!」と後ろから声をかけた。ビックリした妻は飛び上がり「エッ!。なに!」とその場で立ち止まった。

  「カタツムリだよ。ほら足元に」

  「なぁーんだ。これか。ああ。ビックリした」

  と妻は胸をなで下ろし、ホッとした顔を見せた。

  相手がカタツムリでも踏んでしまったらいい気持ちはするまい。「良かった。踏まなくて」と安堵した。カタツムリは道路の真ん中を移動しており、そのままでは間違いなく車の犠牲となる。親指と人指し指で輪を作ると、ちょうどその大きさぐらいに成長したものだった。せっかくそこまで大きくなった〃でんでん虫〃である。生かしてやりたい。生かしてやろうと掬(すく)い上げ、草むらに放った。

  厚い雲に覆われた東山から「ありがとう。私の子を救ってくれて」と静かな声が聞こえてきた。カタツムリも東山が生んだ東山の子だったのかとその時、初めて気がついた。草むらに放られたカタツムリは体を貝の中に隠し、濡れた草むらでジッとしていた。芥川龍之介の「雲の糸」ではないが、少しだけ虫のためにいいことをしたような気がした。

  歩きながら思い出した歌があった。加藤まさを作詞、佐々木すぐる作曲の童謡「月の砂漠」である。この切ないほど哀愁のこもった歌を初めて学校で習い覚えた時は、なぜこうも悲しくてきれいな歌なんだろうと胸が熱くなる思いをしたものだった。歌うのは下手でもその美しく悲しいメロディーを汚してはいけないと心を込めて歌ったものだった。

  十五夜のお月さま(9月28日撮影)音楽の女先生もその歌が大好きだったようで、音楽室にあった古いピアノをタップリと情感込めて弾き、そして歌いながら「さあ。みんなも続いて」と声をかけた。ピアノの前奏曲。先生のソプラノ。そしてみんなの合唱。そのどれもが感動的だった。子ども心にも「この歌っていいな」と思った。

  月の砂漠を  はるばると
  旅のらくだが  ゆきました
  金と銀との  くら置いて
  二つならんで  ゆきました

  3番の
  さきのくらには  王子様
  あとのくらには  お姫様
  乗った二人は  おそろいの
  白い上着を  着てました

  この歌詞を目にし、歌っていると涙が浮かんだ。王子さまも、お姫さまも自分には縁のない遠い世界のことだが、胸が熱くなり、感動と憧れで涙が浮かんだ。月の光りを受けて砂漠を旅する二人を想像し、「王子さまでなくてもいい。赤い糸で結ばれた女の人と歩くのなら、どんなに幸せか」と胸を膨らませた。最後の「おぼろにけぶる  月の夜を  対のらくだは  とぼとぼと砂丘を越えて  ゆきました」は自分でも絶唱した。

  月の砂漠だけでなく、小学校で教えられた数多くの唱歌は成長してからの貴重な財産になったと思っている。もう歌詞はうろ覚えで、歌の本を開かないと分からないが、メロディーだけは記憶に残り、それを思い出すと心が潤される。

  学校で学んだだけでなくレコードでも覚えた歌もある。兄がレコードと蓄音機を借りてきて、童謡を聴かせてくれた。そのレコードには野口雨情作詞の「青い目の人形」や「赤い靴」「しゃぼん玉」などの歌が入っていた。児童合唱団が歌うその歌を二人で遠い世界の出来事のような感じで聴いたものだった。

  母はそのレコードをタネ板と呼んで「どこから借りてきたの」とビックリした。当時、蓄音機を持っているのはお金持ちの家ぐらいで、母は心配したようだ。「タネ板さ傷つければ大変だから、早く返せよ」と囲炉裏の側で縫い物をしながら叫んだのを覚えている。  学校で習った歌では成田為三の「浜辺の歌」、滝廉太郎の「荒城の月」、北原白秋作詞で、中山晋平作曲の「砂山」なども好きだった。今、振り返ってみると小学校へは好きこのんで通ったわけではなかった。行きたくない。休みたいと思ったことは何度もあった。「腹が痛い」とごまかしても「ウソだ。どごも痛くね。顔さかいてる」と母はウソを見抜いて「ガッコさいげ」と布団からたたき起こした。

  楽しいわけではなかったが、とにかく学校に行ったお陰で小学校で学んだ唱歌は財産となっている。今、学校に行けない子どもたちを思うことがある。登校拒否の子どもたちの将来を思うと気の毒だ。この子たちは大きくなって心に染みる歌はあるだろうか。26日の十三夜を前にして「月の砂漠」を思い出している。