朝霧が降り、朝の散歩は涼しさを通り越して寒くなった。このごろではセーターを着用し、さらに朝露で濡れないようフード付きのコートを重ね着して歩いている。手袋も着用した。午前5時半。家を出るとまだ夜明け前のうっすらとした闇であり、懐中電灯を持っての散歩となっている。もうこんなにも夜が長く、日中の明るい時間が短くなったのかと思う。季節の移ろい、時の流れの早さに驚き、戸惑う。
ケンニチの毎日のニュースは「n040907」など英語の小文字と数字の組み合わせでパソコンに記憶させ、更新している。「n」は「ニュース」の頭文字であり、「04」は西暦2004年の「04」である。次の「09」は9月を意味する。そして「07」は日にちである。だから今年の1月1日だと「n040101」という表示になる。
おかしなものでこの「04」の後の数字、つまり「月」を現す数字が「05(5月)」とか「07(7月)」のように「0」が付いているいるうちは気持ちにも余裕があるが、10月に入ってしまうと「0」が使えなくなり、西暦の「04」の後は「10」とか「11」と二桁の数字となって「ああ。もう今年も残り少なくなって」と一抹、いやもっと強い焦りに似た寂しさを感じる。
そして今年を振り返ってみると本当にアッという間に月日は波立つ川のように流れ、旅立ったと思う。元旦を東京で過ごしたのも、大雪の朝、雪寄せでクタクタになった日も、取材で山際の道を走り、新緑のまぶしさに感動した日も、ギラギラした太陽に照りつけられ、その暑さに汗を流し、ぼやいた日も、つい昨日のような感じさえする。
時の流れの早さは年を追って感じるようになった。背中が何か見えないものに押され、流されているような不安を感じる。そして自分の時間さえ持てないようなあわただしさに心の居所を失い、せめて車を走らせている間だけでも安らぎの中に身を置きたいとCD2枚を買った。一枚は俳優・小林旭の歌であり、もう一枚はクロード・チアリのギター演奏である。クロード・チアリは高校時代、「夜霧のしのび逢い」という曲が大好きで、ドーナツ盤を買ったことがある。だが、小林旭のものはレコード時代も含め、初めての購入だった。
2枚とも車のCDデッキに入れ、走りながら聞いている。小林旭の歌は「昔の名前で出ています」から始まり、「ついて来るかい」「ごめんね」「惜別の歌」「熱き心に」「北帰行」など14曲が入っている。
クロード・チアリのCDには「夜霧のしのび逢い」に始まり「アルハンブラの想い出」「オリーブの首飾り」「禁じられた遊び」「黒い瞳のナタリー」「雪が降る」「浜千鳥」など16曲が入っている。
川を隔てた角間川町に昔、といっても高校時代だったが、まだ映画館があったころ、映画館ではよく景気づけにスピーカーから歌謡曲を流していた。思い出に残っているのは石原裕次郎や小林旭である。もちろん美空ひばりやペギー葉山など女性人気歌手の歌も流れた。あのころ石原裕次郎は「夜霧のブルース」や「錆びたナイフ」などで渋くてカッコいいやくざな男を演じ、強烈に引きつけたものだった。一方の小林旭は「ギターを持った渡り鳥」や「赤い夕陽の渡り鳥」など渡り鳥シリーズで、青春の虚しさに生きる目的を失おうとしていた若者たちに勇気を与え、絶大な人気があった。
その二人の歌を高校時代、自宅裏の畑で革靴を磨きながら聴いたものだった。高校に入って初めて履いた黒の革靴だった。それをいつも墨で塗ってピカピカにしておかなければ気が済まなかった。ブラシをかけながら石原裕次郎の歌に心ときめかせ、小林旭の歌に酔いしれた。だが、与えられた小遣いを辛抱して貯め、レコードを買う時は主にクラシック音楽のLP盤だった。小遣いでレコードを買えるのは月に1枚か2枚ぐらいだった。だから歌謡曲ではなく、飽きが来ないクラシックにしようとそちらの方を専門に選択した。
ベートーベンの交響曲「運命」や「田園」「英雄」に出合い、そのドラマチックな曲の流れに興奮し、モーツアルトのピアノ協奏曲23番の美に感動し、チャイコフスキーの交響曲「悲愴」に涙し、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の重々しい足どりに吸い込まれ、ドボルザークの「新世界から」に音楽の深い魅力を知った。リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」の艶っぽいバイオリンの音には甘い女性の香りを感じ、心酔した。そしてレコードに添付された解説書を繰り返して読み、高校を卒業したらレコード店に就職し、お客さんにクラシック音楽の魅力を説明しながら、レコードを売る仕事をしたいものだと本気で考えたものだった。
それでいながら石原裕次郎の「錆びたナイフ」の歌とハードな生き方に共鳴し、
「海鳴りは しても 何も言わない まっかに錆びた
ジャックナイフが いとしいよ 俺もここまで 泣きに来た
同じおもいの 旅路の果てだ(萩原四朗作詞)」
と歌っては肩で風を切り、タバコを吸ってしきりに粋がった。悲しくて、どこかおかしい自分の青春だった。
今、車を走らせると小林旭の名調子が流れてくる。クロード・チアリの美しいギター演奏も流れる。小林旭の「昔の名前で出ています」や「ついて来るかい」は自分の20代の時にヒットした歌だった。星野哲郎作詞で「京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの」には心底はまって、あのころはお酒を飲むとカラオケで歌った。「ついて来るかい」も大好きな歌でカラオケの持ち唄だった。今でもカラオケを勧められると歌っている。
あのころは歌いながらお店の女の人に「こんな歌詞を作れるのはやはり男なんだ。男だから作れるんだ。こんな女の人がいたらなぁと作詞家はきっと想像し、憧れ、作詞したんだ」としきりに喋ったことを覚えている。しんみりと心に染みる小林旭の歌声は懐かしい20代へと連れていってくれた。
クロード・チアリの「夜霧のしのび逢い」や「禁じられた遊び」「雪が降る」は高校時代、ときめくような気持ちでドーナツ盤を買い、何度も何度も繰り返して聴いた日を思い出させた。「夜霧のしのび逢い」。何て謎めいたドキドキさせるテーマだろう。感受性の強かった高校時代はただこの題名に惹かれ、レコードを買い求め、その悲しいほど美しいメロディーに、ひと目を忍び、隠された男と女のラブストーリーを想像し、ただ憧れたものだった。その後、ギリシャのとある町を舞台にした娼婦たちを描いた映画と知ったのは随分、後からだった。
朝。小犬のパピーを連れ、妻と共に歩く散歩。「昔の名前で出ています」や「ついて来るかい」では朝の明るさに似合わない。もっと明るいハミングを覚えたい。と言っても唇を震わせるのは「月の砂漠」であり「冬の星座」だ。ソッとその歌を口ずさみ、朝を迎えている。それにしても寒くなった。朝霧を透かして東山から上って来る晩秋の朝日が美しい。パピーは自分たちの交わすごくわずかな会話に耳をそばだて、お尻を左右に振って歩いている。初冬に向かって歩いている。