こちら編集室「新潟中越地震」(10月29日)

  今度は地震かと、思わずうなった。台風が繰り返し、繰り返し日本列島に上陸し、大きな風水害をもたらしたと思ったら、今度は新潟で大地震の発生である。土曜日の夜、大曲市制施行50周年記念花火の取材を終え、自宅に帰ってテレビのスイッチを入れたら新潟で大地震発生という大ニュースが飛び込んできた。まだ発生して間もない時間でのニュース番組だっただけにNHKでも現場の様子が良く分からず、発生直後の画面を繰り返し流すだけだったが、新幹線でさえ脱線したというからこれは相当の被害を出すのではと思った。

  案の定、取材が本格化した結果、地震による死者は29日現在で35人となった。けが人も2000人以上となっているようだ。住宅もつぶれ、住む家を失った人も多いことだろう。大惨事となってしまった。中でも土砂崩れで行方不明となっていた母子3人の救出劇には思わず泣かされてしまった。救出が始まった27日夕、3人とも無事との報道も一時あり、市役所でテレビを観ていた方と手を叩き合って喜んだものだった。

  そして2歳の男の子が無事に救出された瞬間にはそれこそ奇跡だと神に感謝した。後は残された母と女の子が救われるのを祈るだけだった。しかし、母子3人無事という報道も自宅に帰るころになるとあやしくなり、結局、お母さんは亡くなり、女の子も絶望的となった。

  妻と可愛い盛りの3歳の娘さん亡くした夫の悲しみを思うとやり切れなかった。助かった男の子も、お母さんとお姉さんが亡くなったのを知ったら、どんなに辛い思いをすることか。でもその幼い男の子の生命力には心から喝采を送りたい。これから辛く寂しい人生になると思う。どうかお父さんと助け合って強くたくましく成長してほしい。今はただそれだけを遠くから祈るだけだ。

  同時に亡くなった方、家を失った方。本当にお気の毒である。これから寒くなる一方である。ましてや新潟は雪国である。これからは寒さに耐え、雪を迎えなければならない。避難生活も大変だと思う。心からお見舞い申しあげたい。

  この新潟中越地震を巡ってある宗教団体からメールが来た。その団体が販売している宗教関連のグッズを購入したら、益金の一部を地震被災者への見舞金にするという。それまではただそのグッズの売り込みだったが、新潟中越地震と同時に救済のための販売と態度を急変させた。その言葉の変貌にどこか善意を利用した偽善が感じられ、眉につばすべきだとメールは削除した。

  それほど余裕あるわけではないが、本当に信頼のある機関が新潟中越地震の被災者のために救援募金を始めたら、わが家に見合ったお見舞いはしたいと妻と話し合っている。人間、生きている限り助け合いは必要だから。

  新潟の地震と言えば記憶に残っているのは高校時代に体験した「新潟沖地震」である。工業高校に入学して2年目であり、大曲中学校の旧校舎での授業中だった。突然、校舎がガタガタと音を立てて揺れだした。揺れはさらに大きくなり、ユサユサッと横揺れとなった。教科書を手に黒板の前に立っていた先生が血相を変え、いの一番にドアを開け逃げ出した。その姿に教室中が一気にパニックとなり、みんな「ワァーッ」と悲鳴を挙げて逃げた。

  廊下を夢中で走った。中には2階の窓から飛び降りる生徒もいた。こちらはその勇気はなく、同級生の背中を追って走った。階段近くまで逃げたら揺れは止まった。幸いけが人は出なかったが、学校中が恐怖の坩堝となった。

  揺れが止まってみんなホッとして廊下に座り込み、大きくため息をついてから教室に戻った。ほどなく逃げた先生も教室に戻り、何事もなかったような顔で授業が再開された。それから間もなく校内放送が流れ「再び大きな余震が来るかもしれないので、揺れが来たら机の下に体を隠し、揺れが落ち着いてから教師の誘導を受けて避難して下さい」との注意だった。

  その放送に教室中が大笑いとなった。「先生が真っ先に逃げたじゃないか」。誰かが怒鳴った。と言うより悪意を持っての批判ではなく、からかいだった。その先生は頭をかき「イヤー。済まん。すまん」と照れ笑いしながらみんなに謝った。

  その先生の授業は、生徒が話を聞いていようが、いまいが馬耳東風とばかりにマイペースで進め、時間が来るとサッサと引き上げた。「高校は義務教育とは違う。授業料を払ってでも勉強したくて入ったんだ。だから、その意欲があったら話を聞いたらいいし、そうでないのなら聞く必要はない」と言ったものだった。その言葉に、なるほど中学校の授業とは違うと感心したものだった。

  飄々(ひょうひょう)としていて生徒には全く無関心であるような態度だったが、意外と生徒思いの先生で、実習旅行で岩手県の工場見学に行った晩、自分も含め同級生たちが宿屋で飲んだ酒が問題となった。みんな好奇心といたずら心でほんのちょっぴりずつ飲んだのだが、それでもその酒で悪酔いし、吐いた生徒が出て騒ぎとなった。駆けつけた先生たちに厳しく叱られたが、公になると処分者を出さなければならないと最後はカバー役に回り、処分者を一人も出さなかった。

  以来、同級生たちが話し合って「もうおれたちの先生に迷惑をかけるようなことは止めよう」と誓い合った。そうした信頼感もあって、地震で真っ先に逃げてもその先生を避難するのではなくみんなで笑ってカラカッタだけだった。「イヤー。済まん。すまん」。新潟中越地震のニュースをテレビで見ていてあの時の懐かしい先生の声が思い出された。

  それにしても地震は怖い。あっと言う間に多数の生命を見境なく奪ってしまう。子どもを亡くした親、孫を亡くしたおじいさん、おばあさんの哀しみはどんなだろう。新聞を読むとその哀しみの声が聞こえて来るようだ。日本列島は台風、そして地震とまるで災害列島となったようだ。自然の力の前にはなす術もない。ただ恐れおののくだけだ。とにかく地震被災者の方に心からお見舞いしたい。どうぞ体をお大事に。

  話は転じるが28日夜の月はみごとだった。天空の孤高に輝き、森を照らし、畑を照らし、家々の屋根を照らした。美しい月を眺めながら小犬のパピーとの散歩を楽しんだ。そしてカメラと三脚を持ち出し、写真に収めた。どうぞご覧下さい。