こちら編集室「雪囲い」(11月19日)

  東山に雪が降ったのが観測された。山はこのところ濃いねずみ色の雨雲に覆われ、全貌は見えなかったが出勤時、チラリと頂きが見えたと思ったら、そこが白く染まっていた。雪の季節が来たなと思った。東山からも「そうよ。私はもう雪を迎えたのよ」との声が届いた。平地に雪が来るのももう直ぐだ。

  多分、今ごろだったと思う。幼いころのわが家の冬囲いは物々しかった。玄関に何本もの太い柱を用意し、それを父がやぐらのように組み合わせ、金づちやくぎ抜き、ノコギリなどを使って一日がかりの大仕事で仕上げた。何本もの横柱と縦柱の組み合わせのやぐらだった。組み合わせが終わると今度は葦(よし)で編んだ簀の子を回し、風避けとした。

  表でトントンと柱を叩いたり、縄で縛ったり、クギを打ちつける父の作業を見ているのは楽しいものだった。そばにまとわりついても決して「ジャマだ。ジャマだ」とは言わなかった。トントン、トントンと鳴り響く金づちの乾いた音。ギシギシと柱と柱が擦れ合う音。キーッ、キーッと曲がってしまったクギを木から抜く時の音。

  葦(よし)の簀の子を抱えると甘酸っぱい草の香りがした。縄を手にすると稲わらの乾いた香りがした。そしてトントン、ギシギシ、キーッ、キーッ。大工ではなかったが、この季節、父は大工さんのように木材を相手に働いた。隣近所からもやはりトントン、トントンと木を叩いたり、柱を組み立てる音が響いてきたものだった。

  なぜ父が大工仕事をしているのを見るのがあんなに楽しかったのか。雨の日も風の日も自転車で毎日、行商に出かけた父は家にいることが滅多になかった。その父が家に居て木材を相手に仕事をしている。それが嬉しかったのかもしれない。横たわった柱に腰を下ろし、金づちを振り上げる父の姿を見つめ、金づちが父の手から離れると待っていましたとばかりにそれを握って父の真似をして柱をトントンと叩いた。

  木の切れっ端を拾ってクギ打ちもした。「危ないから止めろ」とは言わなかった。だから金づちを手にケガをした時の痛さは自らの体験で分かった。クギを打ちつけようとして指を叩いて悲鳴を挙げた。

  その悲鳴に「アッ!。マサオ。ケガしたが」と父は駆けつけ、赤く腫れた指を口にくわえ唾液で冷やした。金づちを使ったこともクギ打ちをしたことも文句は言わなかった。父は危ないからやらせないのではなく、やらせて失敗した時の痛さを体験するのもいいことだろうと黙認していたのかもしれない。ケガをして血を流した時の痛さ、金づちで指を叩いた時の痛さは自らの体験で知った。

  昔はどうしてあんなに頑丈な雪囲いをしたものだろう。柱と柱を組み合わせた雪囲いは平屋建ての屋根より高くなった。そして柱と柱の間を葦(よし)で編んだ簀の子で巻くと雪囲いは完成したが、光りは簀の子でさえぎられ、昼でも家の中は薄暗くなった。

  とにかく金づちを握ったり、くぎ抜きを手にして作業をする父の姿を見ているのは楽しく、作業が終わるまで小犬のようにまとわりついていたのを覚えている。玄関の雪囲いだけでも一日がかりの作業だった。

  そして雪囲い作業が終わると待っていたかのように雪が来た。車が走っている時代ではなく、冬の交通手段は馬に引かれたソリだった。人を運ぶための大きな箱を乗せた大型のソリを馬が引っ張って、わが家の前を飯詰駅まで往復した。馬を操り、馬を走らせる人はドドピーと鳴るラッパを口にしていたからみんな「ドドピー」と呼んでいた。

  屋根から下ろした雪はそのまま道路脇に積まれ、やがて春が近くなると雪の山は屋根に届いた。家に入る時は雪の山を削った階段から下りて、玄関をくぐった。屋根から下ろした雪が最後は屋根に届くほど積み上げたため、あれほど頑丈な雪囲いが必要だったのかもしれない。2月から3月の雪のピークを迎えると屋根の上から滑り台のようにして雪の山を下って道路に滑って遊んだ。車がない時代だったから道路はいつも遊び場だった。

  父は冬になるとソリを引いて行商に出かけた。黒いマントを羽織って耳被いの付いた黒い帽子を被って出かけた。母はソリを引いていく父の後ろ姿をいつも見送った。ワラグツを履き、雪囲いをくぐり、雪の階段を上って表に出た。冬。真っ白な雪景色に消えていく父の後ろ姿を今、思い出すとまさに櫛風沐雨(しっぷうもくう)の日々だった。

  先週の日曜日、晴れ間を見て寝室の窓の雪囲いをした。車庫の二階から3本の柱を運びビニールトタンを張り付けた骨組みを2枚上下に並べるだけの雪囲いである。一人でやっても30分ぐらいで終わるのだが、重い柱を担いで歩くのが年々、イヤになって昨年から親類の方から手伝ってもらっている。今年もと思ったら妻が「私が手伝う」と言ってくれた。その小さな体で大丈夫かと思ったが、「私だってやれるから心配しないで」と表に出てきた。

  車庫の二階から3本の柱とビニールトタンを張り付けた骨組み2枚を下ろすと妻は下で受け止めた。お陰で重い柱も半分ぐらいの軽さとなった。二人で柱を運び、雪囲い用の骨組みを運んだ。20分も掛からず作業は終わった。それから表と裏庭の枯れ葉を集め、秋の終わりを刻んだ。玄関のモミジは真っ赤に燃えきった枯れ葉を散らし、裏庭のイチョウは鮮やかな黄色の枯れ葉をタップリとまき散らした。

  枯れ葉の上に枯れ葉が折り重なっていた。同じモミジの葉、イチョウの葉でも良く見ると一枚いちまい表情が違っていた。絵本の「葉っぱのフレディ」が思い出された。枯れ葉たちは冬を前にこうして大地に引っ越し、死という変化を迎え、眠っているのかと思うと愛しいものだった。枯れ葉を集めながら、一日がかりで冬囲いをしていた父の姿を思い出していた。