こちら編集室「月日は矢のように」(11月26日)

  誘われて日曜日の夜、神岡町の温泉「嶽の湯」に一泊した。夕食前のひと時、露天風呂に浸かりながら月を見上げた。南東の上空にタマゴのような形をした月があって、煌々と輝いていた。露天風呂からの月見。体から疲れがスーと抜けていくようなぜいたく感にひたった。気がついたら夜の闇の底に一人の客が岩の上にジッと座っていた。そのシルエットの姿を観ていて似ているなと思った。もう亡くなって4年になるが、その人の面影にどこか似ているのである。懐かしさがこみ上げ、亡くなったその人を心の中で呼び出していた。市役所を57歳で退職し、60歳で亡くなった人だった。

  「オーイ。ナベさん。どうしてる」

  「オー。伊藤さんか。相変わらず頑張っているようだな」

  ナベさんは60歳の顔かたちのままの姿で心の中に現れ、相変わらず目が笑っていた。ナベさんがまだ市役所にいたころはよくそのナベさんの机の前に座って談笑したものだった。人付き合いが良くて、また聞き上手な人だった。人徳もあったろう。ナベさんのいる職場はいつも明るかった。ナベさんそのものが雰囲気を明るくする人だった。

  誘い合ってお酒を飲むにもいった。どんな時でも人を逸らさず、ニコニコしながら話に耳を傾けた。こちらがインターネットで新聞を始めた時は、パソコン操作も分からないナベさんだったが、「アクセス数はどこまで伸びた。スポンサーは付いたか」といつも心配していた。「インターネットのことは良く分からないが、伊藤さんが書く新聞ならきっと読まれるし、人気を呼ぶと思うよ」といつも温かく励ましてくれた人だった。

  写真は仙北町の池田家分家跡で市役所をなぜあんなに早く辞めたのかは分からない。でもその後、市の関連する職場で嘱託の事務局長をやっていた。こちらは寂しくなったり、少し疲れたりするとそのナベさんのいる職場を訪ね、お茶をご馳走になった。いつも「オー。伊藤さん。良く来た。良く来てくれた」と笑顔で迎えた。

  その笑顔のナベさんがある日、ポッカリと死んでしまった。「エー。なぜなの」とナベさんの訃報を聞いた時は悲しさよりもむしょうに寂しかった。ナベさんの家を訪ねたら、「主人は最近、疲れた。疲れたと言ってたので気分転換に伊藤さんを誘って飲むにでも言ったらと勧めていたんです」と奥さまが悲しそうに語った。

  そのナベさんが今、目の前にいる。露天風呂に入って半月を眺め、ふと気が付いたら岩の上にナベさんに良く似た人が座っていた。不思議な出会いだった。ナベさんの懐かしい笑顔を思い出しながら、風呂から上がり、待っていた妻たちと合流した。妻の友だち夫婦2組と誘い合っての温泉であり、夕食会だった。

  日曜日のその日も自分には休日ではなかった。午前中は大仙市の市長選に向けて立候補を表明している人の事務所開きがあり、午後は美郷町の町長選に出馬する旧千畑町長と旧仙南村長の決起大会の取材があった。また大川西根小学校恒例の「楽器まつり」も市民会館で午後からあった。

  楽器まつりも毎年、取材して紙面に取り上げている。しかし、新聞としては選挙戦の取材が大切だった。告示前だが旧千畑町長、旧仙南村長が決起大会でどれだけの動員力を見せるかは選挙前の取材として欠かせない。しかもどちらも午後1時半からの集会と時間まで重なった。このため旧千畑町の体育館にまず走り、そのムードを確認した後、旧仙南村の体育館に走った。

  そして急いで帰宅し、大仙市長選に立候補を表明している陣営の事務所開きを記事にした。友だち夫婦と神岡町の温泉に泊まる約束をしていた妻は出来れば早めに出かけてゆっくりしたかったろうが、どう急いでも記事がまとまったのは夕方だった。とにかくケンニチに大仙市長選に立候補を表明した人の事務所開きだけは入れて、神岡町へと走った。

  宿で合流した2組のご夫婦のうち1組は、大型犬のゴールデンリトリバーを飼っている愛犬家で、奥さまは花の知識が豊富で、妻が花を育てる切っ掛けを生んだ花の先生でもある。話は自然にわが家のパピヨンやゴールデンリトリバーの散歩など犬の話題になった。そして花の育て方、さらには大川西根小学校の楽器まつりまで話題になった。

  楽器まつりに行ってきたというその奥さまの「本当に今年の楽器まつりは良かった」との話を聞いた時、毎年、取材に行ってただけに少し残念な気もした。しかし、今年はどうしても取材は無理だった。翌朝、市役所を訪れたら大川西根小学校に子どもを入れているという職員の方から声がかかった。「伊藤さん。昨日、来れなかったようで・・・」と残念そうな口ぶりだった。「ああ。ごめんなさい」と日曜日は大仙市長選関連と美郷町長選の取材があったことを伝えたら、「ああ。そうでしたか」と納得した顔だった。

  その方のお子さんも6年生で、今年が最後の演奏会だったとか。その子どもも「楽器まつり」の記事が県南日々新聞に今年も載っているだろうと翌日、楽しみにしながらパソコンを開いたという。ところが記事が載ってないのにガッカリし、「お父さん。なぜ載らないの」と聞かれたという。そのお父さんは「こういうことで取材に来れなかったようだ」とその子に説明したが「なら、お父さんが写真を送って載せてもらったらいいのに」とさえ言われたとの報告も後で聞いた。

  また別な人からもメールで「大川西根小学校の楽器まつりの記事は毎年、楽しみにしています」と取材要請があった。そんなにもケンニチに掲載されるのが期待されていたのかと読者に気の毒な気がした。同時にありがたいとも思った。

  亡くなったナベさんが「伊藤さんが書く新聞ならきっと読まれるし、人気を呼ぶと思うよ」とインターネットで新聞を始めようと思いついた時、励ましてくれたナベさんの言葉が思い出された。そのナベさんが亡くなってもう4年が過ぎた。早いものである。月日は矢のように過ぎ去っていくのをこの頃、実感している。