こちら編集室「クリスマスツリー」(12月24日)

  妻の実家ではまだ幼い子どもたちのためにクリスマスツリーが飾られている。それに触発されたのかもしれない。デパートに寄ったら「クリスマスツリーがほしいナ」と妻がいう。「手ごろな値段だったら買ってみようよ」とおもちゃ屋を探し出して中に入った。さすがクリスマスシーズンだけに箱入りのツリーが大小用意してあった。

  あまり大きくなく、高さ7〜80センチほどのを選んで買い求めた。土曜日。そのセットを組み立て、玄関ホールに飾った。赤や青、緑、黄色の電球がチカチカと点滅し、ロマンチックで美しい。「あっ。いい。きれい。とてもきれい」と妻は喜んだ。自分も小犬のパピーを抱き上げ「ホラ。パピー。これがクリスマスツリーだよ」と話しかけたが、犬にとってクリスマスの飾り物は〃馬耳東風〃だったようだ。チラッと見たが、それだけだった。

  クリスマスツリーを買い求め、自宅に飾ったのは初めての事だった。クリスマスだからといってケーキを買い求め、食べる事もなかった。だが、飾ってみるとクリスマスもいいものだと嬉しくなる。仕事を終え、家に帰ると真っ暗な部屋の奥でパピーだけが「ワンワン」と叫んで迎える。午後5時になると温風ヒーターのスイッチが入り、ケージの中で過ごすパピーもその音を聞いて「そろそろ帰って来るな」と心待ちにしているのだろう。玄関のカギを開ける前から騒いでいる声が聞こえる。急いで着替えを済ませ、パピーを抱き上げ、そしてクリスマスツリーにも電気を入れる。

  「じゃあ。行って来るよ」「ウン。パピー。散歩に行ってお出で」。家に帰って妻と交わす言葉はそれだけだ。自分に「行ってお出で」ではなく、小犬に「行ってお出で」のあいさつである。糟糠(そうこう)の妻とはそういうものだろう。だが、そうした何でもない言葉でも表へ出るものにとってはホッとする。パピーを抱きながら、クリスマスツリーの赤や青、緑、黄色の電球の光りを眺め、表へ出る。小さな明かりだが雪も降って寒さで凍えそうな心をホッとさせ、ほのぼのと明るくする。買って良かったなと思う。

  幼いころ、クリスマスの夜は枕元に靴下を置いておくと眠っている間にサンタさんがやってきてプレゼントを入れてくれると聞いた。それを信じて靴下を枕元に置いて眠った。翌朝、目覚めて直ぐに靴下に手をやったが、靴下は空っぽだった。とてもガッカリしたものだった。朝食を済ませ、外へ出ると雪だった。

  「サンタさんて居ないんだ」と思いながら、近所の子の所に行くと新しいオモチャを手に遊んでいた。その子は「これ、サンタクロースのプレゼントだよ」と自慢した。ブリキで出来た自動車だった。明るく、ピカピカ光るブルーの塗料がまぶしかった。ブリキに塗られた塗料特有の甘い香りがした。ひどくうらやましくて、「サンタってお金持ちの子にはプレゼントしても、自分のような貧しい家には来て来れないんだ」とひがんだ。

  それ以来、クリスマスの夜は嫌だった。小学校に入り、サンタクロースは作られた物語だと分かった。そしてプレゼントも親がしてくれるものだというのも理解した。なら自分の家では無理だと思った。子ども心にも生活の貧しさは伝わってきたし、クリスマスのプレゼントを考える余裕なんて父にも母にもなかった。

  しかし、クリスマスは何もなくても正月の朝だけは父はニコニコしながら、布団から出てきた自分たちを居間の囲炉裏に座って迎え、「ホラ。やせうまっ子だ」とお年玉のプレゼントをした。母もニコニコして兄の名を呼び、自分の名を呼んだ。もらったあの小さな紙袋にはいくら入っていたものだろうか。思い出せない。だが、無性に嬉しかった。父も母もありがたかった。兄と二人、こたつに入ってお金を見せ合い、数えた。お正月を心ゆくまで楽しんだ。

  雪が消え、春を迎えた。草花が芽を出し、大地からは暖められた水蒸気がほんわかと立ち込めていた。まだ雪の残る近くの杉林を探訪した。春の陽射しを受けて、チューリップの葉に似た葉っぱが大地から伸びていた。チューリップだと思った。野に育ったチューリップならそれを抜いても叱られないだろうし、もしかしたらとても珍しい発見につながるのではと思った。

  新種のチューリップであり、それを持って行ったら高く売れるのではないかと想像を豊かにした。葉っぱに手を取ってグイッと抜き取った。当時、チューリップは球根から育つものとは知らなかった。抜いた葉っぱには根があった。とにかく珍しくて価値があって、これを家に持って行ったら父も母もお金を稼げると喜んでくれるだろうと思い込み、張り切った。

  ドロがいっぱい付いたその草を手に家に入ったら母は「何だけナ。それは」とビックリした顔をした。「そんなもの持って来るものでない」と叱った。「だってこれチューリップみたいな恰好をしてるよ。もしかしたら珍しいチューリップで、高く売れるかもしれないよ」と興奮気味に話したら、父も母も「マア。それはただの草だ。売れるようなものでネ」と笑った。笑いながらも「オメの年でモノを売るとか、売れないとか、そんなことは考えるものでネ」と父も母も口を揃えて寂しい顔に変わった。少しでもお金を稼ぐ材料になればと思ったチューリップに似た葉っぱはその場で棄てられた。

  クリスマスツリーを飾って、それを眺めていたら、靴下を枕元に置いて寝た晩のこと、そしてサンタさんは来て来れなかった悲しい朝の事、生活が貧しかったからプレゼントなんて望むのも無理だった事、雑草を新種のチューリップだと思い込み、それがお金になるのではと張り切って持ち帰った春の朝のことなどを思い出していた。

  わが家の小さなクリスマスツリーに嬉しいプレゼントがあった。それは10日の晩、アメリカの岩間さんとわらび座のホテル「ゆぽぽ」に泊まった時、そのホテルにあったクリスマスツリーに飾られていた「雪だるま」の人形がとても可愛く、商品かなと思って聞いた。

  売店の従業員は笑いながら「あれはうちの社員が作ったものなんです」と答えた。そうか社員の手作りかとあきらめた。そばにいたデジタル・アート・ファクトリーの海賀さんから後でメールが届き「伊藤さんの気に入ったあの雪だるまのお人形。うちの女子社員からプレゼントしてもらったから、こちらに来る機会があったら取りに来て下さい」とあった。クリスマス目前の日。海賀さんの所へと駆けつけた。

  雪だるまのお人形さん2個が用意されていた。嬉しいプレゼントだった。戻って妻に見せたら「あら。もらってきたの」と目を輝かせた。可愛い雪だるまのお人形さんはわが家のクリスマスツリーのマスコットとなった。そして今日、クリスマスイブを迎えた。「ケーキを買ったよ」と妻。今夜はささやかなイブを楽しもう。