こちら編集室「詩のいやし」(1月28日)

  心疲れた時やいらだつ時、何もせずにボーッとしたくなった時、詩を読む。立原道造や高村光太郎、三好達治、北原白秋や島崎藤村の詩、中原中也、萩原朔太郎、佐藤春夫らの詩に触れる。詩はいい。詩人たちは美しい言葉を次々と紡ぎ出し、文字にし、音楽のような言葉の旋律で人生を語り、愛を語り、悲しみを語り、自然を謳歌し、春や夏、秋、冬を語る。

  太宰治は確か「書くということは力仕事です。堅い岩に鑿をふるうような……」と言った。書くということの作業、言葉を紡ぎ出すことの困難さと苦労を「力仕事」と譬えたのだが、自分も書くという仕事の毎日に時々、クタクタになる。何年経っても書くという作業は楽にならない。取材を終えて、パソコンに向かってノートのメモに目を通し、記憶と照らし合わせながら記事を書くのだが、2時間から3時間……パソコンに向かって集中していると頭はクタクタに疲れ、ボーッとしてくる。それに年齢も加わった。書き終えるとグッタリと疲労し、濡れ雑巾のように身体を床に投げ出し、思い切り両手両足を広げ、ゆっくりと眠りたいと思う。

  単純明快で誰をも傷つけず、間違っても笑って済ませるような話題なら気楽に言葉を選び出せるが、書きようによっては相手を傷つけたり、結果が、重大な影響を与えるようなものだと言葉一つひとつに気疲れする。

  そんな時は書き終えると何もしたくなく、ただボーッとしていたい。そして詩人たちの紡ぎ出した美しい言葉の世界をさまよいたい。何も考えず、詩の中に描かれた言葉の旅に心を泳がせ、流されるままにしていると疲れがいくぶん、溶けていくのを感じる。詩人たちが生み出した言葉の美しさに、スーッと心の中が洗われていくのを感じる。彼らが紡ぎ出した言葉にはそうした癒しの力がひそんでいるのかもしれない。詩人の中で誰が好き、というわけでもない。ただ立原道造や高村光太郎、三好達治、北原白秋や島崎藤村の詩、中原中也、萩原朔太郎、佐藤春夫らの詩に触れるだけでいい。

  写真は美郷町の後三年駅で写す高村光太郎に「冬の詩」がある。

  冬だ、冬だ、何処(どこ)もかも冬だ

  見わたすかぎり冬だ

  再び僕に会いに来た硬骨な冬

  冬よ、冬よ

  躍れ、叫べ、僕の手を握れ

  大きな公孫樹(いちょう)の木を丸坊主にした冬

  きらきらと星の頭を削りだした冬

  秩父、箱根、それよりもでかい富士の山を張り飛ばして来た冬

  そして、関八州の野や山にひゅうひゅうと笛をならして騒ぎ廻る冬
  (以下、略)

  と冬を無邪気なほど歓迎した。

  この人にはさらに「きっぱりと冬が来た」で有名な「冬が来た」という詩もある。「冬だ、冬だ、何処もかも冬だ」と書いた躍るような言葉。さらに「きっぱりと冬が来た」と断定した強烈な表現。何て強い言葉を高村光太郎は紡ぎ出したことかとその巧みさに感心する。この詩を読んでいると嫌な冬に負けてはいられないと元気をもらう。寒くて意地悪な冬に怖じ気づいてはいられないと頑張る意欲が沸いて来る。朝の辛い雪寄せも、雪を相手に遊んでいるようなゲーム感覚となる。高村光太郎の詩にはそうした「力」が潜んでいる。

  愛の詩では娘のためにささげた吉野弘の「奈々子に」が大好きだ。

  赤い林檎の頬をして

  眠っている  奈々子。

  お前のお母さんの頬の赤さは

  そっくり

  奈々子の頬にいってしまって

  ひところのお母さんの

  つややかな頬は少し青ざめた。

  お父さんにも  ちょっと

  酸っぱい思いがふえた。

  唐突だが

  奈々子

  お父さんは  お前に

  多くは期待しないだろう。

  ひとが

  ほかからの期待に応えようとして

  どんなに

  自分を駄目にしてしまうか

  お父さんは  はっきり

  知ってしまったから。

  お父さんが

  お前にあげたいものは

  健康と自分を愛する心だ。
  (以下略)

  この娘にささげた素敵な言葉を前にすると何も言うことはない。「唐突だが」という表現の見事さ。「お父さんがお前にあげたいものは健康と自分を愛する心だ」の優しさ。何と言おうか。めくるめくような神の愛を感じる。娘がいて、娘を愛せるこの詩人がうらやましい。

  島崎藤村の「初恋」、高村光太郎の「あどけない話」、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」。中原中也の「汚れつちまった悲しみに……」も好きだ。

  汚れつちまった悲しみに

  今日も小雪の降りかかる

  汚れつちまった悲しみに

  今日も風さへ吹きすぎる

  この素敵な言葉の韻律にどんなに心震わせたことか。

  あはれ

  秋かぜよ

  情あらば伝へてよ

 ──男ありて

  今日の夕餉に  ひとり

  さんまを食(くら)ひて

  思ひにふける  と。

  こうした恋にどんなに憧れたことか。

  でも、いつ読み返しても好きなのは高村光太郎の「レモン哀歌」だ。

  そんなにもあなたはレモンを待っていた

  かなしく白くあかるい死の床で

  わたしの手からとった一つのレモンを

  あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

  トパアズいろの香気が立つ

  その数滴の天のものなるレモンの汁は

  ぱつとあなたの意識を正常にした

  あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ

  あなたの咽喉に嵐はあるが

  かういふ命の瀬戸ぎはに

  智恵子はもとの智恵子となり

  生涯の愛を一瞬にかたむけた

  それからひと時

  昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして

  あなたの機関はそれなり止まった

  写真の前に挿した桜の花かげに

  すずしく光るレモンを今日も置かう

  この大好きな詩を目で追うと智恵子に生涯をささげた詩人・高村光太郎の愛のコンチェルトが静かに心の中を流れる。高村光太郎が晩年、岩手県花巻市で暮らした山荘を訪れたことがある。智恵子の思い出と共に過ごした山荘は広さわずか7.5坪しかない粗末な土壁の小屋だった。その小屋の中で独居自炊した。そして光太郎は智恵子に語った。

  「案内」という詩を通じて。

  三畳あれば寝られますね。

 これが水屋。

 これが井戸。

 山の水は山の空気のように美味。

  あの畑が三畝、いまはキャベツの全盛です。

 ここの疎林がヤツカの並木で、小屋のまわりは栗と松。

 坂を登るとここが見晴らし、展望二十里南にひらけて

  左が北上山系、右が奥羽国境山脈、

  まん中の平野を北上川が縦に流れて、

 あの霞んでいる突きあたりの辺が金華山沖ということでしょう。

 智恵さん気に入りましたか、好きですか。
(以下略)
 
  こんな詩を読んでいると涙がとどめもなく流れる。活字が潤んで見える。それでいい。心疲れた時、いらだつ時、濡れ雑巾のようにクタクタに疲れた時、体を長椅子に投げ出して寝転び、黙って詩を読んでいる。詩は心を癒し、疲れた心を洗う力を持っている。