こちら編集室「春を待ちわびて」(3月4日)

  雪はまだ降り続けている。もう3月だというのに未明には除雪車が走り、早朝の雪寄せがまるで日課のようになってしまった。「もうたくさんだ」「いい加減にしろ」と言いたくもなる。大曲市では鉄骨の空き店舗が屋根の雪の重みで倒壊し、大きな被害も出た。そのせいか最近になって雪下ろし作業があちこちで見られるようになった。屋根の雪の怖さが〃倒壊〃というニュースで実感したのだろう。

  わが家でも2回目の雪下ろしをしてもらった。もう3月に入るので降る雪よりも雪解けの方が進むだろうと期待したが、一向に雪は休む気配を見せない。屋根の雪下ろしや家庭用除雪機で大怪我をしたという雪に絡む事故も多かった。その一方で南の国からは花便りも聞こえて来る。日本列島の寒暖の差、不公平さに文句も言いたくもなるが、なぜか雪を憎めない。雪がもたらす美のせいか、雪国の宿命としての諦めなのか、心のどこかで雪を迎え入れている。「酒は涙かため息か」の歌ではないが「雪は涙かため息か」である。

  3月2日。この日朝も雪寄せをした。うっすらと新雪が降って、汚れ一つない美しい朝だった。アノラックを着た妻も勇んで表に出てスノーダンプを手に雪寄せをした。この冬は雪道で滑って転倒しては何もならないと早朝の散歩は止めた。除雪車の走った後の道は鏡のようになってツルツルと良く滑る。

  健康のためとはいえ、転倒してケガをしたのではたまらない。散歩を止めた分、雪寄せで体を動かそうとしているのだろう。小さな体で懸命に雪を運ぶ姿を見ていると健気で、意地らしい。

  大曲市役所除雪センターの記録では3月2日朝で累計降雪量は658センチに達し、最大積雪深は2月27日の172センチだったとか。昨冬の累計降雪量は378センチで、最大積雪深は94センチだった。比較すると累計降雪量は約3メートルも多く、積雪深も約80センチも違うことになる。

  最近の大雪では1998年の冬で、累計降雪量は767センチ、最大積雪深は170センチだったという。7年の間を置いて豪雪となった。それにしても疲れた。フーとため息をついて未明の空を見上げた。半月が煌々(こうこう)と輝いていた。月明かりが「今日は晴れますよ」と励ましているような感じをさせた。

  実際、夜が開けたら青空も広がって久しぶりの太陽も拝めた。その光りの暖かさにやはり春3月だと思った。日中、車の中は太陽熱で温まり、暖房が息苦しいほどだった。やはり3月だ。虫も目覚める「啓蟄」も迎える。

  大曲高校通りは背丈より高い雪の壁それにしても豪雪だった。屋根から下ろした雪が山となって屋根にくっついた状態の家があちこちで見られる。まるで雪の中に家があるような風景だ。自分の小学生のころはそうした風景は当たり前だったが、今は珍しくなった。

  幼い頃。屋根から下ろした雪が屋根にくっつくとその雪の山を上って屋根の上で日向ぼっこをしたものだった。ちょうど春3月の今ごろだったと思う。ハシゴを使わなくても屋根に上がれるのが嬉しかった。幼い頃、ハシゴを使って屋根に上がろうとすると「危ないから止めろ」と必ず父に叱られた。

  それが3月になると雪の山が屋根にくっつき、自由に屋根に上がれるようになるから楽しくてしょうがなかった。ゴワゴワと鳴るトタン板。長靴を履いて静かに屋根を歩かないと下で裁縫をしている母に叱られるので、ユックリと足音をしのばせながら屋根の上を歩いた。

  屋根の上には3月の青空が広がっていて、太陽がまぶしかった。屋根から眺める風景は最高だった。どこもかしこも雪で真っ白だが、その美しさが何とも言えなかった。1月、2月。学校への長い雪道を冷たさで足の指先が痛むのをこらえながら通った苦しさも忘れさせ、屋根の上で歌ったのが「春が来た」の歌だった。この歌ほど春の喜びを伝えるものはなかった。

  「春が来た。春が来た。どこに来た。山に来た。里に来た、野にも来た」

  コールタールを塗った真っ黒いトタン板に腰を下ろし、ポカポカと湯気が上がるような雪景色を眺めながら歌った。屋根の上は自由で幸せに満ちた空間だった。即席ラーメンが生まれたばかりの年で、お湯を入れて「3分待って下さい」の注意書きも待ちきれず、食べたものだった。煎餅をかじっているような不思議な味だったが、屋根の上で食べているせいか美味しいと思った。

  冬が辛かった分だけ春が楽しかったのかもしれない。屋根まで届いた雪の山を上り、屋根の上を歩き、腰を下ろし、隣の家の屋根越しにちょっぴり見えた東山の頂きが美しかった。東山は春が近づくと白から淡いインクを溶かしたような青に変わっていた。山にも春が来たのを実感させた。

  こうして幼い頃を思い出していると囲炉裏の側で毎日、裁縫をしていた母の声が聞こえて来るようだ。窓を開け、そこから顔だけを出して屋根に向かって母は叫んだ。「マア。魚屋さ行ってリンゴ買ってケ。リンゴ食べるべ」。いつも囲炉裏の側で裁縫をしていた母は冬、ゴールデンとかフジとかの真っ赤なリンゴを食べるのを楽しみにしていた。縫い物の手を休め、リンゴの皮をむいて、うっすらと塩をまぶして良く食べたものだった。「やっと春だな……」。春を待ちわびていた母の声はしわがれていた。