こちら編集室「多忙な日々」(4月1日)

  多忙な日々が続いている。土日もなく、夜の取材も入る。正直言って、これほど仕事に追われた経験は過去になかった。どこかでふーと息を抜きたいと思うが、どうしても取材し、書かなければならない仕事が入ってくる。春4月に入った。何てあわただしい季節なのだろう。ため息をついている。

  市町村合併という歴史的な場に立ち会ったせいかもしれない。それによって間もなく大仙市長選を迎え、昨日3月31日からは知事選も始まった。こうした選挙関連もあって、2月からほとんど休めないでいる。それだけに厳冬の2月、初春の3月はとても長く感じられた。2月は夜の取材もあった。加えて知事選の動きもあわただしくなって、立候補予定者を追って秋田市へと駆けつけた。

  そして田沢湖・角館・西木合併協議会から離脱を表明していた角館町の当時の太田芳文町長が辞職を表明、それに伴う出直し町長選も組み込まれることになった。角館町長選は3月8日告示、13日投票と決まり、対立候補として石黒直次さんが名乗りを上げた。

  3月に入ってからはほとんどの日曜日がつぶれた。大仙市誕生に向かって合併する市町村の閉町式や閉市式が日曜日となった。しかも、知事選へ立候補を表明している人がやはり日曜日に集会を開いて、その取材も重なった。

  12日の土曜日は寺田知事が真木ダム建設中止を巡っての説明会を当時の大曲市と太田町で開くため、その取材で夜までかかった。そして13日の日曜日は大曲市の廃市式、夜は角館町長選の開票だった。

  大曲市の閉市式の記事を仕上げ、夜7時過ぎには角館町へ走った。役場会議室での開票作業を見守り、新人の石黒さんの当選がほぼ確定と分かってから石黒事務所へと走った。合併か単独立町かを問う出直し町長選だった。自立を訴える太田さん。合併を主張する石黒さん。町の空気からして石黒さんの当選はある程度、予測は出来たが、どちらが勝ってもいいように2本の予定原稿を書いておいた。

  石黒さんの勝利が確定してからその喜びの様子を取材し、帰宅したのは夜11時近くだった。それから原稿に手を加え、バンザイの写真を入れて編集し、ケンニチに最新ニュースとして流し終えたのは12時近かった。そのまま眠ったらいいのに飲んべえはやはり仕事を終えると飲みたい。ホッとひと息入れながら晩酌をのどに流したのは午前0時過ぎだった。

  しかし、角館町の石黒さんの勝利はその後の田沢湖町、西木村との合併に向けての波乱のドラマの序曲に過ぎず、角館町の動きからは目が離せなかった。石黒さんの初登庁から3日目の16日には角館町議会の全員協議会があって、その取材に向かった。だが、目の前で展開される協議会は自立派の議員が勢いづき、「議会のルールに反する」などと空転するばかり。当初から角館町の問題に密着した取材をしていれば議会の人脈も分かったのだが、行き当たりばったりの取材だけに議員の顔も名前も分からずただオロオロするしかなかった。

  午前中いっぱい角館町役場に張りついたが、角館町だけの問題ではないと午後からは西木村へと走って、田沢湖町と西木村との合併協議会の動きも取材、そして石黒角館町長がその協議会の前に両町村の首長と会って合併に向けての大きな前進があるのが分かった。その日はそれでどうにか記事を書けた。

  今度はその2日後の18日夜、共産党の知事候補予定者が大曲市で集会を開くため再び夜の取材となった。そして19日の土曜日の夜は新作花火コレクション。翌日は花火サミット。その翌日は大仙市に立候補を予定している元大曲市助役・高野昭次さんの「総決起集会」。世間で言う3連休は一日も休めない無連休。さらにその休み明けの22日は新市「大仙市」の誕生で早朝取材。

  さすがにこのころになると疲れもたまったのか、記者室で昼、無意識に長椅子に横になったらそのまま眠ってしまった。コートも掛けずに眠ったため、寒さで目が覚めた。危うくまたカゼを引くところだった。

  そして再び角館町が合併に向けて動きだし、27日の日曜日午後には田沢湖町へと取材に向かった。休止していた田沢湖・角館・西木合併協議会が再開したのである。その協議会で3町村の合併項目が合意すれば、いよいよ合併は確定する。どんなことがあってもこれも見逃されない。なごり雪が降る中、田沢湖町へと急いだ。取材を終え、帰宅してから再び原稿書き。2月、3月の土日は取材に出かけ、家に戻っては原稿で、気の休む暇はなかった。月曜日。目覚めると「行きたくないナ」という不登校の子どものような気分に陥っているのが分かった。その日は早めに帰宅した。しかし、その翌日は寺田知事を囲む大仙・仙北の集い。再び夜の取材となった。

  そして30日朝、田沢湖町の乳頭山で秋田市の高齢者の男女43人が遭難というとんでもないニュースが飛び込んできた。だが、午前7時までのNHKニュースでは「間もなく蟹場温泉に下山する」との携帯電話からの連絡があったとのことで「ああ。それなら」と安堵。出社してから寺田さんの集いを書き始め、昼近くまでには仕上げた。そして乳頭山での遭難のその後を聞いてみようと角館署に電話を入れたら、「遭難者の無事はまだ確認が取れてない」とまるで怒っているような声。

  遭難した人たちから携帯電話で「これから下山する」と連絡があったのは午前6時ごろだったはず。それから既に5時間以上の時間が経過している。田沢湖町役場にも電話を入れて確認を取ったらやはりまだ下山してないとのこと。「これは大変な事になりそうだ」とあわてた。現場に行くべきかどうか。その前にもう少し情報がほしい。広域消防本部へと駆けつけた。そこが遭難グループ救助のため、消防署員が蟹場温泉近くに設けた捜索現地本部との連絡指揮所となっている。

  消防本部で現地の様子を聞いたら「伊藤さん。山は大変な雪。四輪駆動でないともう登るのは無理。ほかの新聞社の方もやはり登れずに苦労してました」との事だった。現地に向かうのはあきらめ、同本部で情報を収集しながら、原稿締め切り時間ギリギリまで待って43人の無事を確認、とにかく第一報だけでもと夢中で仕上げた。

  その翌日からは知事選が始まった。そして迎えた4月。3日の日曜日は午前中に消防訓練、そして午後からは大仙市長選に出馬を表明している前大曲市長の栗林次美さん、前仙北町長の伊藤稔さんの総決起集会の取材が控えている。そして10日にはその市長選も告示される。この二つの選挙が終わらない限り、休める日はなさそうだ。表紙写真の更新は待ってもらいたい。