こちら編集室「春風のような」(4月29日)

  取材もあって27日、久しぶりに田沢湖畔を訪れた。田沢湖町生保内小学校の子どもたちが湖畔のクリーンアップ活動を実施するという。「本格的な観光シーズンを前にきれいな湖畔にして観光客を迎えたい」。地域を大事にしようとする優しくて、ほのぼのとした学校の企画が嬉しくて、ファクスでの取材案内に喜んで応じた。4年生から6年生まで176人の児童がビニール袋、はさみ火ばしを手に湖岸を歩き、ゴミを広い集めていた。

  青空が広がり、湖はルリ色に輝いていた。ほおをさする風がさわやかだった。ひたひたと打ち寄せる波の音が優しかった。湖畔を背に歩く子どもたちの姿はまるで映画のシーンのように美しかった。カメラを手に近づくと目の合った子どもたちから「コンニチワ」と笑顔のあいさつが返ってきた。その笑顔には純粋さがあった。見知らぬ自分を疑おうともせず、安心して受け入れてくれているのだ。

  これが都会の子、特に児童殺傷や教職員の殺傷事件のあった大阪の子だったらどうだろう。きっと見知らぬ大人が近づいたら、警戒心を抱き、場合によっては悲鳴を挙げて逃げ出すかもしれない。

  何の警戒心も不信感も抱かず、当たり前のように「コンニチワ」とあいさつを交わし、「教頭先生知らない?」と尋ねると「センセイー、センセイー」と教頭先生を大声で呼んでくれた。大人への信頼を何の疑いもなく持っている秋田の子どもたち。この信頼関係こそ大事にしたいものだと思った。

  お隣のお母さんから先日、缶ビールのセットを頂いた。もう90歳を越えている。この冬も雪が降り積もった朝は自宅前だけでなくお隣の玄関前の雪も寄せた。除雪車が走った朝はお隣の分も合わせると1時間前後の重労働となった。今年は妻もスノーダンプを買い求めて手伝った。

  缶ビールは難儀させたお礼だという。お隣の母さんは一人暮らしだ。90歳を越えながらもまだ元気に自宅で縫い物をしている。しかし、いくら元気だとはいえ、雪寄せは無理だ。ましてや除雪車が置いていく重い雪の塊を寄せるのはどうしたって不可能だ。雪国の生活はお互い助け合わないといけない。とはいえ自宅前の雪ぐらいは自分で寄せるのが原則だ。しかし、高齢者や体の不自由な方のため、市では玄関前だけ安い料金で雪を請負で寄せてもらう制度をつくっている。

  お隣の母さんもその制度を利用しているようだが、請け負っている方はお隣だけでなく何軒もあるのだろう。大雪の朝だと回ってくるまで時間もかかって、隣に来るのはいつも遅い。そんなこともあって頼まれたわけではないが、ずーっと前からお隣の雪寄せはわが家でやっている。

  ボランティアとも思ってない。ただそこに雪があるから、当たり前のことだと思って寄せている。だが、大雪だった今年は〃朝飯前〃の仕事とは言えないほど難儀した。自宅の玄関前から車庫前、それに勝手口への通路の雪をスノーダンプで寄せ、流雪溝へと運んで流す作業は雪の量によっては1時間以上もかかった。さらにお隣の家の分となるとまた20分ほど掛かった。

  時には仕事を終え、帰宅してからの作業もあった。雪寄せをしている間、お隣のお母さんが顔を出したことは一度もない。年齢からも寒さは身に染みるだろう。まだ暗い早朝や夕方の闇が下りると、ほとんど家に閉じこもったままで過ごした。それでいながら自分たちが雪寄せをしている音をジッと家の中で聞いていたのだろう。

  先日、缶ビールの贈り物を手にわが家を訪れたそのお母さんは「マサオさん。本当に助かった。助けてもらった。ありがとう」と拝むような姿勢でお礼を述べた。こちらはむしろ申し訳ないような気持ちになって「母さん。そんなにお礼なんて言わなくていいから。雪寄せはむしろ楽しみながらやったんだ」と妻と二人で釈明した。「いやいや。マサオさんにカズコさん。あなた方のおかげで本当に助けてもらった」とその母さんはそれでも何度も何度もお礼を述べた。

  上がり框(かまち)に腰を下ろし、「今年は何と。5回も雪下ろしをした。家が古くなったから、東京にいる娘が心配して『お金のことは心配しないで、雪下ろしだけはきちんとやれよ』と何度も電話してきて」と話した。確かにこの冬、お隣の屋根には不思議なほど雪が積もった。気の毒なほどだった。

  1月、2月は一夜で30センチから40センチも降った。まさにドカ雪の朝だった。そうした日、お隣の屋根を見ると今にも押しつぶされそうな雪の量になっていた。一人で暮らしながらどんなに不安だったのか。仕事から帰るとその日のうちに雪下ろしをしてもらったようで屋根には雪がなかった。

  それを見て「ああ。お隣で雪下ろしをしたんだ」とホッとしていた。だが、それから数日するとまた同じような量の雪が積もっていて、よそ事ながらゾッとした。昔のままの低い土台の平屋建てのため、風に吹き飛ばされた雪は低い方へ、低い方へと積もっていくのだろう。「ああ。またあんなに積もって」と気の毒に思っていると、翌朝は雪下ろしの作業員の方が来ていた。まさに雪との格闘だった。最後は屋根から下ろした雪が屋根まで届いた。3月になっても雪は降り続け、もう「降ろす場所もない」と限界を迎えた。

  雪下ろしに来ていた作業員の方も「今年の雪にはあきれたよ」とその雪の山を前に困惑し、「今度、雪下ろしをする時はまずこの雪の山を何とかしないといけないな」と困り果てていた。しかし、ちょうどそのころから雪は収まり、春3月らしい気配を感じさせるようになった。そして4月に入ってお隣の雪の山もやっと姿を消し、大地が顔を出した。

  フキノトウが咲き、ツクシが伸びてきたのを見てお隣の母さんはホッとしたのだろう。缶ビールの贈り物を手に玄関をくぐると90歳を越えた高齢とは思えぬ美しい笑顔で「マサオさん。カズコさん。今年も本当にありがとう。あなたたちのおかげでこうして春を迎えることができた」とお礼を述べた。嬉しい言葉だった。春風のように心をくすぐる優しくて、嬉しい言葉だった。