田んぼに水が入り、田植えも始まった。田んぼを耕すトラクターの音、そして田植え機の音が早朝の散歩時に響く。小犬のパピーを右側に、妻と並んで東山に向かって毎朝、歩いている。小犬のパピーは相変わらず小さなお尻を左右に振って、四つ足を前に進める。お尻を振るのはパピヨン独特の歩き方なのだろうか。亡くなったが、柴犬のアキはもっと落ち着いた歩き方をしたものだったと思う。
5月に入って青空を期待したが、気温は低く流れ、曇り空や雨の日が多かった。それだけに朝の目覚め時に青空が広がっているのを目にすると「オッ。今日は天気がいいよ」と嬉しくなってつい声も大きくなってしまう。午前5時。もう太陽は燦々と輝いている。
東山に向かって歩く。朝の東山はインクを溶かしたような薄緑色に霞んでいる。山肌の雪も日増しに消え、若葉が萌える。東山が一年中で最も優しい顔になってきたなと思う。「お早うー」。東山からそんな声が聞こえてくる。太陽が照らす。東山と太陽に向かって歩く。
先日、真木真昼県立自然公園を美しくする会の取材で太田町の奥羽山荘を訪れた。その会議の場で東山の全貌をパンフレットにしたのを頂いた。真昼岳は1059メートル、音動岳996メートル、黒沢大台山832メートル、大甲1110メートル、薬師岳1218メートルと山々が連なっている。
自分にとって、これらの山々の連なりが一つの「東山」なのだが、今度はそのパンフレットを手に真昼岳、大台山、薬師岳と目でたどってみたい。大好きな東山だけに登ってみたいという憧れもあるが、もう足に自信がない。せめて東山がもっとも良く見える場所に立って、パンフレットと見比べ、連なる山々にあいさつをしたいと思う。
東山に向かって歩く。太陽がまぶしい。後ろを振り返ると妻と自分の長い影が道路に落ち、パピーの可愛くて、お茶目な影も落ちている。2人と1匹の平和な影だなと思う。
このごろ、なぜか石原裕次郎の歌「恋の町札幌」を思い出す。歌謡曲の作詞家って、何て素敵な言葉を紡ぎ出すものだろうとうらやましくなる。また、歌謡曲の作曲家って何て美しいメロディを描けるものだろうとうらやましくなる。自分にはその才能のかけらさえもない。調子外れでも、せめて歌って楽しみたい。
石原裕次郎の「恋の町札幌」は、作詞作曲が浜口庫之助だった。この人は素敵な歌をたくさんこの世に残している。
時計台の 下で逢って
私の恋は はじまりました
だまってあなたに ついてくだけで
私はとても 幸せだった
夢のような 恋のはじめ
忘れはしない恋のまち 札幌
石原裕次郎はこの歌をしびれるような低い声で、ユックリと歌った。声に感情を込め、女心の寂しさをうまく表現した。男っぽい裕次郎だったが、この歌にはとても愛着を込めていたような気がする。それが歌詞の最後の「恋のまち 札幌」の〃サッポロ〃をとてもメリハリを付けた、歯切れのいい表現となったような気がする。
この歌をお酒を飲み、カラオケで歌ったことはまだ、ない。車を運転している時や散歩の時、思い出しては低く口ずさむ程度である。それなのにこの歌を歌うと自分自身が恋に落ちたように、胸が切なくなる。初めて握った女の人の手の温もりが伝わってくるような切なさだ。
自分のそうした気持ちが妻にも伝染したのか、最近、朝の散歩時に妻もこの歌を途切れ途切れだが、低く歌っている。それを聴いて「ねえ。いつかまた札幌に行ってみないか」と誘った。札幌には妻と一緒になってこれまで2回、観光に行ったことがある。どちらも新緑の美しい時だった。大通り公園を歩き、時計台の下にも立った。大きな時計台を見上げ、二人で交互に記念写真を撮ったのを覚えている。
まだ20代と30代の頃だった。そう思うと随分、時が経った。もう一度、北海道を旅してみたいなと思う。「北海道?。あなたが行きたいのなら私はいつでもいいけど」と妻はいう。「そうだな。今年はもう無理だけど、来年とかの連休時に札幌とそうそう、まだ行ったことのないあの富良野を観てみたい」と望んだ。「恋の町札幌」の歌詞にはアカシアも登場する。アカシアの花の咲くころの札幌を歩いてみたいと思った。朝の大地に二人と一匹の長い影が落ち、帰りはその影を追うように歩いた。
はじめて恋を 知った私
やさしい空を 見上げて泣いたの
女になる日 だれかの愛が
見知らぬ夜の 扉を開く
私だけの 心の町
アカシヤも散った恋の町 札幌
石原裕次郎のこの歌が遠くの記憶のように頭の片隅に響いた。甘く、切ない恋の歌が記憶の片隅に響いた。