こちら編集室「カッコーの鳴くころ」(6月3日)

  夕方、自宅に帰って小犬のパピーを抱き上げ、近くの横手川堤防を散歩している時が一番、ホッとする。柴犬のアキが元気だったころも、やはり夕方の散歩の時間がとても幸せな気分に満ちていた。その時間帯、妻は台所に立って夕食の準備中だ。小犬との散歩を終えて帰ったら風呂を浴び、妻の手料理でビールを飲める。幸せと思えるのは仕事を無事、終えた開放感とそうした楽しみがあるからだが、家庭の平和とはそうしたささやかなものではないだろうか。しかも、青空さわやかな6月。緑の季節である。

  この季節、朝夕には遠く、近くからカッコウの声がする。「カッコー。カッコー。カカカッカコー」。カッコウは様々な鳴きかたをする。その甲高い鳴き声は牧歌的で、木管楽器の響きにも似ている。そのカッコウの飛び立つ姿を犬との散歩中、何度か見かけた。野バトより一回り小さいが、平和の使者と呼ばれるハトはその形容通りムックリ型で親しみやすい。一方、カッコウの濃い灰色のその姿はまるで〃戦闘機〃のように鋭角だ。托卵という習性を持っており、我が子と思って抱く親鳥の子より早く卵からふ化し、仮親の子の卵は巣の外に除外するというから戦闘性が強いのかもしれない。

  ともかくカッコウの鳴くころの季節が好きだ。堤防両側の斜面は今、盛んに雑草も伸びようとしている。歩いているともう自分の腰ほどの背丈となったイタドリやスイバが勢いづいている。また麦や稲のような姿をした雑草も背を伸ばしている。その青々とした草むらから顔を出しているのは菊の花に似たハルジオンやヒメジョオン、それにマーガレットも群れて咲き出した。

  雑草の中で揺れ動く真っ白なマーガレットは、夏服姿の女子高生の笑顔に似ていると思う。その白い花たちを包み込むイタドリやスイバ、麦や稲のような形をした草たちはどこか鬱陶しいが、嫌いにはなれない。

  4年前の春、胃の具合を悪くし、一度だけ吐血したことがある。主治医の先生から胃カメラの診察を受けた結果、「食道潰瘍」と診断された。どうにか薬で回復したが、患った体で堤防を歩いて不思議に思ったのは、それまで鬱陶しいと思っていた雑草も一つひとつに個性があって、とても愛しいものに見えたからだ。特に雨の日、銀色の水玉を浮かべた雑草の葉っぱの美しさには感動したものだった。

  「道端の草だって、こうして生きようとしているんだ」と名の知らぬ草たちのたくましさから少しでも学ぼうとその時、思った。それから野の草の名前を覚えたいと「山野草ガイドブック」を買い求め、堤防を歩く時はズボンのポケットからその本を取り出して、写真と見比べているのだが、中々、鑑定がつかない。鑑定がつかないどころか、自分の本には掲載されてないことが分かった。図書館に行ってもっと詳しい本で調べたら、「イヌムギ」「スズメノチャビキ」「カモガヤ」などの名で、いずれもイネ科の植物として紹介されていた。

  小学校のころ、理科の時間だったと思う。「表で植物の観察会をやろう」と先生の引率で、毎日、往復している通学路を皆で歩いた。そのころの通学路はまだ未舗装で、左右は田んぼだった。田植えの終わった6月のあぜ道は笹やススキ、エノコログサ、それに今、名前の上げたイネ科の植物が一面に生い茂っていた。まさに緑に染まっていた。

  男の先生は植物の観察会だからと、道端に咲いているユリの花をノートにスケッチさせて雄しべ、雌しべの見分け方などを教えた。あぜ道と通学路の間には水路があって、田んぼに注ぐ水が勢い良く流れていた。あぜ道には上に伸びる草だけでなく、オオバコや三つ葉のクローバーも頑張って生育していた。あぜ道の中の小さな花を見つけたいと草を踏んで歩くと、ピョンピョンと青ガエルや殿さまカエルが飛び出した。

  今はそのカエルも手にするのは怖くてどうにもならないが、子どものころはカエルを手のひらで包み、ヌルヌルしたその小さな生き物が格好の遊び相手となった。ましてや殿さまカエルとなると貴重品だった。あぜ道から飛び出した殿さまカエルを見つけると仲間たちは「オー。大きい。スゲー」と大喜びで追った。

  女の子たちはそのカエルに悲鳴を挙げて逃げた。男の先生は「コラーッ。カエルをいじめるなよ」と大声で注意した。青々とした田んぼ。笹や三つ葉のクローバー、オオバコ、ススキ、エノコログサ。6月の空の下で草の緑が鮮やかに輝いていた。この季節を大事にしたい。わが家ではミヤコワスレも咲き出した。5月に次ぐ、花の季節だ。