こちら編集室「一般常識という不思議さ」(7月8日)

  雨を迎えようとしているのか、週明けの東山は山肌を深い藍色に染め、静かに横臥していた。頂きは厚い雨雲で覆われ、見様によってはそれが布団のようにも思えた。朝の東山は雲の布団を被って横たわっている。そんな人間的な姿に思えた。

  「ええ。そうよ。雲は私の掛け布団なのよ。ふんわりと雲が包んでくれた時って、とても気持ちいいものよ。そして雲は私が求めると雨を運んでくるの。雨は私と私の子どもたちである木々や草花にとって大切なシャワーなの」。

  東山からの風がそう答えた。その風は田んぼを渡り、緑色のジュウタンをそよがせた。5月。田植えが終わったばかりの苗はとても弱々しかったが、東山の息吹を受け、今は青年のようにたくましく成長した。

  朝。日増しに深みを増す緑の田んぼを見つめ、藍色に染まった東山を遠望しながら歩いている。最初から雨だと散歩は中止するが、降るか降らないか分からない曇り空なら、妻は折り畳みの傘を入れたナップザックを背負って家を出る。ナップザックは雨になったら小犬のパピーを抱き込む袋にもなる。

  写真は協和の道の駅前で写す幸いにして今年は散歩中、土砂降りに遭ったことはない。だが、視界に入るのは田んぼだけのだだっぴろい孤独な環境で、鉛色の暗い雲の広がりを見上げると、その雲の上から龍でも下りて来そうな不気味さを感じる。だからなのだろう。妻は音に神経を遣い、その音を話題に何とか話のタネを見つけ、心細さを克服しようとする。

  「あなた。聞こえた」。「何が」。「今の音よ」。「えー。なに?」。「ホラ。カタコト、カタコトって電車よ。電車の音」。

  その妻の呼びかけに耳をすました。聞こえた。確かに聞こえた。カタコト、カタコトとレールの上を走る電車の音。「ああ。聞こえたよ」と答えると妻も安心したのか「ああ。良かった」とほほえんだ。「電車の音が普段は聞こえないのに、今日はこんなにも近くに響くからやっぱり雨になるんだね」と話した。「ウン。そう。天気予報でも今日は雨だって、さっき言ってた」。

  たったこれだけの会話なのだが、心が通じたような満足感に満たされるのか、少し離れていた妻は寄り添うように横に並び、足並みを揃えた。小犬のパピーは二人の会話とは無縁のようにただひたすら前へ、前へと四つ足を運んでいる。

  「パピー。これ!。パピー。電車の音。聞こえた?」。

  妻は歌うような調子で、小犬のパピーに呼びかけた。パピーはチラッと振り返って、流し目の目線を見せた。それが「ウン」という仕草らしい。「そう。パピーにも電車の音が聞こえたんだ。良かったね、パピー」。

  何が良かったのか分からないが、パピーにも雨が近づいてきた気圧配置で、遠くの音が近くになって響く自然現象が届いたことを喜んでいる妻の無邪気さがおかしかった。しかし、なぜ雨が近づくと遠くの音が近くになって聞こえてくるのか?。電車だけでなく美郷町のお寺の鐘の音も曇り空になると鮮明に聞こえてくる。学校でその「なぜ?」の現象を教えられた記憶があるが、思い出せない。もはや学校で学んだ〃常識〃は泡と消えたのを自覚する。

  カタコト、カタコトと乾いた音が一層、近づいた。そして遥か遠くに電車が走るのが見えた。田んぼのずーと向こうを2両編成の電車が、マッチ箱のような小さな姿で走っていく。「あぁ。電車が行く」。妻の声は頼り無げに田んぼを流れた。歩きながら常識とは何だろうと思った。

  手元に「就職試験・これだけ覚える一般常識」という冊子がある。試験を受けるため、買い求めたものではない。せめてその一般常識というものの片鱗でもいいから齧(かじ)っておきたいと思った。しかし、冊子をペラペラとめくって驚いた。余りに幅広く、奥が深いのである。本当にペラペラとめくっただけなのだが、「こりゃあ、大変なものだ」と一般常識を身につけ、就職試験を受ける学生さんたちにすっかり同情した。

  「覚えておきたい漢字の読み」で栗鼠(リス)、蝸牛(かたつむり)、蜥蜴(とかげ)などは何とか読めるが、土竜(もぐら)、川獺(かわうそ)、蚯蚓(みみず)などとなるとサッパリだった。目で触れた覚えもない。魚介類でも、岩魚(いわな)、泥鰌(どじょう)、蛤(はまぐり)、河豚(ふぐ)などは読めるが雲丹(うに)、水母(くらげ)、鮑(あわび)などとなると首をひねった。

  鳥類でも啄木鳥(きつつき)、雲雀(ひばり)、鳶(とび)、百舌(もず)、孔雀(くじゃく)、鷺(さぎ)などは読めても、信天翁(あほうどり)、木菟(みみずく)、鴛鴦(おしどり)となると初めて目にした漢字の表現だった。

  それでも「覚えておきたい漢字の読み」や「誤りやすい漢字」、故事・ことわざ・慣用句の「鶏群の一角」や「李下に冠を正さず」、「彫心鏤骨」、「人口に膾炙する」、「羹に懲りて膾を吹く」などはどうにか分かるが、「万有引力は1687年にニュートンが発見した」「ダイナマイトは1867年にノーベルが発明」など歴史的発見、発明の年代まで記憶するとなるとお手上げだ。

  いや。そのような類ばかりでない。不在者投票、登校拒否、集団的自衛権、引きこもりなどの言葉を英訳せよもあれば、国会、内閣、裁判所のシステム、さらには経済に関する専門用語まで知識を求められる。

  さらにはエベレストは標高8848メートル、マッターホーンは4477メートル、アマゾン川の長さは6520キロ、ナイル川は6700キロ、ゴビ砂漠の面積は130万平方キロメートル、サハラ砂漠は907万平方キロメートルなどの記憶も求められる。

  とても覚えきれるものでないと手を上げ、バンザイをした。フー。常識とは恐ろしく深く、広いものだ。平凡で無知、無才な自分には神の領域の知識を求めているようで気が遠くなった。常識とは恐ろしい。それでも少しでも知っておきたいと無理を承知で、時々、目を通すから一般常識とは不思議だ。