明け方、露が降りたようだ。道路は乾いているが、緑を濃くしながら日増しに背丈を伸ばしている苗の葉先に滴がくっついて、その水玉が朝日を受けて銀色に輝いていた。銀色の滴は、キラキラと輝き、まるで宝石をまぶしたような美しさだった。朝の散歩時、それを目にし「また失敗した」と後悔した。「表を歩く時はどんな場合でもカメラは持とう」と自分に言い聞かせているのだが、最近は面倒臭さも手伝って、カメラを忘れてしまう。そう言う日に限って、いいシャッターチャンスと出会い、それを逃すのだ。
先日の土曜日の朝もそうだった。美郷町から観えた東山は靄(もや)の中に霞んでいたが、一面の田んぼの緑と東山の藍色の対照は日本画を観ているような美しさだった。歩いていて「ああ。カメラがあればな」と思った。妻にも「あなた。カメラは持って来なかったの」と詰め寄られた。その時も「よし!。明日からはカメラを手放さないぞ」と念頭に刻んだが、次の日はまたケロリと忘れている。そして出会った田んぼの中で光る銀色の真珠の光景である。朝露と朝の柔らかな陽射しが紡ぎ出した一瞬の美だと思った。
家に戻ってから車で駆けつけてみようかと思ったが、夏の陽射しは分刻みに強まる。散歩を終えて、駆けつけたようでは銀色の滴は暑さで消えているだろう。諦めよう。またの機会を待とうと思った。西の空には白い雲が群がっていた。イワシやサンマのような雲、河豚(ふぐ)のようにふっくらとした雲。その日の朝はまるで風が雲を相手に魚の絵を空に描いているようだった。雲の魚がいっぱいに浮かび、流れていた。夏だなと思った。
夏になると母はよく「マア。ご社の水飲みたいな。水っこ汲んで来てケレで」と裁縫の手を休めて用事を言いつけた。「ご社の水」というのは川向こうの角間川町にある神社境内の井戸からくみ上げる水のことだった。今は枯れて井戸もないが、そこに在った井戸水は夏になるととても冷たく、おいしかった。
まだ水道が普及する前で、台所や風呂に使う水は手押しポンプでくみ上げていた。水をくむのは4歳上の兄と自分の役目だった。ポンプの柄を上下させて水を汲み上げる作業は単純で、力も必要で楽しいものではなかったが、「マア。ありがとう」と言ってくれる母の笑顔が嬉しくて余り労を惜しまず手伝った。
ご社の水を汲みに行くのも同じだった。ヤカンを手に砂利道を歩き、角間川町へ通じる木製の橋を渡って、神社に向かった。往復して10分足らずの距離だったが、子どもの足には遠く感じられた。それでもヤカンにいっぱい水を汲み入れるとヤカンの肌には外気の暖かさと水で冷やされた温度差で、小さな水玉が隙間なく付いて、薄暗い社の森の中で木もれ日を受け、キラキラと光った。
それを大事に持ち運び、母に手渡すと母は茶わんにゴボゴボと水を満たし、グイッと一気に飲んだ。「アーッ。うまい。マア。ありがとう」。額に水玉の汗を浮かべ、満面の笑顔を見せた時の母の顔は良かった。深いしわに刻まれたおばあさん顔だったが、優しさに満ちて、大好きだった。
母が「ご社の水を汲んで来てケレ」というのは夏休みに入っていて、暑さが次第に高まる朝の11時過ぎだったと思う。なぜなら、午後1時を過ぎると雄物川での「水泳ぎ」を毎日の日課としていたからだ。本当に多くの子どもたちが川に集まって、ワイワイがやがやと泳ぎ、水遊びを楽しんだ。
川だったから場所によっては背丈よりも深い所もあって、怖い思いもしたが、水の中に潜って様々な小石を見つめながら、下流に流されていく気分は何とも言えなかった。魚になったような気分だった。川は清流だった。潜ったら、川底から丸くて平べったい小石を見つけるのが楽しみだった。
その丸くて平べったい石は、水から上がっての石投げに使った。岸辺からその平べったい石を投げると水面張力で石は何度もジャンプしてから沈んだ。川に潜って2個から3個拾うと、岸辺に立って石を投げ、ジャンプする数を仲間と競ったものだった。小石が川面の上で3回、4回、5回とジャンプしてから沈むのを見て「ヨーシ。せばこっちも負けないゾ」と石を水面を滑るように投げてジャンプの数を競った。
子どもの頃の遊びは単純だった。石投げもあれば、釘さしというゲームもあり、缶けりや輪転がしというゲームもあった。石投げは川で遊び、釘さしは自宅の庭で遊んだ。3寸釘を手に投げ、大地に突きさしてラインを結ぶゲームだった。相手が差そうとするコースに釘をさしてラインを引いて可能な限り線と線の間を狭くし、邪魔をするゲームだった。缶けりもかくれんぼ遊びの一種で、鬼になった子どもは隠れた仲間を探すのだが、その間に誰かに缶を蹴られると隠れている相手を見つけてもまた鬼の役を背負わされた。
どちらも意地悪な遊びだったが、誰もくじけずにみんなゲームに熱中した。そうした遊びは夏を除いた春と秋だった。神社に行くと自然に子どもたちが集まり、「何して遊ぶ」と打ち合わせし、意見がまとまると後は夕方まで遊びを繰り返していた。イジメに似た遊びもあったが、助け合いもあった。かくれんぼとなれば男の子も女の子も一緒になって、神社の床下に隠れた。手足が泥んこだらけになった。でも土の温もりを手で感じたものだった。輪転がしは自転車のリムの溝に棒を当て、押して走るだけだったが、なぜか夢中になれた。昔は随分、多くの遊びがあったものだと思う。夏の朝にそれらの遊びを思い出した。