こちら編集室「お盆を前に」(8月12日)

  夕方、小犬のパピーを連れて川港親水公園を歩くとヒグラシが悲しいほど澄んだ美しい音で鳴いている。カナカナカナと木々の間から漏れ聞こえてくる鳴き声は、燃え盛る夏の短さを自らの命と重ね合わせて叫んでいるようで哀れだ。夕方、小犬のパピーを連れて公園を歩くのはせいぜい20分ほどだが、ヒグラシの鳴き声に耳を傾け、季節の移ろいに身を任せ、雲の流れを見送っているとホッとする。西の空があかね色に染まって次第に闇を広げ、夏が燃え尽きていくのを観るのは寂しいが、時の流れが詩のように凝縮したようで好きだ。7日の立秋を迎えてから、一日一日が彫り刻まれているかのように短くなった。夏が燃え、もう秋がソッと足音をしのばせ、近づいているのだろうか。

  わが家には昔、庭に栗の木があって、夏になるとその栗の木から盛んに「ミーン、ミーン」とアブラゼミが鳴いた。そのセミを捕りたくてタモ網を手に何度も挑戦した。捕れそうで捕れないのがセミだった。それでも何とか網で捕獲するとセミは「ミーッ、ミーッ」と悲鳴のような絶叫を挙げ、羽をばたつかせ、必死で逃げようとした。

  それを小さな菓子箱に入れて家に持ち帰ると母はいつも困った顔をした。「マア。セミは土の中で何年も暮らして、やっと表に出て、そうやって鳴いても1週間しか生きれないんだよ。かわいそうだからセミだけは捕るもんでね」と注意もした。かぶと虫やクワガタを捕まえてくると、「やっぱり男の子だな。良く捕ったこと」と目を細め、キュウリを切って「これを餌にすればいい」と与えてくれた。しかし、セミだけは母は嫌がった。

  確かにセミは捕まえるとその日の夕方までには命も果て、菓子箱の中で死んでいることが多かった。その死骸を見て子ども心にも哀れさを感じた。セミを捕るのはそれから止めた。

  勉強は嫌いな方だったが、夏休みの午前中、栗の木の陰となる部屋の窓辺に机を置いて夏休みの宿題に取り組むのは好きだった。セミの鳴き声が開け放たれた東向きの窓から訪問者のように入ってきて、楽しませた。ミーン、ミーンというセミの合唱は夏そのものを歌っているようだった。セミを捕るのを止めたと知った母は「マア。セミがマアと仲良くするベと言ってるみたいだな」とからかい、額に汗を浮かべながら縫い物にいそしんだ。

  母の縫い物は冬も春も夏も、そして木の葉が飛び散る秋になっても、一日も休むことなく続いた。縫い物をしながら、行商に出かけた父の帰りを待ち、遊びに行った兄や自分のことに気配りし、心配していた。母の場合、心配性だった。父の帰りが少しでも遅くなると「自転車で転んでケガをしてねべか」とか、川に遊びに行った自分が暗くなっても帰らないと母は「マア。マア」と川岸を叫びながら探し、友だちと草むらから出ていくと「マア。何してこの時間になっても帰らねの」と真剣になって怒った。

  夏休みの午前中、少しでも机に向かって宿題の勉強をしていると母もご機嫌で「マア。勉強をしてるのか。エライ、偉い。ガンバレよ」と囲炉裏のある部屋から声をかけ、「泳ぎに行ったら、これで氷水を食べて来い」と小遣いを手渡した。その小遣いはいくらだったのか忘れたが、もらったお金で注文できたのはイチゴシロップだった。本当は甘みタップリの小豆ミルクを食べたかったが、高くて手が届かなかった。

  いつも縫い物にいそしんでいた母だったが、耳はいつも兄や自分の行動に傾け、家の奥で何をやっているのかとアンテナを張り巡らしていた。今思えば常に子どものための人生だった。川に行った子を心配し、お腹を壊すと父と共に夢中で医者に連れて行き、風邪で寝込むと付きっ切りで頭を冷し、ニテコサイダーを買ってのどを潤わせた。

  愛情を激流のように注ぐのを喜びとした母だった。思えば父もそう言う人だった。一番の思い出は大曲工業高校の入学式の日だった。まだ春浅い朝、自転車で高校に向かった。校門を潜る新入生の多くは当時、流行りのダスターコートを着ていた。ほとんどが学生服の上にコートを着用して校門を潜った。

  自分もそのコートは欲しかったが、母は「マア。ゴメンしてけれな。新しい学生服とカバン、それに自転車と教科書さいっぱいゼンコ(お金)使って、ジサマさ、これ以上、金出せって言えねから我慢してケレ」と口説いた。自分もそれ以上の要求は諦めた。

  しかし、父は入学式を終えると怒ったような顔で「マア。街さあべ」と言って自転車を踏み、大曲の商店街に入った。

  そして駅前にある洒落た呉服店に入ると「マア。この中から好きなコートを選べ。金のことは心配しなくてもいいから」とコートを買ってくれた。クリーム色のダスターコートは袖を通すとプーンと甘い香りがした。そのコートを着て、自分も初めて高校生になれたような喜びを感じたものだった。

  家に帰ると父は「バッチャ。マサオさダスターコート買ってやった。入学式に行ったらみんなコート姿で、マアだけがコートなしでかわいそうだった。なんただベ」と父は言い訳のように繰り返した。母は自分のコート姿を見て「アヤ。それでいいなだ。良かった。マア。ジッチャから買ってもらって良かったな」と喜んだ。

  日曜日の朝、お盆を前にして共同墓地での清掃作業があった。集合は午前5時からだったが、暑くなる前に自分の墓地の草取りだけはやってしまおうと妻と早めに出かけた。父と母の眠る墓地は雑草が生えないよう基礎をコンクリートで固め、その上に小石を敷きつめたが、長い風雪で小石の中に土が混じり、スギナを中心とした雑草が生えるようになった。

  その草取りをし、それから墓石をタオルで洗った。タオルは真っ黒に汚れ、バケツの水で何度も濯ぎ、墓石の汚れを落とした。父が眠って今年で27年、母が亡くなってもう17年になる。墓石の汚れを落としながら、43年前の高校入学式の日を思い出し、涙が止めなくあふれた。お盆を前にした夏の朝は涙の朝だった。