今年はアサガオが良く咲いた。確か6月にプランターに土を入れ、タネを播いたはずだった。自分たちで植えたアサガオの他に妻は実家からと、友だちから鉢植えのまま貰ったのを表に置いて咲かせている。南側に面した和室の濡れ縁の前に置いたプランターからは濃い紫と水で薄めたような淡い紫の花が2種類、咲いている。表の鉢からはこれもまた赤っぽい紫とブルーのインクを水で溶かしたような儚(はかな)い色のアサガオが咲いている。
妻は毎朝、その花を愛でている。「あなた。観た。裏のアサガオもいいし、表のアサガオもきれい。実家から貰った花、そしてもう一つは友だちからプレゼントされたのよ」と本当に嬉しそうに朝の散歩前に裏と表のアサガオを愛で、夏を楽しんでいる。
その夏ももう終わりに近づいている。夕方の散歩時、近くの川港親水公園を歩くとセミの鳴き声も途絶えがちだし、サクラは病葉をカサカサと散らし始めている。そしてコオロギだろうか。コロコロと鈴のような鳴き声が草むらから聞こえ出した。
「あなたに嫁いで一番、詰まらないと思ったのは私の誕生日と八圭神社のお祭りが一緒だったということ。あなたは私の誕生日だというのに祭りだと言ってはお酒をふんだんに飲んで酔いつぶれ、いつも寝てしまう。私の誕生日なんか念頭にないんだから」と毎年のように言われたのが8月21日だった。
妻の誕生日を祝おうなんて照れ臭くて言えないが、日曜日と祭りが重なったので「お昼は横手で何かをご馳走しようか」と誘ったら「あら。私の誕生日を祝ってくれるの」と妻は目を細めた。「ああ。いいよ。好きなものをご馳走しよう」「じゃあ。ご飯だけでなくワンピースも買って」と言う。「折角だ。何でも好きなものをプレゼントするよ」と照れ隠しに声を大きくした。
出かけようとする仕草に気付いたパピヨンこと、小犬のパピーも「ワンワン」と騒ぎだし、台所のカウンターの上からぶら下がっている散歩用のリーダーを首に付けてと上をにらむ。その目は「僕も着いていきたい」と訴えている。だが、パピーを連れて食堂やスーパーに入るわけにはいかない。ましてや炎天下、エンジンを止めた車内に置いたら虐待になり兼ねないし、それこそ死なせてしまう。
言葉の通じないもどかしさに痛痒しながらも膝を折って、パピーの目線となって語りかけた。「パピー。ゴメンナ。連れて行きたいけど外はこの暑さ。パピーには耐えられない暑さだから家でお留守番だよ。パピーはお利口さんだからナ」と繰り返す。小犬にその言葉の意味が通じるのかは分からないが、妻と説得し、居間のエアコンを付けたまま出かけた。最近、その説得が功を奏してきたのか後を追って叫ぶことが少ない。
「ワンピースを買って」と初めて誕生日のプレゼントを求めた妻。横手では結局、「あっさりタイプのラーメン」と言うことで「三角そば屋」に入った。エアコンの良く効いたお店で妻は冷し中華を、こちらは温かいラーメンを注文した。週に1度、こうして横手市内のラーメン店やそば屋さん、あるいは湯沢市や稲川など県南の「美味しい」と評判の食堂やレストランを求めて歩くのもいいなと思った。
食事の後はスーパーに寄って妻の買い物に付き合った。だが妻同伴とは言え、女性の衣類コーナーを一緒に歩くのはどうも苦手だ。妻は「あなた付き合って」と言うが、女性の派手な下着などを飾られた場を歩くと目線のやり場がない。それでも衣類中心の場だったから付き合ったが、どうやら妻が目当てにしていたワンピースは買われてしまってないようだ。「先週はあったのに買われちゃたんだ。ウーン。あの時、買っておけばよかった」と妻はしきりに残念がった。
そのワンピースがいくらしたかは分からないが、妻と長年付き合って感心するのはお金を自分のために遣う時は本当に辛抱し、実家の母やその家族のためのプレゼントや友だちのお祝いなどの時は気前良く金を遣う。きっとその辛抱心から欲しいと思ったワンピースを買えず、それでいて欲しいという気持ちは念頭から離れなかったのだろう。そばにいた店員にまで「先週、ここにあったワンピース、売れちゃったんですね」と惜しむように聞いていた。その慎ましさが意地らしく「他にもいいのがあると思うから探したらいいさ」と勧めた。
しかし、どうも女性の衣類の売り場は苦手だ。結局、自分は本の売り場に行ってしばらく時間を過ごすことにした。そうして時間を過ごしていたら携帯電話が鳴った。妻からだった。「あなた。来てくれる」。再びその衣類販売コーナーに行ったら、「このサマーセーターが気に入ったからこれをプレゼントして」と言う。「ああ。いいよ」と言うといそいそとレジへと手を引っ張った。お金を払うとわずか数千円だった。ビニールの袋に入れてもらったそのセーターを手に「エヘヘ。買ってもらった」と喜ぶ妻の笑顔は童顔そのものだった。
誕生日のプレゼントなんてこれまでした記憶はないが、わずか数千円のプレゼントで嬉しそうに目を細める妻の笑顔を観たら、何か自分でもとてもいいことをしたような気がした。だが、買えなかったワンピースがまだ心残りだったのだろう。場所を移して別のスーパーに行ったら、また衣類販売コーナーを覗いて「あなた。あのワンピースの柄、涼しそうね」という。「ああ。買ったらいいさ」。こちらも気持ちが大きくなった。「エー。買っていいの」「いいよ、いいよ」。
飾っていたそのワンピースを手に飛び込むように試着室に入ったが、「ウーン。今一つピンと来ない」とためらった。そして店員に「ごめんなさい」と謝って店を出たが、「ああ。でもスッキリした」と買えなかったワンピースを諦めたように笑った。外へ出ると30度を超す猛暑だった。だが、残り少ない夏、そして妻の誕生日を笑って過ごせた幸せを味わえた。