こちら編集室「選挙取材」(9月16日)

  今年は選挙ラッシュの年だったなと思う。春3月には任期途中で辞任した角館町の町長選があり、4月には知事選、そして大仙市長選があった。この3つを終えてホッとしていたら8月になって郵政民営化を巡って国会がおかしくなり、小泉純一郎首相は盛んに「解散」をほのめかした。それでも「まさか」と眉に唾をぬって半信半疑の思いで見守っていたら、その「まさか」が本物になった。「やる」と言い出したら言うことも聞かないのが小泉さん流なのかもしれない。8月8日夜、参院で郵政関連法案が否決と同時に一刀両断の勢いで小泉さんは衆院を解散、総選挙に打って出た。

  その晩の記者会見での小泉さんの言葉には迫力があった。「今回の解散は郵政解散だ。郵政民営化に賛成してくれるのか反対するのか、はっきりと国民に問いたい」。その言葉には政治生命を賭けての〃意地〃が込められていた。思い詰めた顔、野性動物のような鋭い眼光には「何がなんでもやり通す」といった強い意志の塊があった。「この改革ができなくて、どんな大改革ができるのか」。次々と吐き出される言葉には激情が込められていた。

  8日夜の記者会見の様子をテレビで見ていて「小泉さんはやるなー」と思ったものだ。何と言うか小泉さんが好きだという〃信長〃のようなイメージが重なった。小泉さんの言葉に込めた激情はやがてマスコミによって「小泉劇場」という表現に変わり、今度の衆院選をより面白くした。「刺客」と言う言葉が新聞に載り、劇画にでも登場するような女忍者「くの一」という表現まで現れた。

  そして選挙の結果、自民党だけで291人も当選した。その数を見るとこの国の行く末が怖くなるような気がした。戦前、遮二無二戦争に向かったあの国民性が今度の小泉さんブームとダブったからだ。党員からさえ「勝ち過ぎた」と不安がる声が聞かれるからこの勝利は手放しでは喜べない。

  それにしても衆院選の取材で県南各地を走り回って気がついたのは自分の体力の弱体化だった。1年10カ月前の衆院選でも選挙カーを追って県南各地を走り回ったが、気力、体力も充実し、取材を終えて帰ってからの原稿のまとめも億劫ではなかった。パソコンの前に座ると言葉が次々と頭の中を駆けめぐり、キーボードを叩く指先は軽快な音をたてたものだった。

  ところが約2年経った現在はその記事をまとめるための言葉さえ思い浮かばずパソコンを前にどうまとめたらいいのかと戸惑った。言葉が浮かばず頭の中が真っ白になり、「どうしよう。どうしたらいい」と冷や汗をかいた。一人ひとりの選挙カーを半日かけて追って、大仙市役所に戻ると車の走行距離は120キロから150キロにもなっていた。

  朝の東山2年前だったらハンドルを握っているその時間、頭に原稿の組み合わせができて、記者室に入るとスムーズにキーボードを打てた。なのに今回はハンドルを握っていても言葉さえ浮かばず、どんなふうにまとめるべきかとイメージを描くのに時間がかかった。

  おまけにパソコンを開いても言葉が浮かばず時間だけが空しく流れ、疲労感だけが漂った。候補者の顔、マイクを握った時の言葉、有権者と握手を交わした時の表情など覚えておくべきイメージがぼやけ、悲しいほど焦点が合わなくなっていた。それでも何とかしなければと四苦八苦し、呻吟しながら言葉を刻み、イメージを組み合わせ、ノートのメモに目を通し、さらにはデジタルレコーダーで収録した候補者の言葉を聞き直し、まとめた。

  3人の候補者を追ってその戦い振りを紹介する記事を書き終えた時は気力も体力も使い果たし、クタクタになっていた。それでも気力を振り絞って選挙取材を続け、3人の情勢を探った。そして11日の投票日に向けて3人の情勢記事を報道した。取材から得る感触はやはり御法川さんの優勢だった。京野さんを推す陣営は「そうは負けてない」と強気だったが、後半になればなるほど御法川さんの勢いは増した。一方の村岡さんは大仙市仙北郡ではどうしても埋没してしまったとしか思えなかった。選挙の最中、村岡さんに携帯電話を入れた。「ありがとうございます。気持ちを引き締め、最後の最後まであきらめずにこの戦いを頑張るつもりです」と冷静で、力強い声が返ってきた。前にも書いたが、今度の衆院選で感じたのは3人の候補者一人ひとりがみなそれぞれに人間的にも魅力を持っている。だから誰をも負けさせたくなかった。しかし、勝負の世界は二者択一の結果を求められる。それもしょうがない。

  それにしても11日は本当に長い一日だった。大仙市議選の告示、そして衆院選の投票も始まった。市議選に立候補した人たちの名簿を市選管からもらい、急いで市役所記者室でその記事をまとめた。そして夜に備えて、衆院選の予定原稿にも取りかかった。投票所で行った出口調査による報道各社からの情報も御法川さんの優勢に間違いないということで記事は彼の勝利を前提にまとめた。

  記事が書き終えたのは午後8時を過ぎていた。記者室でパンと牛乳を飲みながら空腹を満たした。そして御法川事務所に駆けつけ、結果が出るのを待った。テレビカメラの放列が敷かれ、事務所は熱気に包まれていた。まだ当確が出る前だったが、元太田町長で御法川さんの総括責任者を務めている高貝久遠さんに「勝てたとするとその勝因は何でしょうか」と事前取材を求めた。勝利を確信していたのだろう。高貝さんは「小泉劇場の観客に助けられました。そして地の利という大曲仙北に助けられ、我が陣営の人の輪によって勝利がもたされた」と笑顔で語った。

  間もなくテレビ報道が御法川さんの当確を伝え、笑顔で登場した。いい笑顔だった。本当に喜びを体全体で表していた。バンザイの写真、笑顔の写真、そして彼の喜びの言葉を録音し、急いで記者室に戻った。とにかく御法川さんの勝利を伝える第一報だけでもケンニチに入れたい。そう思った。書き終えて自宅に帰ったのは11時近かった。

  それからビール、お酒を少しだけ飲み、自分の時間を楽しんだ。とうに午前0時を回っていた。妻に「明日の朝、酒気帯び運転になっても困るから代わりに車に乗せていってくれないか」と頼んだ。長い一日は体をクタクタにさせていた。このようなことを書いていいのかどうか分からないが、衆院選の取材からはそろそろ卒業したいと思った。