| 4日夕に飛び立って8時間後、アメリカ大陸が見え出した。 | 再び渡れるとは思ってもいなかった金門橋。 |
本紙に「旅の雑記」をレポートして下さっているアメリカ・サンノゼ在住の岩間郁夫さんの案内で、10月4日から12日までの日程で再び「アメリカの旅」を楽しませてもらった。2年前はサンフランシスコ、ラスベガス、そしてロスアンジェルスを中心としたアメリカ西海岸の旅だったが、「今度は東海岸を歩きましょう。ニューヨークは何と言っても世界の中心地。同じ大都会でも東京とは違った歴史と伝統の重みがあります」と誘いを受けていた。そしてこの2月、岩間さんからボストン、ニューヨークを中心としたアメリカ東海岸への旅として7泊9日間の旅行計画がメールで送られてきた。「今度はニューヨークに行けるのね」。妻はこの春から期待と希望に胸を膨らませ、コツコツと旅の準備を進めてきた。その旅を綴りたい。
旅立つ日の4日朝はまだ真っ暗な4時半に目覚めた。あわただしく顔を洗い、着替えを済ませ、小犬のパピーを散歩に連れ出した。そして「忘れ物はないか。電気はいいか。戸締りは大丈夫か」など家の中のチェックに気を配り、6時15分、アメリカに向けて自宅を出発した。着替えの衣類などを詰め込んだ大きな旅行ケースと妻専用の旅行ケースを車のトランクに入れるのさえ妙に興奮させる旅立ちの朝だった。
車のエンジンは快調に回転し、スピードを上げた。大曲インターから秋田自動車道へ乗り、7時には秋田空港に着いた。空港には自分たちの旅行のため、往復の飛行便のチケットを取り寄せてくれた旅行社の方(仙北市角館町・『花葉館』社長)が見送りに来てくれた。早朝の旅立ちなのにわざわざ空港まで来てくれたその配慮に妻共々、感謝した。空港で軽く朝食を済ませ、花葉館の社長さんから飛行機に乗る際のセキュリティ・チェックへの対応などのアドバイスを受けた。嬉しい旅立ちだった。秋田空港は小雨だった。小雨の中で温かい人情に触れたと思った。
飛行機の旅はあっけない。7時50分に飛び立ってわずか1時間で羽田空港だ。ここから10時半発のリムジンバスに乗って成田国際空港に向かった。秋田・羽田間がわずか1時間なのに、バスとはいえ、そこから成田まで1時間20分もかかるという矛盾を感じさせる距離だった。
成田に着いても頭から離れないのが小犬のパピーだった。パピーはこの日から横手市在住のドッグトレーナー・小原友望さんが朝夕、自宅を訪ね、世話をしてくれることになっている。朝、出かける前にパピーを抱き上げ、「パピー。行ってくるからナ。元気でいろよ」と妻と別れを惜しんだ。その体の温もりが手のひらにしみ込み、成田に着いても消えなかった。小原さんに携帯電話をかけ、「これからアメリカに行ってきますので、留守中のパピーのことをお願いします」と依頼した。「ええ。大切に世話をさせてもらいますから安心して行って下さい」。小原さんのその声がホッとさせた。
成田発・サンフランシスコ行きの「ANA」は午後4時50分の出発だった。空港で昼食を済ませ、インド人、中国人、韓国、フランス、アメリカなど世界の人々が行き交う姿を眺め、時間を過ごした。成田も曇り空だった。
やっと搭乗時刻も来て機内に入った。サンフランシスコまでの飛行時間は8時間10分という。「これから長い時間に耐えなければいけないな」と思いながらも、旅の始まりはどうしても期待で胸が膨らみ、我慢もガマンと思わない。午後5時。飛行機は動きだし、その20分後にはものすごいスピードで滑走路を走り、離陸した。窓辺から見える夜の空港の光りはアッと言う間に遠ざかり、飛行機は雲の中に入った。
午後7時。夕食が出た。飲み物のサービスがあり、スチュワーデスからビールを貰い、のどを潤した。夕食はハンバーグ定食だった。座席前のシートに備え付けのテレビのスイッチを入れたが、映画は見る気がせず、単純だが飛行機の移動の様子を写す画面だけをチラチラ眺め、機内で読もうとジャケットのポケットに入れてあった司馬遼太郎さんの文庫本「国盗り物語」に目を通した。今度の長旅では往復ともこの司馬さんの小説には助けられた。
アメリカに「行く」という興奮を織り交ぜた楽しみ、そして「帰国」という旅の終わりの寂しさは表裏一体かもしれないが、長い間、飛行機の狭いイスにジッと座って過ごすと時々、「拘禁ノイロゼー」に陥ったかのように精神が棘立つ。逃げ場を失ったような苛立ちを味わう。そうした時、司馬さんの痛快な時代小説は窮屈な空の旅の辛さを忘れさせ、戦国時代に生きた男の物語に自分をとけ込ませてくれた。
日本時間は午後10時20分。目の前のテレビでは現在の飛行機が対陸地速度1094キロメートルで飛び、高度は1万972メートル、外気はマイナス53度と示す。猛烈なスピードで機は移動しているのだが、日付変更線を超えても遅々として進まない。そうした時間との戦いで時が流れる。眠ろうと本を膝に置き、目を閉じたが眠れない。
午後11時50分。現地のアメリカ時間では午前5時50分という。そのアメリカ時間に合わせ、朝食が出る。成田を飛び立つ時は限りなく日本の5日未明の闇に向かって飛ぶのだが、太平洋の上空を移動し、アメリカ大陸に近づくと限りなく機はアメリカの4日朝に向かって近づくことになる。窓から外を眺めると次第に夜は明け、朝の明るい陽射しが射して来る。日本時間で5日午前1時(アメリカ時間で4日午前8時50分)ごろ、「機はサンフランシスコに午前9時26分ごろに着陸の予定」とアナウンスが流れる。朝を迎えたアメリカ西海岸の陸地が窓から見え出した。赤茶けた山々が見え出した。
| ハーバード大学の構内。多くの観光客の姿があった。 | ボストンの高級住宅街。ヨーロッパの古都のようだった。 |
「アメリカに着いたんだ」とホッとした喜びが沸く。両手を大きく挙げ、「ウーン」と背伸びした妻。機内ではスリッパで二人とも過ごした。トイレに向かっては時々、屈伸運動をしたが、長い間、イスに座っていたせいか、ズック靴を履こうとした妻は「足が入らない」と足がむくんで大きくなったのを笑って報告した。アメリカに着いたという喜びは体の変化さえ笑顔にさせた。
入国時の審査が前より厳しくなったと聞いたが、2年前に比べて違うのは入国審査官の前で指紋と写真を撮られる点だけだった。自分たちの担当となった審査官はアジア系アメリカ人で、少しは日本語が話せるようで、妻に対して「カンコウ(観光)?」と問いかけた。妻も自分も「ええ。観光です」と答えた。審査官は気さくな声で「オッケー」と手振りで入国を許可した。