| 国連本部の建物。 | 「武器はもう要らない」と平和を誓ったのだろう。筒先をねじっていた。 |
旅の5日目。いよいよニューヨークを目指すことになる。天気は雨となった。午前10時10分の飛行機でボストン空港を飛び立った。ボストン〜ニューヨーク間の飛行時間はわずか45分だった。午前11時には国内線専用のラガーディア空港に着き、ニューヨーク名物の黄色いタクシー「イエロー・キャブ」に乗って市街地を目指した。
着いた日が土曜日だったこともあって渋滞することもなく30分ほどで中心部に入り、昼前にはホテルに着いた。まだチェックインには早い時間帯のため、荷物だけを預けて雨のニューヨークを歩いた。歩いて初めてそのビルの群れの巨大さ、迫力に圧倒された。ホテルの前も見上げるような巨大ビルであり、歩いても歩いても天を突くようなビルの群れが続く。
その風景に驚き、傘を手にしながら顔が濡れるのも気にならないほど呆然と空を見上げた。カメラを向けてもビルの全貌は入らない。それほどビルは高く、大きい。男。女。金色の髪の人。赤茶色の髪。黒髪。ビジネスマンらしくキチッとスーツを着こなした人。旅行ケースを手にした人。ホームレスらしき人の群れ。様々な人が歩道を歩き、すれ違う。華麗に彩られた店の前で会話を楽しんでいる。若い女の子2人がビルのたもとで会話しているのが耳に入った。
「イエース。アイ・ノウ。アイ・ノウ」。(ええ。私も知ってる。知ってるワ)とでも言っているのだろうか。青い目のちょっと可愛い女の子たちだった。きっと「あの店、知ってる?」との問いかけに「ええ。知ってるわよ。知ってる。知ってる」とでも強調しているのだろう。大都会での生活を楽しみ、大都会の空気の中で、埋没せず、個性を楽しんでいる若い女性たちのエネルギーが伝わってきた。
| 国連常任理事国の会議室。 | 万国旗がたな引くロックフェラー・センター前の広場。 |
4車線から5車線もある車道を切目なく車が走る。「ブーッ。ブーッ、ブッ」、「パーッ。パッ」。クラクションが間断なく鳴り響く。エンジン音が激しい。バス、乗用車、大型トラック、そしてイエロー・キャブ。車の通行は全て一方通行となっていた。
「イエース。オッケー」。歩道を歩いていると頭上から声が聞こえて来る。大股で追い越した黒人男性2人の声だった。2メートル以上はあるだろうか。バスケット選手のような大きさだった。
雨の中、ただ「すごい!。すごい!」と立ち止まってはカメラをビルに向ける。田舎者と見られようと、お上りさんと見られようと構わない。とにかく目にするビルの迫力を撮りたい。しかし、手にしたカメラのレンズでは入りきらない。妻もあ然としたように見上げ、ビルにカメラを向ける。「大きい。すごい大きい」。その迫力にはただもうあきれるしかない。
ここが世界の経済と文化の中心として栄え、誇れるニューヨークなんだとその空気、雰囲気を少しでも、ほんの少しでもいいから胸に刻み、思い出として残したいと強烈に思った。目に入るビルの巨大さ、堂々とした姿。そして店のウインドーファッションの美しさを目に焼き付けたいと強く思った。
雨は降る。ホテルから20分ほど歩いたろうか。「ここが国連本部ですよ」と岩間さんの足が立ち止まった。「ああ。本当だ」。中学生か高校生のころだったろうか。教科書で何度も目にした国連の建物が目の前にそびえている。巨大なマッチ箱を立てたようなスマートなビル。そこを訪れられるとは夢にも思っていなかった。涙が自然にあふれ出た。夢のようだと思った。そっと涙を擦った。
本部前の広場には拳銃の筒先をアメのように曲げたブロンズ像があった。「武器の要らない平和な世界」をと、願って建てたものだろう。第2次大戦も終わり、人と人とが殺し合う悲惨な戦争はもう二度と繰り返したくない。戦争放棄の祈りを国連に託し、そのブロンズ像を入口前の広場に平和の象徴として建てたのだろう。
テロ対策もあって、見学のために中に入るには危険物は持ってないかなどセキュリティチェックがあった。パスポートの提示も必要だった。秋田空港に始まり、成田から飛び立つ時も、サンフランシスコからボストン、そしてニューヨークへ来る時もチェックは何度も受けた。その煩わしさには慣れた。アメリカ人でさえ、そうしたチェックを受けるのは当然!といった顔で自分の番が来るのを静かに待っている。安全のためなら協力するのは当たり前という〃危機管理〃への理解度が深いのが伝わって来る。
国連本部の中も世界中からの観光客でいっぱいだった。15分おきに出るガイドツアーがあって、そのグループに入って常任理事国の会議室や本会議室などを見学した。国連の常任理事国入りを果たそうとした日本だったが、中国などの反発を受けて念願を果たせないで終わった。残念な気がした。廊下には国連の平和維持軍の活動を紹介する多くの写真パネルが展示されていた。その一角には長崎市から寄贈された原爆関連の写真や原爆で焼けただれた石のマリア像もあった。写真の中の炭のような状態で亡くなった少年の姿は観るに耐えなかったが、その残酷さが、世界の平和に大きく貢献しているのかもしれない。そう思わないと少年の死が無惨でやり切れなかった。
国連本部にも売店があって、お土産の品を買い求めた。岩間さんの話では国連のお土産も人気の一つなのだという。国連のマークが刻まれたキーホルダーやデスクアクセサリーなどをお土産に買い求めた。
国連からの帰りも雨は止んでなかった。ホテルに入ってチェックインを済ませた。マンハッタン中心部のホテルだけにロビーは次々と大型の旅行ケースを押した旅行客が入って来る。岩間さんによるとニューヨークのホテルは世界でも一番、高いとのことだった。確かにサンフランシスコやボストンでは1泊約1万6000円だったが、ニューヨークでは1泊約3万5000円である。しかし、部屋は広く、旅行ケースを広げてもユックリとしたスペースを取れ、快適だった。
ズボンは雨でびしょ濡れの状態だった。着替え用のズボンを用意していたので、そちらに着替え、部屋に備え付けのアイロンをかけた。シャワーも浴びて冷えた体を温めた。アメリカはこれで2度目だが、ホテルでもレストランでも慣れないのはチップである。どんな時にどんなタイミングで、チップを渡せばいいのか。妻もこのチップという制度には戸惑い、悩んだ。ホテルに泊まったらその翌朝、枕の下に1ドル札を置かなければという注意を忘れ、そのまま出てしまったのを後悔し、翌朝は〃2日分〃として2ドルを置いたこともあった。2ドル置いても、部屋の整理に来る人が次の日も同じ人と限らないことは分かっていたが、せめて気持ちを残したかった。
夕方、岩間さんから部屋に電話があり、「それじゃ夕食に出かけましょうか」と誘いがあった。まだ雨が降っていたが、その岩間さんの案内で夜のニューヨークの街を歩いた。クラクションが鳴り響く都会の喧騒の中を歩いた。ビルが林立し、華麗に飾られた店のウインドーに目を奪われながら夜のニューヨークを歩いた。
巨大なクリスマスツリーが飾られる有名なロックフェラー・センターや米国最大の駅・グランド・セントラル駅などを見学した。観るもの全てが驚きであり、興奮だった。そして「ここが大晦日に大がかりなカウントダウンが行われる『タイムズスクエア』ですよ」と岩間さん。
赤やブルー、黄色、オレンジ、グリーンなど様々な色のネオンがまばゆく輝く。その鮮やかさ、華やかさに言葉を失う。まるで不夜城だ。カメラを向ける。ネオン街にカメラを向けるのだが、向こうから歩いて来る人たちはなぜかこちらを見て底抜けの笑顔だ。その笑みは「ここはニューヨークだぜ。楽しんでいるかい」と呼びかけているような屈託のない、アメリカ人らしい陽気で、オープンな笑顔だった。不夜城に向かって妻もカメラを向けていた。夢の世界に飛び込み、ネオンの華麗さに恍惚し、子供のように目を輝かしていた。その姿を見て、もう「雨に濡れてもいい。ニューヨークなんだ」。そう思った。そしてその大都会の片隅に立てた幸せと興奮を胸に刻んだ。
しかし、岩間さんはその夜、さらにドラマを自分たち夫婦に与えてくれた。自分の住んでいる藤木地区にはニューヨークで大成功したというご主人を持つ方の実家があり、洋風の邸宅がある。今回、ニューヨークへ行くのなら「是非、寄ってほしい」と知り合いの方から声を掛けられていた。
| 賑わうタイムズスクエア通り。 | イロハ寿司。 |
事前にメールで岩間さんにそのことを連絡していたが、「広いニューヨークであり、しっかりした住所が分からないと訪ねるのは難しいかもしれない」とあった。だから無理は求められないと思っていたが、ニューヨークに着いた岩間さんは自分のパソコンでそのお店「IROHA RESTAURANT」を調べ上げ、ごく当たり前のようにそこへ案内した。「伊藤さん。ここがその寿司の『イロハ』ですよ」。妻も自分も「エーッ」とマジックにかかったような気分でぼう然とした。ましてや「ニューヨークまで来て、藤木と縁のあるお店に入れるとは…」。
マスターと思える若い男性の方がいた。「あのー。自分たちはここのご主人の奥さまと同じ故郷の大仙市藤木から来たんです」と自己紹介すると「ああ。そうですか。わざわざ来て下さったのですか。ありがとうございます」と感激した様子だった。しかし「せっかく来てくれたのですが、オーナーも奥さまも留守なんです」と気の毒がった。せめて名刺だけでもと手渡し、ビールで乾杯しながら、寿司屋ならではの日本料理を食べていると、先ほどの男性から「お客さま。オーナーから電話が入ってます」と呼び出しがあった。
オーナーの方は確か関東出身で、ニューヨークで寿司のレストランを開いて成功したと聞いている。まだお会いしたこともない方と電話で話すのも気後れしたが、「わざわざ秋田から来て下さったのに留守にしていて申し訳ありません」とねぎらった。その声は感動に包まれていた。こちらはインターネットを通じて、サンノゼ在住の岩間さんと知り合いになり、その縁で今回、このニューヨークを訪ねたことなどをかい摘んで話した。それにしても不思議な夜だった。ニューヨークの寿司店で飲んだビールは心にまで染みた。岩間さんはイロハ寿司の店内に飾られている「ハードリカー・ライセンス」を目にしながら、「ニューヨークのこの繁華街で店を開き、あのライセンスを持っているということは大変なことです」と感心してくれた。少し誇らしい気分だった。