| エンパイヤ・ステート・ビルの全貌を撮ろうとしたが入りきれなかった。 | 船の上から眺めるニューヨークのビル街。 |
ニューヨーク2日目は「JTB Travel」のバスに乗っての「マンハッタン・ストーリー(1日)観光」だった。幸いにも雨は止んでいたが、どんよりとした曇り空だった。ニューヨーク・ヒルトンホテルでの待ち合わせだった。そこへ行くと多くの日本人旅行客でいっぱいだった。「まるで東京にいるよう」と勘違いするほど、観光バスの受け付けは日本人で賑わっていた。その数は大型バス2台分だった。
ガイドは日系人で、日本語での案内にホッとした。午前8時半にはバスは出発し、ブローウェー劇場街や再びタイムズスクェアを通って、ニューヨーク名物の高さ381メートル、102階建ての「エンパイヤ・ステート・ビル」へと向かった。
岩間さんは以前、そのビルの80階に事務所があって、勤務したこともあるという。岩間さんにとっては懐かしい思い出の職場だが、自分にとっては多分、最初であって最後のエンパイヤ・ステート・ビルだろう。夢のような気分だった。ここでもパスポートが必要だったが、エレベーターに乗るまで心の中は子供のように興奮していた。展望台は86階にあり、80階でエレベーターは乗り換えだった。しかし、その80階までわずか1分でエレベーターは昇った。そのスピードにも驚いた。
残念だが86階からの展望は雲の中にあってどこも見えなかった。遥か下を覗くと霧の中にミニチュアのような車が往来するのが見えた。86階からの展望は雲にさえぎられたが、ニューヨークの象徴でもあるビルの見学も出来たことは満足だった。
バスはこの後、「自由の女神」に向かったが、テロ対策のためのセキュリティーが厳しく、女神のあるリバティ島へは待ち時間が1時間以上もかかるということでフェリーに乗っての観光となった。海の上からのニューヨークの眺めとなった。それにしても船に乗って改めてニューヨークの風景のすごさに圧倒された。ビルが群れをなしてイースト・リバー、ハドソン・リバーという2つの川に挟まれた島に建っている。そのビル一つひとつの建築美に目を奪われた。ニューヨークという大都会を誕生させたこの国の人々の創造力、高さに美を求めるエネルギーにぼう然とさせられた。
船のデッキに立つと風が冷たい。しかし、目の前に広がるニューヨークのビルの群れは〃世界の美〃だと思った。寒くてもこのニューヨークというこの世界を目に焼き付けようと妻とデッキに立った。岩間さんも船室から出てきて「伊藤さん。ニューヨークに来れて良かったですね」と目を細めた。「ええ。本当にそうです。ありがとう」。自分たちのため、仕事を休み、ボストン、ニューヨークの旅へと付き合って下さっている岩間さんに心から感謝した。
| 人間の「自由の女神」をバックに記念写真を撮る日本人。 | さすが本物は堂々としていた。 |
「自由の女神」が見え出した。「あれか。あれがこの国のシンボルなんだ」と必死に目を据えた。観光バスで一緒だった人たちもデッキに立っては女神にカメラを向け、交互に記念写真を撮り合った。緑色をした自由の女神はアメリカの象徴として、堂々とした姿で立っていた。「アメリカに居る。ニューヨークに居る」。そう思った。そう心に刻んだ。
自由の女神の見物を終え、再びバスに乗ると間もなくあの悲劇の舞台「グランドゼロ」でバスは止まった。01年9月11日の同時多発テロで倒壊した世界貿易センターの大惨事はまだ記憶に新しい。大勢の人が亡くなっている。その犠牲者の地が観光地になっていることに悲しさを感じた。バスから下りて少し歩いたが、岩間さん共々、直ぐに戻った。ガイドの男性も「ここを観光地にすべきかどうか、僕も悩みました。ここにあのビルがあったんだと説明するだけで、通過点にすべきではないかと会社でも話し合ったんです」と話した。
バスは港街に入って、そこで各自、自由に昼食となった。レストラン、お土産、電気、家具など様々な店がテナントとして並ぶ建物だった。エスカレートに乗ったら、クリスマスの飾り物を専門とした店もあった。おしゃれな店の飾りは目を捉え、妻は「あすこでクリスマスの飾り物を買おうか」と袖を引いた。岩間さんも「あすこならいいものがありますよ」と勧めた。
昼食後、その店を訪ねた。クリスマスツリーに飾る華やかな人形や星などのデコレーションがいっぱいだった。店内に入っただけで〃童話〃の世界に紛れ込んだような気分となった。専門店だけに目移りするほど品数があって、きらびやかだった。妻は自宅のクリスマスツリーと居間のドアに飾りたいと人形のデコレーションを買い求めたが、その値段には少しためらった。「専門店だけに手も込んでおり、結構、高いんですよ」と岩間さん。しかし、値段では言えない喜びが沸いた。そんな気分にさせる素敵なお店だった。
お昼を済ませ、再びバスに乗ると国連ビル、カーネギーホール、メトロポリタン美術館などを案内した。ガイドの男性の話しに耳を傾けていると楽しい。「これから見えます国連ビルの真向かいにある細長い93階建ての黒いビルは読売巨人軍で活躍し、現在はニューヨークヤンキーズの選手となっている某選手の住んでいるアパートです」と説明する。某選手というが、すぐその人の顔と名前は浮かんだ。しかし、そのアパートの家賃を聞いて驚いた。月々230万円という。バスの中の観光客からも「エーッ」と驚きの声が上がったが、その後のニューヨークでのマンションの値段が20億円とか24億円などの説明を聞いていると、某選手のアパートの値段への驚嘆も次第に薄らいできた。ニューヨークは別世界なのだ。
バスの1日観光を終えてからは岩間さんが再び、ニューヨークの街を案内した。その行き先もニューヨークならではだった。「あすこがダンヒルの店です」と数々のブランドの店の前を歩いた。ルイ・ヴィトン、バーバリー、シャネルなどが目に飛び込んで来る。オードリー・ヘップバーンの映画「ティファニーで朝食を」で、世界中から注目を浴びた宝石店「ティファニー」。「伊藤さん。あの店ですよ」。岩間さんは立ち止まった。
通りに面した白い石造りの上品な店だった。「Tiffany&Co」の文字が浮かんでいた。「入ってみますか」との誘いに心は恐れながらも、世界の一流品を目にしたいと好奇心は高まった。店内はゴージャスで上品な雰囲気に満ちていた。自然で、そしてさりげない笑顔で来客を迎える店員の一人ひとりの表情は知的センスと自信、プライドにあふれていた。ガラスケースに飾られた宝飾、アクセサリーの豪華絢爛さは遠い世界の物語にしか思えなかった。どの品を見ても値段がない。ヒソヒソとそう感想を述べたら、岩間さんは「値段を付けるのは品がないということですよ」とのことだった。
そして「この1階はとても手に入るような品物は置いてないし、3階に行ってみましょう」とのことでエレベーターに乗った。3階を歩いたらモンブランの万年筆やベルト、カフスボタン、ネクタイ、そして女性用のアクセサリー、マフラーなどもあった。だが、やはり値段はない。欲しいと思うような品というより、自分には縁遠い世界だとただブラブラ店内を歩いていたら、妻が「あなた。記念にベルトとかネクタイを買ってあげようか」という。「エー」と驚きながらも、こうした場所で「プレゼントしようか」と勇気を発揮する妻が嬉しかった。
ベルトなら数万単位しそうなのでネクタイならとその売り場に立って、しどろもどろの英語で「ハウマッチ」と聞くと「ワンハンドレット」と言った答えが返ってきた。二人で小さな声で「ワンハンドレットなら1万円ぐらいと言うことかな」とささやきあった。少し離れた場所で見守っていた岩間さんに来てもらい値段を確認したら、8000円から1万円前後の値段だった。
それなら買ってもらおうと一本だけ妻から選んでもらいティファニーのネクタイを買い求めた。美しい化粧箱に入れられ、クリーム色をしたリボンで飾られた。その一本のネクタイは世界のティファニーで買い求めた大切なタカラとなった。
ニューヨークのブランド店を歩き、そして夜は「BENIHNA(紅花)」という焼き肉店での夕食となった。鉄板で肉を焼くのだが、料理人が目の前で様々な演技を奮って客を笑わせ、驚かせる。大勢のアメリカ人で賑わっていた。自分には分からなかったが、妻がすぐ側に病院を舞台にしたテレビドラマに登場した俳優が座っていると小声でささやいた。昔、エルビス・プレスリーもこの店を訪れたようだ。それを記念する写真もあった。
ホテルに帰ったのは夜の10時近かったが、なぜか眠れなかった。「少しドル札をくれない」と50ドルほどもらった。アメリカで初めてドル札を欲しいと言っただけに「どうしたの?」と不思議そうな顔をする妻。「ウン。下のバーに行って買えるかどうか分からないけどウイスキーを注文してみたいんだ」と答えた。「アタシも一緒に行ってあげようか」。見知らぬ外国のホテルでのお酒の注文を心配する妻。だから自分も手助けしたいと思ったのだろう。そうした配慮が嬉しかった。同時に自分には英語で注文できる自信もなかったから「頼むよ」と同伴を願った。
二人でホテル1階のバーに飛び込んで「スコッチ。ワン」と言った。通じたのか女性の方が「オッケー」と笑って、ウイスキーを水割りにして出してくれた。薄暗いが、上品なムードの照明の下でウイスキーを味わった。「おいしい?」「ウン。うまい」。言葉の通じないニューヨークのホテルのバーで妻と過ごすのは少し孤独で心細かったが、小さくてあったかい幸せがあった。
そして翌朝、ニューヨークを飛び立った。イエロー・キャブに乗った途端、訳の分からない寂しさがこみ上げ、「サヨウナラ。素敵な都市・ニューヨーク」と心の中で何度もつぶやいた。ニューヨークからシカゴ空港で乗り継ぎ、サンフランシスコを目指した。これでボストン、ニューヨークの7日間の旅は終わった。
| アルフレッド・ダンヒルの店。 | こちらは宝飾のティファニー。 |
サンフランシスコ空港から再び岩間さんの車でサンノゼに入り、アメリカでの最後の夜を過ごした。その最後の夜は日本食のお店だった。東海岸に行っても、西海岸の都市に戻っても日本料理を口にすることができるアメリカ。日本料理はもう世界の料理なんだと変に嬉しくなった。マスターも店の女の子も日本人(?)だった。アメリカにはそれだけ多くの日本人が生活し、働いているのだろう。ビールが美味しかった。熱燗の日本酒は余りイタダケなかったが、とにかく日本酒も飲めるのが嬉しかった。
その晩は早めに眠り、翌朝、再び岩間さんの迎えでサンフランシスコ空港に向かった。相変わらずサンフランシスコの空は澄みきった青空だった。4車線から5車線の道を車が隙間なく走る。車社会のアメリカだなとつくづく思う。それにしても道路の広さには驚くばかりだ。それほど広い道路でも車は渋滞にぶつかる。その車の列を見ながら「さようなら、アメリカ」とささやいた。思い出をいっぱい残してくれたアメリカに感謝し、サンフランシスコ郊外の風景を胸に刻んだ。
空港で岩間さんと別れた。本当にお世話になった。ありがとう。空港で妻は実家の母と兄夫婦にもお土産を買いたいと免税店に入った。しかし、実家や友だちへのお土産は買ったものの今回は自分の物は何も買わなかった妻。「何か欲しいものがあったら買ったら」と勧めた。「COACH」の素敵な店があった。COACHの文字をデザインしたマフラーが飾られてあった。それを手にした妻。「今回は何も買わなかったから、そのマフラーでも買ったら」と勧めた。せめてアメリカでの記念の品を妻も手にして欲しかった。その時の笑顔が良かった。
空港内のレストラン街にはソバ屋もあった。そのソバ屋に入ってビールを小びんでいっぱいやり、ソバを食べてからANAの飛行機に乗った。「パピーはどうしてるかな」。アメリカでは小犬のパピーの事は禁句にしていたが、飛行機に乗ってホッとしたせいか、妻の口からパピーを心配する声が漏れた。「そうだな。元気にしてるよ」。そう口にすると無性に早く家に帰りたくなった。しかし、飛び立った飛行機は日本から来る時は8時間ほどだったものが、今度は11時間もかかるという。ガマンの飛行機の旅が始まったと諦めるしかなかった。
機内で再び司馬遼太郎の「国盗り物語」に目を通し、気の遠くなるような時間を過ごした。眠ったり、目覚めたりを繰り返した。夢のような旅は終わろうとしている。スチュワーデスに訪ねたら成田・サンフランシスコ間は9492キロ。そしてサンフランシスコ・ニューヨーク間は2917キロ。自分たちは往復で2万4818キロもの距離を移動したことになる。自分の生涯でアメリカに行けるとは夢にも思っていなかった。それが2度も実現した。いい旅だった。二人で撮った写真は500枚近くになっていた。それを引き伸ばし、アルバムに飾った。
小犬のパピーは帰った晩、小さなケージから立ち上がって大喜びで「キャン。キャン」と叫んで歓迎した。「パピー。パピー。元気だった」。抱き上げる妻。自分も何もかも忘れてそのフカフカとした真綿のような感触を手のひらで確かめ、旅の終えたことを確認した。
それから2週間後、大曲図書館運営委員としてマイクロバスで能代図書館の視察があった。バスに乗って秋深まる秋田から能代への風景を自動車道で眺めた。自分では風景に感動しがちな人間だと思っている。しかし、不思議だった。稲刈りの終えた田んぼを眺めても、美しく彩った山々を目にしても感動が沸かない。ただボーと秋田の風景を眺めるだけだった。わずかだったが、ニューヨークで受けた感動の渦がまだ尾を引いているのだ。ニューヨークはそれほど刺激的な都会の美を自分の心に植えつけた。