「アメリカ東海岸の旅」を4回にわたって掲載した。読者から「自分もボストンやニューヨークを歩いているような気持ちにさせられて楽しかった」と何度か言われた。また「本当によくあんな長文を書けるものです。私たちは旅行はただ楽しめればいいだけですが、伊藤さんはそれを〃言葉〃でまとめるという仕事もあるから大変ですね」とねぎらいの言葉も頂いた。
妻もアメリカ旅行記の連載中は「今度は何を書いたの?」と「こちら編集室」に関心を寄せ、掲載すると必ず目を通した。そして長い時間をかけて読んでは「良かったよ」と言ってくれたが、その旅行記を書き終えた晩は珍しく力を込めて「ご苦労さん。本当にあれだけ書くのは大変だったと思う。ご苦労さまでした」とねぎらった。そして「大阪の妹からも電話で、『毎回、自分もアメリカを歩いているような気分で読んでる』って報告があったよ」とも言ってくれた。
「大阪の妹も」は嬉しかった。「こちら編集室」は週1回の掲載だが正直、それを毎週書いているエネルギーもそろそろ尽きようとしている。今回のアメリカの旅も書き始めてから言葉が浮かばず、かなり悩んだ。サンフランシスコ、ボストン、そしてニューヨークと旅をし、印象に残ったものはメモをするなどしたが、若いころと違って記憶力も弱くなり、感動という〃ときめき〃も衰えてきたのだろう。
記憶の糸を紡ぎ出そうとしても思い出せぬことが多かったり、迷路に紛れこんでしまったかのように歩いた場所が別の場所とダブったりするなどもあって、頭の中で整理するのが大変だった。さらにアメリカの歴史発祥の地であるボストン近郊のプリマスやレキシントンを歩いたこともあって、それを書くにはどうしてもアメリカの歴史を調べる必要性もあって図書館でのにわか勉強もあった。
それだけに当初は3回で止めるつもりだったが、書いていたらいつの間にか長くなって4回の連載となった。だが、その4回の連載の中でも書いていて嬉しかったのは夜、眠れなくてニューヨークのホテルのバーに一人で入ろうとした時、言葉の通じないアメリカでの単独行動を心配した妻が「アタシも一緒に行ってあげようか」と言ってくれたシーンを思い浮かべている時だった。
さりげない言葉だったが、「アタシも一緒に行ってあげようか」にこそ2人で築いたわが家らしい思いやりを感じて嬉しかった。そしてホテルのバーの暗い照明の下でチビリチビリとウイスキーの水割りを舐め、二人で過ごした時の幸福感を思い出すと今でも胸が温まる。これが夫婦なんだと。
そしてアメリカ旅行記を書いているうちに季節も秋から初冬へと移り変わり、東山には雪も降り出した。先週の土曜日はその東山の雪景色に追われるようにわが家の雪囲いも二人でやった。車庫の2階から3本の柱を下ろし、それを寝室の窓辺に立て、透明なビニール板を打ちつけた木の枠をあてがうのがわが家の雪囲いだ。せいぜい20分ほどの作業だが、2人でやると楽しい。
雪囲いの作業を終えてからは庭に散ったままとなっている落ち葉拾いだった。モミジ、イチョウ、それにナナカマドなどの広葉樹の葉っぱが庭一面に散っていた。その落ち葉が何層もたまったその量の多さに最初はウンザリしたが、熊手や火ばさみ、そしてほうきを使って拾い集めているといつの間にかお昼になっていた。初冬の昼前。めっきり弱った太陽の陽射しを背に受けながら、落ち葉とたわむれた。こうして季節は移ろいで行くのだろう。