東山が日増しに白くなっていく。山はもうすっかり冬ごしらえを迎えたようだ。雪に染まった東山の端正な姿を観ていると、幼いころこたつに入って過ごした冬を思い出す。母が作ってくれたドンブクと呼んだ綿入れの着物を着てこたつに足を突っ込み、マンガを読みふけったものだ。そのマンガに夢中になりながらも外から聞こえて来るトントン、カンカンと木を叩く音に気を取られた。東山が雪で白くなるとあちこちで雪囲いが始まり、トントン、カンカンと木を叩く金づちの音が響いてきたからだ。昔の雪囲いは大がかりなもので、何本もの柱を組み立て、それを葦簾(よしず)で囲み、吹雪から家を守った。
家の雪囲い、そして庭木の雪囲いと東山が白くなると父はその作業に追われた。玄関と裏の出口に葦簾を回し、さらに窓という窓は雪でガラスが割られないよう板でふさいだ。昔は多分、雪囲いと言えばまる1日か、2日がかりだったと思う。
昔に比べ今のわが家の雪囲いは随分、簡単なもので雪が滑り落ちる南側の寝室の窓をふさぐだけでいい。前回も書いたが物置となっている車庫の二階から3本の柱を下ろし、それを寝室の窓際に立て、そして透明なビニール板を張り付けた木の枠組みをはめるだけでいい。数年前からその雪囲いは妻も手伝うようになって、せいぜい20分そこらで完成する。
この雪囲いを済ますと庭屋さんもやっと来て玄関前のモミジと裏庭の木々の雪囲いをしてくれる。庭木の雪囲いを終えると冬を迎える準備も完了だ。それにしても今年のわが家の玄関前のモミジは紅葉しないまま散ってしまった。いつもの年なら10月下旬から11月初旬にかけて真っ赤に紅葉して玄関を彩り、晩秋を楽しませてくれるのだが、今年はなぜか紅葉せず、赤茶色に錆びては一枚、一枚と散って寂しく終わった。
その散りかたが変に哀れで、アルバムをひもといた。玄関前のモミジの赤は鮮やかで、わが家の自慢の一つでもあったことから、毎年のように妻とモミジを背景に記念写真を撮ってきた。その写真を眺めては「おかしいな。今年のモミジはどうしたものか」と何度も首をひねった。花の咲かないサクラの木を観ているようで紅葉しなかったモミジが妙に引っかかった。
しかし、これも仕方ない。来年に期待しようと諦め、落ち葉の片づけを終えた後はクリスマスツリーを玄関ホールに飾って楽しむことにした。今年はニューヨークで買い求めたクリスマスの飾り物がある。それを飾ろうと車庫の二階からツリー下ろしてきた。だが、そのツリーにニューヨークの専門店で買い求めたサンタクロースの人形などを吊り下げてみたらツリーの背丈が低く、どうもバランスが取れない。
結局、昨年までのツリーは部屋の中に入れて楽しむことにし、玄関ホールにはもっと背丈の高いツリーを買い求め、それにニューヨークで買ったデコレーションを飾ることにした。イルミネーションも新しいのを買い求めた。また昨年、わらび座の温泉「ゆぽぽ」に宿泊した時に頂いた手作りの雪だるま人形をその新しいツリーに飾るなどしたら、玄関ホールも結構、華やいできた。
さらに白い綿をタンスの隅から探し求め、それを雪に見立ててツリーの枝に下げると昨年、セットで買い求めたクリスマスツリーよりも賑やかでいいムードとなった。居間のドアを閉め、ああでもない、こうでもないとお喋りしながらツリーの飾りをしているのを部屋に一人(一匹)置かれたまま、耳をそばだてていた小犬のパピーもとうとう我慢できなくなったのか「僕も仲間に入れてよ」とワンワン、叫び出した。
「ああ。パピー。パピちゃんも一緒にやりたいんだ。そうかパピーもクリスマスツリーを見たいんだ」と妻はドアを開けて小犬を抱き上げてきた。そしてほぼ完成し、イルミネーションがチカチカと輝くのを見せながら「ホラ。パピちゃん。綺麗でしょう。これがクリスマスツリーよ」と話しかけた。小犬はどんなふうに感じたのか、ただ鼻をクンクンならして匂いを嗅ぐだけだった。小犬を抱きながらクリスマスツリーを飾った休日の午後。久しぶりにくつろいだ気分だった。