夜が長いなと本当に思う。夕方は4時を過ぎるともう暗くなり、朝は5時に目覚めても外は真っ暗だ。師走を迎え、ますますその感を強くしている。そうした夜の長さはあっても楽しみが一つだけある。小犬のパピーだ。わが家ではこのごろ、その小犬のパピーが朝の目ざまし時計の役目を果たしている。温風ヒーターのタイマーを午前5時にセットしているため、ヒーターのスイッチオンと同時に小犬のパピーが目覚め「朝だよ。起きて!」とばかりに「ワンワン」叫び出すからだ。その鳴き声が居間から寝室へと響いて来る。
着替えを済ませ、小犬のパピーを抱いて夜明け前の外へ出たら南東の空に「三日月」が鮮やかに浮かんでいた。切れるような鋭さだった。しかし、さえざえとしたその月が美しいと思った。玄関で防寒コートを着用し、いつものように鏡でその姿を確認している妻に「月がすごいよ。きれいだよ」と叫んだ。「あー。本当だ」。空を見上げた妻の声も月の美しさに弾んだ。月を眺めながら、パピーを連れて夜明け前の散歩が始まった。
図書館の児童コーナーで素敵な本と出会った。「サンタクロースっているんでしょうか?」という本だった。もう108年も前の話である。ほかの新聞社と合併してその新聞は今はないようだが、1897年9月21日付けの「ニューヨーク・サン新聞」に実際に載った社説をそのまま本にしたものである。多分、多くの人が読んでいることと思うが、自分にとっては初めてであり、感動の一文だった。原文は幼児向けのため、ほとんど平仮名だが、子供からの手紙を除いては漢字を遣って一部を紹介したい。
※ニューヨーク・サン新聞社に、この度、次のような手紙が届きました。早速、社説で取り上げて、お返事したいと思います。この手紙の差出人がこんなに大切な質問をするほど、私たちを信頼して下さったことを、記者一同、大変嬉しく思っております。
※記者さま
あたしは8つです。あたしの友だちに「サンタクロースなんていないんだ」って言っている子がいます。パパにきいてみたら、「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ」といいました。ですから、おねがいです。おしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
バージニア・オハンロン(ニューヨーク市西95番街115番地)
※バージニア、お答えします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちは、間違ってます。きっとその子の心には、いまはやりの、なんでも疑ってかかる、疑りや根性というものがしみ込んでいるのでしょう。疑りやは、目に見えるものしか信じません。
疑りやは、心の狭い人たちです。心が狭いために、よく分からないことが、たくさんあるのです。それなのに、自分の分からないことは、みんな嘘だと決めているのです。
けれども人間の心というものは、大人の場合でも、もともとたいそうちっぽけなものなんですよ。
私たちの住んでいる、この限りなく広い宇宙では、人間の智恵は、一匹の虫のように、そう、それこそアリのように、小さいのです。その広く、また深い世界を推し量るには、世の中のことすべてを理解し、すべてを知ることのできるような大きな深い智恵が必要なのです。
そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、決して嘘ではありません。この世の中に、愛や人への思いやりや、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。
あなたにも分かっているでしょう。─世界に満ちあふれている愛や真心こそ、あなたの毎日の生活を美しく、楽しくしているものなのだということを。もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなに暗く、寂しいことでしょう!。あなたのようなかわいらしい子どものいない世界が、考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて、想像もできません。
社説はこうしてサンタクロースの存在を強調する。その一方で、クリスマス・イブに、パパに頼んで探偵を雇ってもらい、ニューヨーク中の煙突を見張ってもらったらどうかとも提案する。
そして「ひょっとすると、サンタクロースをつかまえることができるかもしませんよ」と呼びかけ、「しかし例え、煙突から下りて来るサンタクロースの姿が見えないとしても、それがなんの証拠になるのです。サンタクロースを見た人は、いません。けれども、それはサンタクロースがいないという証明にはならないのです」と社説は話しかける。
社説ではさらに「この世界で一番、確かなこと、それは子どもの目にも、大人の目にも見えないものなのですから」と強調し、その目に見えない世界を覆い隠している幕は「どんな力の強い人にも、また世界中の力持ちが寄ってたかっても引き裂くことはできない」と書く。そして「ただ信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっとき引き除けて、幕の向こうの例えようもなく美しく、輝かしいものを見せてくれるのです」と説得する。
子どものころ、クリスマス・イブの晩は靴下を枕元に置いて眠った。そうしておけばサンタクロースがやってきてその靴下に素敵なプレゼントを入れてくれるかもしれないと兄に教えられ、それを信じて眠った。だがわが家にはサンタクロースは来なかった。2年目の冬も、3年目の冬もサンタクロースは来なかった。結局、サンタクロースなんていないんだと思った。しかし、後で分かったことだが、貧しかったわが家ではクリスマスの夜、子どもたちにプレゼントを贈るなどの余裕はなかったし、昔生まれの父と母だったから仏さまは信じても、クリスマスとは縁もゆかりもなかったのだ。
そのわが家に今は2つのクリスマスツリーが飾られている。毎晩、自宅に帰るとそのツリーのイルミネーションが灯され、チカチカと輝く。サンタクロースはいないかもしれないが、小犬のパピーを抱いて、クリスマスツリーのほのかな輝きを見つめているとやっぱりサンタクロースがいるような気がして来る。サンタは詩と愛とロマンス、そして想像力を広げるとわが家にもやって来そうだ。
ニューヨーク・サン新聞が掲載した「サンタクロースって、いるんでしょうか」という社説はその後、クリスマスが近づくとアメリカのあちこちの新聞や雑誌に、繰り返し繰り返し掲載されたという。素敵な本だった。「サンタクロースっているんでしょうか」は中村妙子さんの訳、東逸子さんの絵で偕成社の発行だ。