冬至を迎えた22日夜から23日朝にかけての雪はひどかった。22日夜、余りの静けさに9時ごろ玄関を開けた。雪が深々と降っていた。向かいの家は真っ白な雪で埋もれ、まるで横手の「かまくら」のようになっていた。それほど重そうな雪をこんもりと屋根に乗せ、夜の底でジッと耐えていた。道路も雪で埋もれ、深い轍(わだち)が出来ていた。再び1時間後に玄関を開けたらさらに雪は深くなっていた。風呂から上がった妻も「どうしたの?」と不思議そうな顔で居間のドアを開けて外へ出、風除室で自分と肩を並べた。
そして「ウワー。すごい雪」。後は絶句し、闇を突いて次々と落ちて来る白い雪を見つめた。風もあるのだろう。風除室のガラスは吹き付けられた細かな雪で真っ白になっていた。声も出さず、降って来る雪をジッと見つめていた妻は「これだと明日の朝は大変ね」とつぶやいた。「うん。大変だよ。明日は」と自分もうなずいた。
午前3時。トイレに行きたくて目覚めた。気になって再び玄関を開けたら雪はまだ降っていた。午前4時。今度は妻がトイレに立った。「あなた。除雪車が走って外が大変。ものすごい雪よ」と言いながら「でももう一度、寝よう」と布団に入った。午前5時。小犬のパピーが「時間が来たよ」と「ワンワン」叫び始めた。その声にわが家の朝が始まったなと思った。
布団に入りながら「分かったよ。パピー。今、起きるからな」と声をかけると、少しは叫ぶのを止める。しかし、ちょっと間を置いてまた直ぐに「早く起きてよ」と催促の叫びをする。午前5時半。ベッドから下りて着替えを済ませ、カーテンを開けた。外はまだ真っ暗である。
アノラックを着込み、パピーを抱いて表に出ようとしたら除雪車が置いて行った雪が山のようになって阻んだ。その雪の山を乗り越え道路に出た。雪の山は自分の膝ほどの高さになっていた。既に向かいの家ではご夫婦とその息子さんの3人が雪の山を崩し、流雪溝にセッセと運んでいた。
「ウヒャー。大変だな」とぼやきながら歩き出すと向かいの奥さまが「アラ。パピちゃん。散歩」と雪寄せの手を休め、歓迎した。パピーは特である。小さくて、愛敬のある顔は誰にも可愛がられ、声をかけられる。それも嬉しいのであろう。雪の中を漕ぐように歩き、おしっこのマークを付けては満足し、しっぽをリズミカルに振って歩く。しかし、雪が多過ぎる。長い散歩は出来ない。自宅前の道路を100メートルほど往復し、家に入れた。
既に妻は雪寄せを始めている。日曜日から今日までの6日間、朝の雪寄せが要らなかったのはたった1日だけだった。本当に良く雪が降る。流雪溝があるとはいえ、最近は水の流れが悪く、除雪車が置いて行った雪の塊をスノーダンプで運んで投げ捨てても直ぐに溝が埋まってしまう。このため3カ所ものふたを持ち上げて雪の投げ口を設ける。ところがそのふたがやり切れないほど重い。
女の手では無理なのだが、妻は自分がパピーの散歩の間、小さな体で何とか持ち上げている。こちらも急いで戻って、雪を運び、流雪溝のふた開け、雪投げを始めた。それにしても今朝23日はひどかった。投げても投げても雪は一向に減らない。しかも、勝手口への通路と寝室の窓は屋根から落ちてきた雪で埋もれている。その雪寄せもあった。そしてお隣の一人暮らしのおばあさんのお宅の分もあった。
5時半過ぎから始めた雪との格闘は終わったら7時だった。昨日は1時間で済んだが、今朝は1時間半である。終わったら全身がクタクタだった。だが、雪をスノーダンプで運びながら夕べの妻の言い分が良かったと思い出していた。「そう。今日が冬至なの。冬至が来たということは春が近づいたということね」。暦はまだ12月であり、春にはほど遠いのだが妻の言葉を聞いて本当に春はもうすぐかもしれないと思った。
冬至。夜が最も長い日だが、この日を境に畳の目一つずつ日脚が長くなっていく。そう言えば23日朝はいくぶん、夜明けが早まったような気がした。夜明け前の半月が美しかった。雪は相変わらず続いているがもう少し頑張ろう。