「きっぱりと冬が来た」と書き、「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬のちから、冬は僕の餌食だ」と冬を迎えたのは詩人の高村光太郎だった。光太郎は冬を苦難へと立ち向かうためのエネルギーの源泉として捉え、受け入れた。しかし、自分は冬、とくに今年のような大雪の冬はキッパリとゴメンだと言いたい。だから今、「きっぱりと春が来た。春よ 僕に来い、僕に来い」とやっと兆しが見えてきた「春」を喜びで迎えている。本当にきっぱりと春が来たのだ。
それは小犬のパピーを連れた朝の散歩でも感じられる。午前5時半はまだ真っ暗だが、きれいに晴れ上がった南の空には細い三日月が煌々と輝き、明けの明星と向かい合っていたし、夜の底に広がる雪面は月の光りを受けて青白く、宝石のように輝いていた。体を締めつけるような寒さも和らいだ。小犬のパピーと歩きながら、雪寄せの辛い作業も、屋根の雪の心配もない季節を迎え、「やはり春が来たんだな」と喜びを噛みしめている。
家に帰ると着替えをしていた妻も「あなたアタシ、このままではコレストロールがたまるからまた歩かなきゃ」と散歩の再開を宣言した。雪が降っている間は毎朝、スノーダンプを手に雪運びで体を動かしていたが、その作業の必要もなくなったため、今度は散歩で体を動かそうというのだ。それも良し。道路もアスファルトが地肌を出し、もう滑って転倒する不安もない。それこそ「きっぱりと春が来た」のだ。朝の散歩を始めよう。そう約束した。
猛威を奮った冬だったが、その終わりは実にあっけない。振り返ってみると2月に入ってからは12日までほぼ毎日、雪と格闘してきた。その間には胃カメラの診断もあった。一方で小犬のパピーが再び、尿管結石で2度目の手術を受ける災難もあった。胃カメラの検査結果は、薬で治せる病気だとの診察でホッとしたのも束の間、その翌日の10日昼ごろには仙北市田沢湖高原の乳頭温泉郷で雪崩が発生し、「鶴の湯温泉」の宿泊客らが巻き込まれるという大ニュースも飛び込んできた。
現場に行くべきかどうかと迷ったが、まずは情報収集が大事だと広域消防本部に駆けつけた。そして現地から入って来るけが人の数や救助作業など得られる情報を取材し、とにかく「鶴の湯温泉」で雪崩が発生し、宿泊客らが巻き込まれたという第一報だけは流そうと試みた。そこへ妻から携帯に電話があり、「あなた。今朝の散歩の時、パピーはおしっこをきちんとやった」と切羽詰まったような声で聞く。
迂闊だったが、そのころは小犬の散歩よりも毎日の雪寄せに追われ、頭も体も疲労気味で、パピーの健康管理までは目が届かなかった。「おしっこ?。やったと思うんだが、どうしたんだ?」と聞いたら「それがおかしいの。いつもならお昼になると大量のおしっこを出すのに今日は全然、やらないのよ。表なら出すかと思って、外に連れて行っても足を上げるだけでおしっこは出せないの」と妻の声は震えだした。
「ゴメン。俺は今、乳頭の雪崩の取材もあって手が離せない。悪いけどタクシーでお医者さんに連れて行ってくれ」と頼んだ。それから1時間ほど経ってから妻に電話したら、実家の兄の車に乗せてもらって動物病院にいるという。そしてレントゲン検査の結果、やはり尿管に石が詰まっておしっこを出せないのだとの診察を受け、手術することになったという。
妻は小犬の心配と自分が一人で乳頭に向かうのではないかという二重の心配を抱えていたようだ。「あなた田沢湖へ取材に行くのは止められないの」と電話の向こうで声を震わす。
自分も行くべきかどうか迷ったが、午後2時過ぎから乳頭温泉に一人で向かうのは危険だと思った。ましてやまともな防寒着もなかった。家に帰ってそれを用意し、それから取材に向かったとしても時間ばかりロスする。消防署でも「伊藤さん。現地からの連絡では危険なため報道の方でも規制されているようです。この雪です。一人では無理だと思いますよ」と現地に向かうのを引き止める。
田沢湖高原の冬の厳しさはこれまでの取材経験からも分かる。もしも雪道でハンドルが取られ、車が動けなくなっても一人ではどうしようもない。それに向かうとすれば宿泊の準備も必要だ。その日の夜は別の約束もあった。
結局、消防本部で得られる情報を集めることに集中し、夕方、動物病院に駆けつけた。小犬のパピーは手術を終え、尿管からゴマ粒のような石が5〜6個も取れたという。麻酔から目覚めたパピーはのどが乾いたのかしきりに口をハァハァーと動かし、大きな息を吐き出す。妻は悲しみとホッとした笑顔を織り交ぜ、「パピー。良かったね。よく頑張ったね」と励ました。
こちらはその様子を見届け、病院の片隅でパソコンを手に乳頭温泉での雪崩事故の続報を書き、ケンニチの紙面を更新した。妻は「アタシもパピーももう大丈夫。あなたは約束があるから行っていいよ」と勧める。後ろ髪を引かれる思いだったが、同級生の集いがあって、その場へ駆けつけた。冬はその日から2日後に春の雨を呼び、終わったと思った。そして「きっぱりと春が来た」。