春、3月を迎えた。しかし、その初日は雪の朝だった。雪がサラサラと舞い落ち、再び風景を白く染めた。だが春の淡雪である。真っ白な雪景色も昼前には解け、雪も雨に変わった。6日には冬ごもりをしていた虫たちも目覚めるという「啓蟄」を迎える。
春。何て希望に満ちた言葉だろう。今年は12月から始まって1月、2月も大雪でウンザリするほど雪に体を使われただけに3月はとても待ち遠しかった。朝、暗いうちから雪寄せをしながら「3月になったらこの雪の作業も終わる。それまでだ。頑張ろう」と自分に言い聞かせた。おかしなもので今振り返ってみると1月も2月も長く、辛かったが、反面、どこかで雪寄せを楽しんでいたような気がする。
それは小さな体で本当に良く頑張った妻との協働がそうさせたのかもしれない。まだ暗い朝、あるいは仕事を終えて帰った夕方の真っ暗な中、「アタシも手伝う」とスノーダンプを手に自宅裏に回り、屋根から落ちた雪を懸命に運んだ。その共に働こうとする意識が喜びと変わったのかもしれない。雪寄せ作業を終わるとクタクタになったが、やり遂げた満足感にひたりながら朝食を食べ、夜はビール、お酒を楽しんだ。
しかし、せっかく雪を寄せてもその翌日はまた同じ位の量の雪が表に積もり、裏には屋根から落ちた雪が山を作っているのを見ると「ああ。またか」と大きくため息をついたものだった。それでも妻は「よし!。やるか!」と元気な声で気合を入れ、起き出したから随分、励みになった。だから12月から始まった雪との闘いも結構、頑張れたのかもしれない。今、思い出してみると辛かったが、本当にどこか楽しんでいる面もあった。
さて3月1日。これも恒例だが、ほぼ毎年、大曲高校の卒業式の取材に行っている。その卒業式の様子を見ながらいつも思うのは「青春っていいな」だ。自分にもあった青春だったが、高校時代の3年間は無為徒食に過ごした。入学するまでは憧れていた高校だったが、工業高校の機械科だったこともあって一般の授業の他に実習があり、ハンマーを手に鍛冶屋のような作業をしたり、旋盤を相手に金属を削る作業もあった。元々が不器用で機転が効かないため、旋盤を動かして金属を10分の1ミリ削るとか、数ミリの溝を掘るなどの作業は苦手だった。
同級生の中にはそれを得意とするのも多かったが、自分は機械を前にするとまったくの落ちこぼれ、落第生だった。このため、自分の針路に夢を持てず入学して半年ぐらいしてからは授業をさぼり、仲間を誘って山へ良く遊びに行ったものだった。山の中で弁当を広げ、映画や小説、マンガの話を楽しんだ。とにかく機械工学や水力学など機械科関連の授業も実習も嫌いで、よくさぼった。一方で国語や古典、倫理社会などは面白く、こちらの方は結構、真面目に学んだ。
授業をさぼると担任の先生に報告されるため、学校に戻ると良く叱られたが、その先生の叱り方には思いやりがあって、今もその優しさには感謝している。もう定年でとうに教職を去っているが、いつまでも顔だけは忘れない。ある時は自分の成績が入学してから極端に落ちたのを心配して夜、自転車に乗って自宅を訪ねてくれたこともあった。高校の先生が夜になって生徒の自宅を訪問したため、両親も「マサオ。何をしたんだ」とビックリしていたが、先生は「お父さん、お母さん。そんなに驚かないで。ただマサオ君が心配だっただけですから」と笑顔を見せた。
父も母も恐縮しきって先生を迎え、頭を下げっぱなしだったが、あの時の「マサオ。お前の気持ちは分からないわけではないが、もう少し我慢してみないか」と専門科目の授業をきちんと受けるよう諭された。先生が夜になってわざわざ自宅を訪ねてくれた優しさが嬉しくて「ハイ!」と答え、その晩は先生を見送りたくて自分も先生の横に並んで自転車を走らせた。思えば自分は中学時代も高校時代も担任の先生には随分、心配をかけた生徒だった。その性格は今も変わらず、現在は読者が自分を心配してくれているようだ。
大曲高校の卒業式を取材しながら、遠い思い出にひたった。こちら編集室を読み、自分の体を心配し、「読者の広場に」顔を出してくれた方、そしてメールで直接、お見舞いを寄せて下さった方。ありがとう。