久し振りに東山の麓を走った。奥羽の山並みも春を迎え、木の根元は雪が解け、丸い穴が無数に広がっていた。山全体がインクを解かしたような淡く、優しいブルーとなって見えた。美郷町の「千畑ラベンダー園」はまだ深い雪に覆われていたが、アスファルト道路を歩き、東山を眺めたら「久し振りに来てくれたのね。嬉しい」とささやくような声が聞こえた。東山は自分にとって母の懐に飛び込んだような安心感を与える。深い母性をはらんでいる。
話は飛ぶが、昨年暮れ、雪に備えて長靴と防寒靴を買い求めた。長靴は朝夕の雪寄せ用に履き、防寒靴は毎日の通勤用にと新調した。どちらもチェーン店から「安い」と思って買った。本格的な雪が降りだした12月、新しい長靴を履いて張り切って雪寄せ作業を始めた。12月も1月もほとんど毎日のように早朝の雪寄せが続いた。
屋根から落ちた重い雪をスノーダンプで運ぶのは重労働だった。除雪車が置いていく雪の山を崩し、スノーダンプで運んで流雪溝に流すのもクタクタになるほどの肉体労働だった。いったい朝だけでいくら歩いたのか。残念なことに「万歩計」を無くしたため計れなかったが、玄関前の雪寄せと自宅裏に回って屋根から落ちた雪を運ぶ作業は朝だけで1時間以上もかかったから、4キロ以上は歩いたとは思っている。
それがほぼ毎日続いたから生まれてこのかた50年以上も地球を歩いた足は弱まり、正月には右足の膝が痛くなり、整形外科の治療を受ける羽目になった。それでも雪を運ぶ足は新しい長靴のおかげでいつもポカポカと温かかった。
だが、快適だと思って履いていた長靴だったが1月になるとなぜか靴下の両わきが濡れるようになった。最初は気にもならなかったが、雪寄せを終えて長靴を脱いで家に入ると靴下はいつも汗をかいたように濡れていた。それが毎日、続くからおかしいなと思った。長靴への不信感が募った。
長靴も防寒靴も確か2000円しなかったと思う。さすが「チェーン店だ。安い」と喜んで買ったものだった。しかし、雪道を歩くだけで靴下の両わきが濡れるようでは長靴の役目は果たしてない。「おかしいよ。この靴。靴下が毎日、こんな風に濡れるなんて」と妻にも相談し、結局は市内で古くからやっている靴専門店で新しいのに買い換えた。2月末だった。
長靴は結局、ゴミとして出した。それから今度は防寒靴も雪道を歩くだけで靴下が濡れだした。普段はどこへ取材に行くにも車なのであまり雪道を歩くことはない。歩くとすればせいぜい、夕方、自宅に帰って小犬のパピーを連れ出して近所をちょっとだけ散歩する程度だ。その靴を履いてシャーベット状の濡れた道を歩いたこともない。また、水たまりの道も歩いた記憶もない。ただ雪道を歩いただけだ。
なのにパピーとの散歩を終え、靴を脱ぐと両足の靴下の両わきはビッショリと濡れている。「何だ。この靴もか」と何か裏切られたような気分を味わった。それでも雪解けが進み、アスファルトが露出してきたので不便を感じず履いているが、小犬のパピーを連れて近所の神社の小道を歩くとまだ雪があるため、そこを歩くだけで靴下はビッショリと濡れている。しかも、足に合わなかったせいかこのごろではわずかに歩くだけで痛みを感じるようになった。
結局、その靴も冬靴としては役に立たないと諦め、今日17日から普通の革靴に履き替えた。朝の雨も止んで午後からは春らしい陽気となって東山へと向かった。チェーン店で買い求めた長靴、そして防寒靴は安かったもののどちらも役立たずの代物だった。チェーン店が悪いのだとは思わない。結局、安い物はその程度なのだと知った。長靴も防寒靴も見た目はしっかりした「作り」に見えたが、量産量販するために数の中には欠陥品も出るのだろう。実際、春から夏にかけて履いている靴はそのチェーン店で買ったものだった。そちらの方は1万円以上はした。だからチェーン店が全ていい加減とは言い切れない。
ともかく1シーズンを履いたらいいと思って買い求めた靴だった。それが1シーズンも持たない結果に終わったが、まあ冬は終わった。来年、また防寒靴を新調するときは多少は高くてもしっかりした靴を買い求めよう。そう思いながら浅い春の中で目覚めた東山を眺め、山の声を聞いた。