春4月を迎えたが風は冷たく、昨日は雪さえチラついた。冬、去り難しなのだろうか。田んぼにはまだかなりの雪が残っている。その雪が冷たい風を送って来るのだろう。朝の散歩は冬着を離せない。
毎年のことだが、雪解けの進む今ごろの秋田の風景は無惨だ。悲しくなるほど足元が人の手で汚されているからだ。田んぼに面した路肩からはフキノトウも顔を出して春を告げるのだが、同時に雪の下に埋もれていた空き缶やタバコの空箱、吸いがらも顔を出す。
朝の散歩は小学校周辺を歩くのだが、路肩にはフキノトウと同じ位の数の空き缶が捨てられたままだ。ジュースやお茶を飲んではそのまま〃ポイ捨て〃しているのだろうが、汚れた空き缶の列は無惨だ。中には缶ビールやワンカップの類さえある。冬道を歩きながらビールを飲んだり、酒を飲んでいるのだろうか。それとも車の中で飲んだのを放り投げているのだろうか。そう想うとゾッとする。
投げ捨てられたそうしたゴミを目にしながらの朝の散歩は、気持ちいいものではない。雪も消えると農家の人たちは田んぼを耕す仕事も始めるだろう。その仕事に入る前に他人が投げ捨てた空き缶やペットボトルを片づけなければならない。それを思うと気の毒でもある。
言い訳がましいが最近、どうにも書くというエネルギーが沸かなくなった。一般の記事を書くのは仕事であり、一つの流れとして抵抗ないが、「こちら編集室」に関してはもう語り尽くし、燃え尽きたような感じだ。このため先週は掲載を休んだ。今週も見合わせたいと思ったが、その前に少しでもそうした事情を説明しておくのが礼儀だろうと思った。
書けなくなったのは遠慮なく語り合える友が定年を迎え、仕事先の大仙市役所から姿を消したという寂しさもあるかもしれない。木々は春と同時に生まれ変わって新芽を育て、若葉を広げようと新しいエネルギーに燃えるのだが、自分はそろそろ人生の峠に差しかかり、下り坂を迎えた。そうした年齢的なハンディが、書くという〃力仕事〃を発揮できなくなったような気がする。
とにかくこのところ、週末の休みが待ち遠しくてしょうがない。新聞記者という仕事だから土日が必ず休める保証はなく、むしろこれまでは仕事で出かける日が多かった。5〜6年前まではそれでも週末の仕事も何でもなかったのだが、このごろは億劫でしょうがない。だから何も望まない。ただ「ゆっくりしたいな」と思うだけである。
その「ゆっくりしたいな」と思う日を毎日、毎日、待ち望むようになった。休みだからといって何をするわけでもない。ただ、妻を誘って横手市へ足を伸ばし、好きなそば屋やラーメン屋で昼食をとり、大型店をブラブラする程度である。しかし、その気ままな時間がどうにも楽しく、充実している。
昨年、市役所を定年で退職した友人も「俺もそうだよ。別に何をするというわけではないが、週1回程度は横手まで走って大型店をブラブラしたり、本屋に入って時間つぶしをしたり、温泉に浸かってるんだ。それがまた結構、楽しいんだ」と話す。
その友人は単独行動を好むが、こちらはいつも妻と行動を共にする。小犬のパピーも一緒だ。雪解けが進んだらもっと暖かくなる。今から楽しみにしているのは小犬のパピーを連れて横手市や湯沢市へとドライブし、公園をブラブラしたいことだ。何にも望まない。ノンビリしたい。
ともかく「こちら編集室」というエッセー風の文章を書く気力が薄れてきた。感動するという気持ちも希薄になった。あるいは自分は同年代の人より生きようとするエネルギーが不足しているのかもしれない。困ったものである。日増しに人生の店じまいへの思いが募って来るのを止められない。そう言うわけで「こちら編集室」は今後、余り力まず、思いついたら楽しみながら書いてみたい。独り言と思って。