朝の散歩時、足元を見たら「踊り子草」と「ツクシ」が風とたわむれるように左右に小さく揺れていた。太陽が顔を出し、その光を受けてフキノトウは若葉色の慎ましい笑顔を見せていた。踊り子草は風にたわむれながらも、紫色の姿はどこか古風で悲しげな落ち着きがあった。ツクシは子どものようなあどけさだった。
東山から昇った太陽は田んぼの水たまりにその姿を映し、水浴びをしているように見えた。その朝の光を受けてフキノトウも踊り子草も、そしてツクシも「春が来たんだね」と生まれたばかりの喜びを噛みしめ、語り合っているように見えた。しかし、春の晴れ間はあっけない。少しだけ顔を出した朝の太陽は間もなく厚い雲に覆われ、雨に変わった。しかも午後からは雪まで降った。フキノトウも踊り子草も、そしてツクシも雪の冷たさに震えているのではないかと心配した。
朝の散歩時にいつも励みにしていたのは「万歩計」の数字だった。毎朝、歩くコースは同じだから朝は5000歩前後の数字で、距離も2キロ足らずだが、その数字を見るだけで満足感があった。その万歩計をまた無くしてしまった。
昨年の10月、アメリカに行く時にも万歩計をしっかり身につけ、飛行機に乗ったのだが、トイレに入る時に落としてはいけないと外して棚の上に置いたのがいけなかった。そのまま忘れてしまい、サンフランシスコ空港の土を踏んでから思い出した。まさに後の祭だった。自宅を出る時は「今度のアメリカ旅行ではいったい、何歩ぐらい歩くことになるのだろう」と気負って万歩計を付けたのだが、機内のトイレに忘れたのだから情けない。
それから間もなく冬を迎え、散歩も休むことにしたため、万歩計のことはそのままだった。春を迎え、再び歩き始めたらやはり万歩計のない散歩は寂しい。それで市内の大手電気店で先日、買い求めた。確か1900円ぐらいだった。便利なもので歩数はもちろん歩いた距離、そして時計、消費したカロリーまで計算してくれる。とはいえそのセットの仕方が分からないのでお店の人にお願いした。
そして朝の散歩から夕方、仕事を終えて帰るまでの歩数を毎日、チェックしては楽しんでいた。なのにその万歩計をまた落としてしまった。ベルトに挟むだけの構造だけにちょっとした動作で落としてしまうようだ。
万歩計を買った時の妻への言い訳が良かった。テレビとか電機掃除機、冷蔵庫など家電製品はいつもわが家に出入りしてくれる街の電気屋さんから買い求めている。その一方で電池や蛍光灯などは大手の電器店を相手にしている。そうした大手の電器店で買い求めるのはせいぜい1000円前後の品だ。なのに100円の買い物でも、500円の買い物でも店員は精いっぱいの愛想を使ってお礼を述べる。
それが気持ち良かったし、気の毒でもあった。それだけに少しでもその店に還元したいという思いもあった。だから「その店で万歩計を買ったんだ」と妻に話したら、「あなたって、そんな見栄を張るから困るのよ」と笑っていた。その万歩計を無くしてしまった。
1900円の万歩計を買う時に迷った。もう一ランク上は3000円ほどで、こちらはポケットに入れてもまたカバンに入れても歩く距離を計るというスグレものだった。それを買おうかどうかと考えた結果、選んだのが安い方だった。そしてわずか1週間もしないうちに落としてしまった。悔しいが、万歩計のない日々は寂しい。今度は惜しまず3000円の品を選んだ。
これなら落とさないよう紐も付いていて、懐中時計のようにズボンのポケットに入れて歩ける。こちらもセットの仕方が分からず店員さんにお願いした。若い20代の店員だったが、愛想よくセッティングを引き受けてくれた。しかも、さすが万歩計の中でも一番高いだけに性能もすごい。その日歩いた歩数は夜中の12時になると自動的に消え、1日前のメモリとして記憶されるのだという。しかも1週間分の歩数と距離が記憶されるというからすごい。その万歩計を買い求めて3日目になった。初日はわずか700メートル、そして2日目は約5.1キロ、そして今日21日は4.9キロである。
こうして毎日、歩いた距離が記録されるのは楽しいし、励みになる。朝の散歩。道端にはスイセンの花も咲き出した。これから本当の花の季節だ。土曜、日曜日はもっと遠出した散歩を楽しもうと思っている。小犬のパピーもこのごろご機嫌だ。