こちら編集室「桜の季節に」(4月28日)

  大仙市役所前の桜がようやく咲き出した。今年の冬は大雪だっただけに1月と2月は鉛色の暗い空を見上げては雪を寄せ、疲労困憊の日々に雪国生活を嘆いたものだった。それだけに桜の季節は待ち遠しかった。28日、ようやく青空も顔を出した。市役所前は空まで桜色に染まり、きらびやかな季節となった。

  ぼんやりとした記憶だが、横手川の堤防近くに桜の木が一本だけあって、その下で近所の女の子とツクシを取って遊んだことがある。ツクシは土手一面に顔を出し、摘んでも摘んでもきりがなかった。しかし、二人で夢中でツクシを摘み取って集めた。摘み取られたツクシは手のひらに乗せるとかすかだが甘い香があったような気がする。雪の下から生まれたツクシは〃春の使い〃だった。

  冬。ゴム長靴を履いて外に出ても足の指が冷たさでズキズキと痛み、とても辛かった。それでも自然に仲間たちが集まると遊びの輪が出来上がり、雪の広場を踏み固め、相撲を取ったり、雪合戦もした。女の子たちが加わると遊びはおとなしいものとなり、小さな滑り台を作って竹スキーの場とした。

  幼い子どもたちがつくる滑り台だからほんのちょっとした小山だったが、竹スキーに乗った女の子たちは赤い綿入れの羽織をなびかせてチョウのような華やかさで滑り、はしゃいだ。冬にはそうした楽しみもあったが雪は冷たく、辛かった。それだけに春になって雪が解け、土が露出し、堤防の斜面が茶色に乾いた雑草で埋まると喜びもひとしおだった。フキノトウ、ツクシを見るだけではしゃぎたくなった。

  横手川の堤防には今も杉林がある。近所の女の子と桜の木の下でツクシの摘み取りを競ったのはポカポカとしたとても暖かい日だった。ツクシを摘み取りながら二人で何を語ったのか、なぜその子と二人きりになったのかは分からない。

  子どものころからそうだったが、団体行動は苦手な方だった。グループ活動よりも一人で遊ぶ方が気が楽だった。だから幼いころも一人で横手川の堤防に行き、雲を眺めてはブラブラした。その女の子も一人が好きだったのかもしれない。ツクシを摘み取る遊びをしてからしばらくして、再びその堤防で会い、今度は「この白い花を摘み取って」と甘い声で誘われた。当時はその草花の名前も分からなかったが、シロツメクサだった。

  頼まれたまま一生懸命にその草を摘み取ったら、その女の子は器用に編み始め、丸い冠と首飾りを作った。そして冠を自分に差し出した。白い花が冠になったのには本当に驚いて「ヘェー。すごい」と感心した。その女の子はニッコリとうなずいて「アタシ、今度、遠くに行くのよ」とだけ言った。その言葉の意味が分からなかった。

  その女の子の家は神社の裏の畑にポツンと一軒だけあったと思う。その翌日、再び横手川の堤防を歩きながら、その女の子の家を眺めると、家族みんなよそ行きの綺麗な姿で家を出るところだった。ただ眺めているだけだったが、何か大きなものを失ったような悲しみに襲われた。ツクシを摘み取った時も、白い花を摘み取って冠や首飾りを作ってもらった時も、自分の兄や秋田市からたまに遊びに来る同年代の従姉妹たちと遊んだ時とは違った〃未体験〃の切なさと喜びを感じた。

  小学校入学前だったが、桜の木の下でツクシを摘み、横手川の堤防にしゃがんでシロツメクサを摘み取って遊んだ記憶だけがまだぼんやりと残っている。その女の子が家族に連れられてどこかへ引っ越した時の心の痛みがなぜだったのか。それが分かったのは高校に入って石原裕次郎の「錆びたナイフ」という歌を聞いた時だった。

  低音だが甘い響きのある声がスクリーンから流れ出し、その歌詞に耳を傾けたら胸が詰まり、涙が流れた。

  「海鳴りは  しても  何も言わない  まっかに錆びた  ジャックナイフが  いとしいよ  俺もここまで  泣きに来た  同じおもいの  旅路の果てだ」=萩原四朗作詞=。

  幼いあの時の悲しみは結局、恋の始まりだったのだ。そしてツクシを摘み取った時の自分の一生懸命さも、シロツメクサを摘み取って白い花の冠をもらった時の喜びも、幼いながらもその女の子をいたわってやりたいとした恋の始まりだったのだ。桜の花が咲き出した。横手川の堤防で遊んだ幼いころを思い出していた。あの日も暖かい春の午後だった。