こちら編集室「春の夜」(5月12日)

  半月だが、南の空にとても明るい月が輝いていた。そして北の空を見上げるとこちらには北斗七星がきらめいていた。その7つの星だけでなく北極星も見えたし、他にも様々な星たちがキラキラと輝いていた。それを見上げているとまるで月と星たちが「春の夜空」という題名で光のシンフォニーを演じているような気がした。

  月と星をもっと広い空で観たいとそのまま横手川の堤防まで歩いた。川のせせらぎの音を聞きながら、南の空に輝く月を眺め、北の空に杓子のような形で並んだ7つの星を見上げた。北斗七星の他にも大きな星、小さな星が螢火のように無数に輝き、その小さな光がなぜかとても幸せな気分を運んできた。月と星たちを寒さ知らずに観られる春の夜はいいなと思った。

  高校生のころ、やはり月と星たちを観ていて、そのまま明け方まで歩いたことがある。角間川町を抜けると視界をさえぎるものはほとんどなく、夜の闇の底に田んぼが延々と広がっていた。そして遥か向こうに輝く街の灯が自分を誘っているような気がして、その灯(あかり)を目指して歩き続けた。

  夜の闇の底を歩いているのは自分だけだったが、孤独ではなかった。寂しくも、悲しくもなかった。月が輝き、星たちがきらめいていた。田んぼからはカエルたちの合唱が響いていた。遠くの灯が、自分を待っているような気がした。道路はまだ舗装もされておらず歩くと白っぽいホコリが舞う砂利道だった。それでも歩いた。月を見上げ、星を見上げ、遠くに輝く街の灯に幸せを求めて歩いた。

  夜道をあてもなく歩きたいと思ったのはちょうどそのころ、高校の授業で覚えたカール・ブッセの詩「山のあなた」への憧れがあったからかもしれない。

  山のあなたの空遠く

  「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。

  噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、

  涙さしぐみ、かへりきぬ。

  山のあなたになほ遠く

  「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。

  この美しく悲しい詩が心にしみ入り、言葉の一つひとつを頭に刻み、暗唱した。「山のあなたの空遠く  幸い住むと人のいふ」。その言葉一つひとつが、遠くへの憧れを抱かせた。それは東山であり、夜の闇の遥か向こうに輝く街の灯だった。

  横手川の堤防に腰を下ろして眺める緑の東山はいつでも優しかったし、美しかった。カール・ブッセの詩はその東山への憧れをさらに強くさせ、遠くに輝く夜の街の灯にも「幸い」というものがあるような気がしてならなかった。

  高校生のころ、夜を徹して歩いて着いた街は沼館という所だった。おそらく20キロ以上はあったろう。もう明け方になっていた。自分の性格には無計画な一面もあり、家を出た時は無一文だった。ただ遠くに憧れ、見知らぬ町に行ってみたいと、それだけの思いを込めて歩いた。帰りはどうするのかは考えてもいなかった。しかし、いざ着いてみるとお金も持たずに家を出た無頓着さにあわてた。しかも、さすがに足もクタクタだった。

  どうしよう。どうしたらいいのかと後悔しながら歩いていると一台のトラックが走ってきた。恐る恐る手を挙げたら止まってくれた。30台の男性が運転していた。「どうしたんだ?」といぶかしそうな口調で聞いた。「お願いです。大曲まで乗せて行ってくれませんか」と頼んだ。その男性は「ちょうど大曲に行くところだった。乗ってもいいよ」と事情も聞かずにドアを開けてくれた。

  走り出すと「家出したんじゃないのか」と聞かれた。「いいえ。違います。ただ夜中に歩いていたらここまで来てしまって」と話すと笑っていた。自宅に着くと母が囲炉裏の側で縫い物をしていた。その母の膝にすり寄り、眠った。年老いた母だったが、疲れた体には母の膝も何ものにも換え難い優しさを感じた。