正直言って、その風景を見た時は思わず目頭が熱くなり、涙で目が潤んだ。「これがあの馬籠だ。写真で何度も見た『馬籠宿』なんだ」と感激で胸がいっぱいになった。島崎藤村が小説「夜明け前」の冒頭で書いた「木曽路はすべて山の中である」が頭に浮かんだ。本当に山の中に宿場町はあり、遠い江戸時代の昔からの面影をそのまま残して、静かな息づかいで迎えてくれた。空を見上げると雲一つない青空が狭い渓谷に広がっていた。
大仙市大曲金谷町で呉服店を営み、美味しいソバを求めて県内外を歩く「暖(なん)の会」を主宰する安田勘二郎さん夫妻からのお誘いを受けて20、21の2日間、「初夏の信州の旅」を楽しんできた。かなり前にも夫婦で参加したことがあったが、マイクロバスだとなぜか酔ってしまうため、長い間、会への参加を遠慮していた。だが先月、偶然に安田さんとお会いし、「いかがです。今度は信州のソバを求めて旅行する計画をしているんですよ」と誘われた。
信州と言えば藤村の「夜明け前」の舞台となった歴史の里である。大作「夜明け前」は若いころ2度ほど繰り返して読み、小説全体に流れる重苦しいチェロの重低奏音のような悲しみに心打たれたものだった。
明治維新という新しい時代の流れに期待する青山半蔵。しかし、時代は半蔵の期待とは逆の流れとなって裏切られ、最後は狂死するが、小説第1部でのお民との結婚間もない馬籠での生活描写が好きだった。
「お民、来てご覧。けふは恵那山がよく見えますよ。妻籠の方はどうかねえ、木曽川の音が聞こえるかねぇ」。
半蔵のこの優しさが良かった。しかし、優しいだけに半蔵は人一倍傷つき、悲しみ、苦悩したに違いない。
安田さんから信州への旅の日程表を頂いた時は妻も「すごくいいコースね」と喜び、自分も理想の旅だと思った。「夜明け前」には「木曽11宿はおよそ3つに分けられて、馬籠、妻籠、野尻を下4宿といい、須原、上松、福島を中3宿といい、宮の越、藪原(やぶはら)、奈良井、贄側(にえがわ)を上4宿という」と書かれている。「いつかは歩いてみたい」と憧れていた小説の舞台だった。
20日朝、午前6時34分の秋田新幹線「こまち2号」で大曲駅を旅立った。参加者は私たちを含め、4夫婦17人だった。ほとんどは第一線から退き、悠々自適の生活をしている人たちだった。その人たちと朝のあいさつを交わしながら、「退職したら、そう贅沢は望まないが、こうしてたまにノンビリ旅をするものいいな」と思った。
小犬のパピーはいつものように犬のトレーナー・小原友望さん(横手市)に頼んだ。パピーは早朝から出かける準備をする自分たちの動きを観察し、けげんな顔をしていた。かわいそうだったが、「パピー。2日間、留守にするけどパピーの大好きなお姉さんが面倒を見てくれるからナ」とその目に語りかけた。
東京駅から乗り換え、歌にもなった「スーパーあずさ」に乗り、岐阜県の上諏訪市で目指す美味しいソバを食べ、原田泰治美術館の見学、そして中津川温泉に宿泊した。翌朝は前田青邨記念館を見学し、期待する馬籠、妻籠を歩き、福島宿でかつての尾張藩御用水車屋「くるまや本店」で再びソバを食べ、奈良井宿を目指すという旅だった。マイクロバスを借り切ってとはいえ、強行軍だった。
それでも馬籠、妻籠を歩くと感動で涙が出た。妻は行く時、「あなた。馬籠や妻籠を見るときっと感激か、感動するよ」と言っていた。そして「感激と感動とどう違うのかな」と笑っていた。自分は「そうだな。感激は涙が出て、感動は叫びたくなるくらい興奮することかもしれない」と答えた。
21日朝、中津川温泉のホテル「花更紗」を出た時から思ったのは「本当に木曽路は山の中にある」だった。行けども行けども左右に山がそびえ、春紅葉の盛りだった。「これが信州なんだ」と感動し、感激した。
馬籠では島崎藤村記念館も訪れた。記念館までの石畳の坂道を歩きながら思った。「ここは眺めても、見つめても感動という空気を運んできてくれる」と。与えられた時間は本当に少なかった。しかし、「お民、来てご覧。けふは恵那山がよく見えますよ」の恵那山も目の前に広がっていた。妻に振り返って「ほら。あれが恵那山だよ。さっきの藤村記念館に書かれてあった恵那山があれだよ」と興奮しながら教えた。青い、青い、美しい山だった。信州へはもう一度、今度はもっとゆっくりと時間を取って旅してみたいと思った。
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