こちら編集室「傘」(6月23日)

  梅雨入りした秋田だが雨の日は少なく、気持ち良く毎日を過ごしている。雨の日は好きになれないが、それでいて雨を待ち遠しいと思ったことは何度かあった。子供のころ、傘をなくして新しく買ってもらった時だ。単純なものでその真新しい傘を手に早く学校に行きたいと願ったものだ。しかし、日曜日の雨だけはウンザリだった。雨の日曜日は天気を恨んだ。あのころは日曜日と言えば、神社の前の広場に集まって野球をやったり、かくれんぼをするのが楽しみだった。天気が良いと自然に仲間が集まって、リーダーが遊びを思いついたものだった。それだけに雨だと「遊べない」と天気を恨んだ。

  神社の前の広場と言ってもそれほど広いものではなく、野球のベースは杉の木やイチョウの木が代替わりだった。ボールを打つとその木を目指して走り、手を添えるとセーフだった。木々がいっぱいあったから、ボールは木にぶつかってあっちこっちへと弾んだ。ボールと言っても誰もグローブを持ってなかったから、手で取れる軟らかいテニス用のボールを使い、バットもただの棒切れだった。投げる人、そして受けてのキャッチャー、それに内野と外野手を兼ねた守りの選手が1人か2人揃えば、楽しめた変則的な野球だった。

  待ち合わせたり、連絡を取り合ったわけでもないのに天気が良いと自然に神社に仲間が集まって遊びが始まった。今もその神社はあり、小犬を連れての散歩コースとなっているが、大人になってから見る神社前の広場は本当に狭いと感じる。それなのに子供のころはその広場を夢中で走り、追いかけっこをしたものだ。

  缶蹴りというゲームもあった。一人が鬼になって樹木や神社の床下に隠れた人を見つけると鬼に代わって隠れる役になれるのだが、探している間に缶を蹴られるとゲームは振り出しに戻ってまた、鬼にならなければならなかった。野球でも隠れんぼでも、女の子が一緒だった。

  とにかく仲間が集まれば自然に遊びが始まった。それだけに日曜日は天気になってもらいたかった。そうした子どものころの癖があるせいか、今でも土日の雨はついお天道様を恨んでしまう。

  先日、新聞に「梅雨の季節を彩る色とりどりの傘」という記事が載っていた。見出しについ興味が引かれ、目を通してみた。最近は雨に濡れると一層、鮮やかな絵柄を出す「ほぐし織」という特殊な織り方の生地をつかった傘があり、1本1万9000円と紹介してあった。

  このごろは朝の散歩の時、雨に備えて傘を手に家を出る日が多い。歩きながら妻にその傘を話題にしたら「あなたは買ってもだめよ。そんな値段の高い傘を買っても直ぐ無くすんだから」と一蹴された。さすが長年、連れ添った仲だけに自分の心まで見通しだと感心した。そのような傘が実は欲しかったのである。

  最近、自分に与えられる傘は100円ショップで買ったものばかりだ。買っても、買っても傘を置き忘れ、これまで数えきれないほど無くした自分にあきれ、「もう。あなたに持たせる傘はこれしかない」と100円ショップで買い求めたビニール製の傘を預けられたままだ。その傘もまとめて10本預けられたのだが、今、車のトランクに残っているのはわずかに2本しかない。
  いつだったか。「100円ショップの傘じゃなく、もっと高いのを自分で買うから。値段の高い、しっかりした傘だともったいないので忘れはずがない」とへ理屈をこねたが、妻は笑って取り合わない。

  果たして1万9000円もの傘に男物もあるかどうかは分からないが、傘一本にも夢を持ちたいと思ったが、当面は妻の言うことを聴いて我慢するしかないか。それにしてもいい傘がほしい。そうしたら雨も楽しみになるかもしれないのにと子供のような自分の気持ちを持て余す。

  とここまで書いたら妻から携帯にメールが来た。それによると時々、ガソリンを入れているスタンドからサービス案内の葉書が来て、満タン給油をしたらジャンプ傘のプレゼントがあるとか。「今度の土曜か日曜に行きましょうね」と合った。以心伝心とでもいうのだろうか。100円ショップで買い求めた傘には、勝手に傘が開いてしまうお粗末なものもあって困っていた。とはいえプレゼントされるタダの傘はどういうものか。それでも傘のことを気にしていてくれた妻の気持ちが嬉しい。