取材で大仙市太田町を走った。奥羽山脈の麓に栄えたこの町を走るのは楽しい。奥羽山脈、いわゆる東山が目の前に屏風のように立ちふさがり、緑色に染まった優しい姿で迎えるからだ。その日の朝は雨の予報だった。しかし、取材で訪れたら山を覆っていた鉛色の雲も次第に薄れ、東山の全貌が現れた。「ああ。山が顔を出してくれた」と正面に大きくなって広がる、東山の間近な姿、その雄大さに感動した。
先週の日曜日、妻が大事にしていた花が盗まれた。この春、仙北市田沢湖に行った時、立ち寄った「森の駅」で買い求めた鉢植えの「マツバギク」だ。鮮やかなワインカラーの花を咲かせ、妻は毎日、それを愛でていた。
退職してからは花を育て、花とふれ合う毎日を楽しんでいる妻は玄関前の通路や車庫前の駐車スペースに鉢植えの草花を置いて、「これ綺麗でしょう。これもイイヨね」と白い花、黄色に咲いた花、真っ赤な花、紫の花を眺めては喜んでいる。
先週の日曜日、「栗駒山に行ってみませんか」との誘いを受けて、大喜びでおにぎりの準備をし、相手のご夫婦の案内で小犬も連れて出かけた。須川温泉から登山道に入り、久し振りの山道を歩いた。小犬のパピーも大張りきりでゴロゴロした岩場の道を登り、四つ足ならではの強さを発揮した。
登山道が平らになり、広い草原に出ると辺り一面には無数のワタスゲが咲き、まさに桃源郷だった。ワタスゲはいつか観てみたいと思っていた憧れの高山植物だった。その名の通り、白い綿のような花だった。そのワタスゲの群れに混じって可憐なツマトリソウ、紫が美しいタテヤマリンドウ、淡いピンク色をしたイワカガミなども咲いていた。目の前にそびえる硫黄山を眺め、山の風を受けながらの昼食は格別の美味しさだった。
小犬のパピーは小さいながらも、自分たちを守ろうとしているのだろう。ハイカーが近づい来るのに気づくと「ウーッ」とうなった。外に出ると滅多に吠えることのないパピーなのに不思議だと思ったが、小犬は小犬なりに私たち4人の守り手になろうと務めていたのだろう。しかし、吠えられたハイカーたちもわが家の犬を見ると思わずほほえみ、「おや。可愛いねー」と声をかけ、中には頭をなでていく人もいた。
食事が終わってからは「もう一回りしよう」と湿原に敷いた木道を歩き、一面に広がったお花畑の景観を楽しんだ。自分たちを案内してくれたご夫婦は山に咲いている花の名前を良く知っていた。「ああ。これがショウジョウバカマ。これがマイヅルソウよ」と花を見つけてはその名前を教えてくれた。花に触れ、花を楽しみながらのハイキングだった。そして須川温泉では足湯を初めて体験した。靴と靴下を脱いで、湯の川に足を入れて温泉気分を楽しむのだが、熱過ぎてこれには閉口した。日曜日だっただけに温泉は大勢の人で賑わっていた。とにかく山の空気、山の雰囲気を楽しめた一日だった。
そして帰ったら車庫前に置いていたマツバギクが姿を消していた。花のスタンドだけがわびしく残っていた。それを見た時、自分は多分、妻がどこかに寄せたものだろうと思って気にもしないでいた。ところが、表に出てきた妻が「あら。ここにあった花が・・・」と言ったきり絶句した。そして「誰かが持って行ったのかしら」とつぶやき、顔が見る見る間に悲しみの表情に変わった。
ことわざに「花盗人は風流のうち」という言葉がある。花の美しさに引かれて、つい一枝折るのは風流心だから、盗みとしてとがめるなということのようだが、鉢植えの花をそのまま持っていくのは風流どころではない。悪質な窃盗である。そしてその盗みがどんなに人の心を傷つけるかを考えたことはあるだろうか。妻は「もしも」ということもあるとわざわざ裏に回って花を探した。鉢植えの花に足が生えて歩き出したとでも思ったのだろうか。いそいそと裏庭に回る妻の背中が悲しかった。そして「花は無かった。盗まれたのかしら」と肩を落とした。
確かに花はいつでも誰でも持って行こうとすれば持って行ける無防備な状態だった。しかし、丹精込めて育てた他人の花を持って行こうとする者がいるとすれば余りにもその心は貧しい。悲しいほど貧しい。鉢植えの花だから抱いて持ち去るには重過ぎる。きっと車に入れて運んだものだろう。他人のものを何とも思わず、持ち去って行こうとする人もいる。身勝手で、自己中心。思いやりのかけらさえ持ち合わせてない人間がいることを身を持って知った。花は消えた。喜びの朝に始まった日曜日の青空が悲しい色に見えた。