こちら編集室「入道雲」(7月21日)

  雨や曇りの日々が続いているだけに、東山からモクモクと巨大な入道雲が吐き出され、大空いっぱいに広がった時は嬉しかった。しかし、いくぶん雨が含んでいるせいか入道雲は真っ白なものではなく、部分的に灰色がかっていた。でも夏らしい雄渾な雲の姿に感動し、夕方の横手川の堤防を小犬を連れて歩いた。

  雲の下で東山は青く染まり、水彩画のように淡く霞んでいた。堤防の上から遥か遠くの北に目を向けると駒ヶ岳がうっすらと顔を出し、正面には真昼岳だろうか、他の頂きより一段、高くそびえて見えた。東山と巨大な入道雲を見つめながら歩いていると右手の杉林からはヒグラシの透き通るような鳴き声がした。カナカナカナと杉林の奥から響いてくるセミの鳴き声は悲しいほど美しく、切ない。久し振りに川港親水公園を一周してみようと思った。小犬のパピーはただひたすら前向きに足を進め、その姿がけなげだった。

  全国を騒がせている藤里町での事件は、顔見知りの小学生の男の子を殺害しただけでなく、自分の娘までをも殺してしまうという最悪の事件へと展開した。朝夕のテレビニュースで毎日毎日、事件の主役として映し出される彼女の顔を見ると、このごろではさすがにウンザリする。自分の娘を殺しておきながら娘を失った母として、悲劇の主人公を演じ、その陰では娘の知り合いでもあった近所の男の子を殺害する。そして嘘にウソを重ね、自ら作った虚偽のストーリーをあたかも真実のように信じ込んでいくという異常な性格も観られる。

  どうしてこのような人物が生まれたのか。大仙市であった「社会を明るくする運動」の取材でも、参加した保護司たちからは藤里町での事件も含め、奈良市での高校生による放火での母や妹を焼死されたり、岡山の大学生による女性の取り合いで友人を生き埋めにするなどの凶悪事件の発生に心を痛めているのが伝わってきた。そして家庭や学校、地域の教育力の低下を指摘する声も挙がった。

  自分が子どものころ、親に無断でお金を持っていき、近所の店から菓子を買って食べた時はこれが自分の親かと思えるほど叱られた。父も母も顔色を変えて大声を上げ、「無断で金を持っていくようなガキはいらないから出て行け」と叫ばれ、盗むということがどんなに悪いことかを身をもって教えられた。いつも笑顔で、優しいと思っていた父や母が鬼のような形相となり、泣いて謝ったことがある。小学校へ入学する前だった。

  しかし、それほど怒った親でも、その叱られたショックで夕食になっても泣き止まずにいると「マコ。もういい。もう泣くな。ご飯だ。食べれ、食べれ」とあやすようになだめた。叱っても、愛情を注ぐことを忘れなかった。素朴で、直球のような愛情が注がれ、幸せを感じさせたものだった。

  母の作ってくれる食事で思い出すのは少しでも「うまい」と正直に喜ぶと、同じものをその翌日もさらにその次の日も出されることだった。例えばカレーである。明治生まれの母にとって、こうした洋食を出すことは挑戦だったと思う。まだ、幼かった自分にもカレーライスは珍しいもので、それを口にした時は嬉しくて「うまい」と大きな声で喜んだ。その声に目を細めた母の顔は忘れられない。「うまいか。マア。うまかったか」と満面の笑顔を見せ、その翌日の夕食も、また次の日の夕食もカレーライスが続いた。

  キャベツの油炒めを喜ぶとやはり同じものが3日も4日も続いた。母はそうすることで喜んでもらえると思っていたのだろう。父も兄たちもさすがに同じおかずが3日も4日も続くと辟易したと思うが、黙っていた。とにかく母は食事では子どもたちに喜んでもらうのを生きがいとしていた。

  今回の藤里町の事件で、川に突き落とされて水死した彩香ちゃんは母親から与えられていた食事はカップラーメンが多かったようだ。その上、来客があると夜でも娘を表に出していたという。子育てという親としての当然の義務を放棄してしまったのだろう。新聞記事を読んで、彩香ちゃんの哀れさに何度か「ウッ」と涙を飲み込んだ。子は親を選べないとはいえ、余りに不幸で短い命だった。

  カナカナカナと杉林の奥から響いてくるヒグラシの悲しいほどの美しい鳴き声に耳を傾け、親水公園の散策路を歩いて一周し、再び堤防に出たら、さっきまで東山の上を覆っていたまがまがしい入道雲は姿を変え、鎧を脱ぎ捨てたような普通の雲になっていた。穏やかな初夏の一日が終わろうとしている。夕食が待っている。急ごうと思った。