「あなた。もう5時過ぎよ」。妻の声に目覚め、飛び起きた。妻は5時前に起きて、庭の草取りをしていたようだ。そして5時になってもまだ眠っている自分を起こしに来た。「ン。あ、そうか。もう5時か」と寝ぼけ眼を擦りながらベッドから立ち上がり、カーテンを開けたら朝の光りのシャワーがサーッと入ってきた。青空が広がり、久し振りの明るい朝だった。急いで着替えを済ませ、小犬のパピーを抱き上げ、妻と共に朝の散歩を始めた。
雨の日以外、妻は日中、玄関のサッシ戸は開け放ち、網戸だけをして自宅への風通しを良くしている。夕方も4時ごろになると小犬のパピーは、玄関と玄関ホールの廊下を隔てた居間のドアの柵の前にチョコンと座って外を眺め、ひたすら自分の帰りを待っているという。そして車の音だけで帰宅したことに気付き、ワンワンと吠え出す。
こちらもその様子は車の中から良く見える。網戸越しだが、四つ足で踏ん張って妻が台所に居れば、顔を左側に向けて「ワンワン」と吠え、自分の帰宅を知らせる。奥の寝室に居れば、顔を後ろ向けて「ワンワン」やる。和室に居れば顔を右側に向け、「ワンワン」と知らせる。
その仕草が可愛くて帰宅が何よりも楽しみだ。ところが、昨日は帰宅したら妻が小犬のパピーを抱いて、玄関の上がり框(かまち)に腰を下ろして待っていた。まるで置き人形のように待っているのが網戸越しに見えた。そして表に自分の車が止まったのを見つけるとパピーを抱いて、外に出てきて「今日はアタシがパピーの代わりに待ってたの」と笑った。
待っていてくれる人が居るのはいいもんだとつくづく思った。夫婦となってもう34年にもなるが、こうして玄関に座って小犬のパピーを抱きながら、帰宅を待ってくれた妻の仕草は温かく、幸せを感じた。同時に帰って良かったと思った。
大曲図書館で素敵な本と出会った。野呂希一さんと荒井和生さん共著の「言葉の風景」(青菁社)である。木や花、葉っぱ、月や太陽、雲、霧や雨、川や海、春紅葉、秋紅葉、雪など森羅万象の全てをオールキャストにし、写真と言葉でまとめたものである。
「言葉の風景」。本の題名がいい。そして写真がいい。その上、綴られた言葉がいい。「続・言葉の風景」も含め、2冊を大事に抱え、借りてきた。例えば「続・言葉の風景」である。1ページ目を開いたら朝もやにけむる長野県八坂村の山の風景を見開きで掲載している。そして「季節にふさわしい言葉には、日本の風土に根づいてきたゆるぎない強さと心なごむ雅びやかな響きをもっています。(中略)言葉によって季節をめぐり、情景によってふと言葉が浮かぶ。つぶやきながら、囁きながら、言葉と対面する旅もまた愉しいものです」と書いてあった。
素敵な言葉、素敵な写真に感動した。嬉しくて図書館に感謝したいくらいだ。図書館に入ると自分は旅をしている気分を味わう。それは心の放浪でもある。本との新しい出会いを求めての旅であり、さすらいだと思う。そして手にした一冊の本から感銘を受け、あるいは感動し、共感する。時にはその本の主人公に自分が重なって一緒に苦しみ、一緒に泣き、一緒に戦い、同じ人を愛し、同じ人を憎むこともある。
今回は「言葉の風景」という題名に惚れた。一目惚れだ。「言葉の風景」は「春の章」に始まり、「夏の章」「秋の章」「冬の章」で終わっている。「続・言葉の風景」は「光の情景」「風の情景」「水の情景」「時の情景」「つれづれの情景」の6章からなる。
「春の章」では雪を割って顔を出したフキノトウや福寿草、ミズバショウ、ツクシを紹介し、木々の芽生え、満開となったサクラで春のドラマを謳歌している。そして「夏の章」では梅雨の光景やまばゆいばかりの光、大きく成長した木の葉、雲などを写真と言葉で綴っている。
「やらずの雨」という言葉も紹介されている。自分の大好きな言葉だ。本では「客を帰さないために引き止めるように降る雨」と説明しているが、自分は「大好きな人を帰したくないために降ってくれる雨」と思っている。もう遠い昔だが、そうした出会いも雨の日にあった。窓を濡らす雨を見ながら、「このまま降り続けていてほしい」とあの時は願ったものだった。しばらくは図書館から借りた「言葉の風景」「続・言葉の風景」を楽しもう。