その日もうだるような暑い朝だった。東山から昇ったばかりの太陽はギラギラと大地を照らし、稲穂に成長の息吹をかけていた。土曜日だった。8月に入っても土日の取材が多く、休めない日が続いていたので、その日は休もうと思った。そして散歩しながら「今日は横手に行こうよ」と妻を誘った。
横手市の秋田ふるさと村にある県立近代美術館でピカソやクレー、ルオーなどフランスのリール近代美術館所蔵作品を並べた「ピカソとモディリアーニの時代」展が新聞で紹介され、27日までとあったから、それを観に行くには19日の土曜日しかなかった。翌日は美郷町六郷での自転車ロード・レースや障がい者自立支援センターでの記念講演の取材もあった。それに26日になると大曲の花火で身動きも取れないし、その翌日は花火の表彰式の取材もある。
妻は「朝からこんな暑さだもの。大変だよ」と行くのを渋ったが、とにかく付き合うことを承諾した。パブロ・ピカソ。この巨匠の描く抽象画という摩訶不思議な絵の世界は馴染めなかったが、4年前、東京・上野の森美術館で初めて「ピカソ展」を観た時、そのしっかりとしたデッサンに感動し、「花束」というリトグラフを買い求めた。以来、ピカソの絵は分からないなりにその人の持つ絵の世界に魅力を感じていた。
今回もそうだった。ピカソの絵を目の前にした時は、それを理解しようとするのは無理だと思った。一人の女性の顔を正面や横、下から見た時に感じた印象をそれぞれバラバラにし、1枚のキャンバスに描くのだから、これが人の顔なの(?)とクイッションマークが頭の中でいくつも点滅した。だが、山形美術館から借りてきたという「剣を持つ男」の絵の前では思わず立ち止まった。
この絵もピカソ独特の世界でどれが「剣」なのか、また男の顔も極端に変形され、魚のようにも見えたが、どこか威風堂々とした姿と色彩の組み合わせの見事さもあって、思わず引き込まれた。ユトリロやルオー、それにミロの絵もあった。ビュッフィの力強い線画もあった。
ミロの絵には赤や黄色の円の組み合わせや柔らかな曲線に、子どものような夢と自由な美しさがあった。モジリアーニの「母と子」の絵は、飾りっ気もない朴訥な構図と色彩に最初、魅力を余り感じなかったが、後でじわりとそのすごさが伝わってきた。それに気がついたのは絵を見終わって、美術館下の売店でモジリアーニの絵の複製を見てだった。複製とは言え、額装されたその絵を観ていると母と子の情愛、そして何とも言えぬ絵の重みと魅力に取りつかれた。
おかしなものでその魅力に取りつかれると、家に飾ってみたいという欲望も湧き、その値段に目を走らせたがいずれも10万円を超える金額で手が出せなかった。結局、妻と意気投合したのがポストカードとなったミロの絵で、それだけを1枚買い求め、真っ白な額に入れてもらった。ポストカードでも額装してみるとミロの世界が凝縮され、素敵な宝物となった。
この日はさらに万華鏡もその売店で買い求めた。銀色の美しい金属製の筒だったので、何かなと手にしてみたら万華鏡だった。覗いて見たらとても素敵な世界が目の前に広がった。まるで小宇宙である。小さな星たちが様々な色彩でクルクルと姿形を変え、目の前で色彩のドラマを演じる。
万華鏡と言えば小学生のころ、学校で鏡を貼った細長いボール紙を3枚貼り合わせ、三角形の筒にし、細かく刻んだ色紙を入れて、色と形の変化を楽しんだことがある。美術館の売店で販売している万華鏡は子どものころ作ったのとは比較にならないほど表現力が豊かで、繊細だった。その万華鏡をポケットに入れて、時々、覗いては目の前に広がる小宇宙の美しさに見とれている。
ミロのポストカードと万華鏡。このささやかな宝物を手にした喜びを味わいながら、今年の短い夏の思い出を締めくくろうと思う。写真は大仙市南外で写す。