朝霧が下りるようになった。薄いもやがかかったような霧が下りた朝は、半袖シャツでは肌寒く、薄いジャンパーを羽織って散歩に出かけている。霧が下りた日曜日の朝、横手川の橋を渡ってから眺めた東山は、墨を水で薄めたような灰色のシルエット姿でその山並みを美しく浮かび上がらせていた。
日曜日の朝。「今日は休める」と思うと、本当に心もくつろぎ、嬉しくなる。いつものように午前5時には目覚めるが、小犬のパピーを抱き上げた時も「今日は休めるぞ」と心はしゃぐ。横手川の橋を渡って右折し、美郷町仙南へと足を向けた。稲は穂首を垂らし、黄金色に染まっていた。東山が霧の向こうに灰色の陰影を残し、その姿をクッキリと現していた。カメラを向けると山は言った。「あなた。今日は嬉しそうね」。山までが貴重な休日を祝ってくれた。
散歩を終え、帰宅してからの楽しみはアサガオとの出会いだ。今年はアサガオが本当に良く咲いた。6月。裏庭で妻と向き合って3つのプランターにアサガオの種を播いた。小さなプランターに何十個もの種を播いたため、「オイオイ。大丈夫か。播き過ぎだよ」と言っても妻は「いいの。いっぱい咲かせたいから」と言うことも聞かず、ビッシリと播いた。
その3つは裏庭の濡れ縁に置いた。芽を出したアサガオは過当競争のためか、弱々しかったが、とにかく蔓が這う道を作った。蔓は麻糸を伝って次第に伸び、8月の暑い盛りになると綺麗に咲き出した。紫や青、青空のようなおしゃれな青、そして緑と様々な花がビロードのような軟らかさで咲いた。朝。このアサガオがとても励みになった。
玄関と車庫前にもアサガオのプランターが2個置かれた。そちらは近所の方から種をもらい、妻が一人で植えたものだ。玄関に咲いたアサガオも上品な青で夏を気持ち良く楽しませた。アサガオの咲く夏はいい。アサガオは9月になった今も咲いている。行く夏を惜しむかのように咲いている。
夕方、小犬のパピーの散歩を終えて、アサガオに水をやりながら「川港親水公園に小猫が捨てられていたんだ。とても可愛い小猫で、女の子が餌をやってたよ」と妻に報告したら、「エー。捨て猫。かわいそう。アタシも行ってみようかな」と言ったが、一瞬、考え直し「ダメ。アタシが行ったらそのネコ、全員を家に連れてきそう」と台所で踏みとどまった。
小猫たちに餌を与えている女の子は20歳前後だった。野球場前の広場に腰を下ろしてネコたちとじゃれ合っていたから、その子が連れてきたものと思っていた。可愛い小猫だったので、ビックリさせてはいけないと小犬のパピーを抱き上げて、そっと娘さんの側に寄った。
近づいたら小猫はイタズラっぽい目でこちらをにらみ、同時に側溝の蓋の隙間へとすばしっこい勢いで逃げた。振り返った女の子は「捨て猫なの。ここを通っている中学生もかわいそうだって餌を与えてるし、私も夕方、餌を与えてるんです」と話した。
捨てられたネコは4匹という。その捨て猫に餌を与えるのが正しいのかどうかは分からないが、ネコたちがお腹を空かしたらかわいそうだとキャットフードやパン、ご飯、そして牛乳を与え、さらに小猫たちの寝床として段ボール箱を用意した中学生たち、そして20歳前後の女の子の優しさが嬉しかった。
「そうか。捨て猫か。かわいそうに。ごめんなさい。自分は何もやれないけど、面倒を見てやってね」とその子に言うと、コックリと頷いた。一方で、そのネコたちに頭を悩ましている人も居る。「小猫のうちはいいが、野良猫として成長したら、どんな悪さをしだすか分からない」と。それもそうだ。飼い主が居てこそ、ネコも穏やかに暮らせるが、飼い主も居ないまま成長したのでは野生化する恐れもある。
しかも朝夕は大分、冷え込みも厳しくなった。餌を与えてくれる女の子や中学生たちの呼ぶ声には応じて、側溝から顔を出す小猫たち。季節はこれから日増しに肌寒さを深め、厳しい冬へと向かう。小猫たちの行く末を思うと心が痛む。ネコを飼うなら、こうした悲劇を招かないよう避妊手術するなど処置をすべきでなかったか。哀れな小猫4兄弟の明日が心配だ。夕方、アサガオは悲しそうにしおれていた。