半袖から長袖へ。そして重ね着の秋を迎えた。夕方、家に帰ると相変わらず小犬のパピーは開け放たれた玄関の引き戸の向こうの居間で、こま犬のように座って、自分を待っている。エンジン音で気づくのか、車を停めると同時にピョコンと立ち上がって歓迎の声を挙げる。そして妻が台所に居ればそちらに向かって吠え、寝室に居れば後ろを振り向いて吠える。小さな番犬のその姿が可愛い。
パピーは夕方の散歩をひたすら楽しみに待っているようで、家に入ると同時に自分の後を追い、「行こうよ。早く行こうよ」と催促の叫び声を挙げる。着替えを済ませ、小犬を抱き上げると妻も「パピちゃん。行ってらっしゃい」とパピーにだけは声をかけるのを忘れない。その妻がパピーに新しい名前を付けた。
可愛くて仕方なかったのだろう。その経緯はこうである。夏の暑さから小犬の体をしばらく洗ってなかった。先週の土曜日。仕事に出かける前に洗うことにした。シャワーを浴びせシャンプーで洗い、さらにリンスをかけ、バスタオルで体を拭いてから外でドライヤーをかけようと抱き上げた時だ。「さあ、抱っこだよ。この宝っ子!」という言葉が妻から出て、こちらも吹き出した。
子どものころだった。父親が自分を叱った時、良く口にしたのは「このタカラモノ!」だった。本物の宝物なら大事にすべきだが、手に負えないどら息子も別な意味での「タカラモノ」だったようだ。妻も幼いころ、そうした言葉を聞いたのかは知らないが、小犬のパピーの可愛さ余ってつい「この宝っ子」と呼んでしまったようだ。自分もその名文句に「本当にパピーは大事な宝っ子だよ」と笑った。
そのパピーを連れて夕方の散歩に出かけるひと時がこのごろ至福の時間だ。神社の裏道を通って横手川の堤防へと向かう。草むらの道は秋の虫たちの演奏会場となっているから歩くのも気持ちいい。リーン、リーン、リーン、チッチッチッチ。鈴のように涼やかな澄みきった音は安らぎといやしを与えてくれる。
このごろ思い出す歌がある。石原裕次郎さんの「恋の町札幌」だ。浜口庫之助さんの作詞・作曲だが、そのロマンチックな歌詞がいい。
時計台の下で逢って
私の恋ははじまりました
だまってあなたに ついてくだけで
私はとても幸わせだった
夢のような恋のはじめ
忘れはしない恋の町札幌
札幌のまちはこれまで妻と2度、歩いた。一度はまだ20代のころで、1週間の休みを取って北海道を列車の旅をした。次は10数年前、妻の父と母を連れて、函館から札幌市へとレンタカーでの旅だった。札幌では時計台の下で写真を撮った。北大のポプラ並木道も歩いた。芝生や花壇、彫像なども設けられた大通公園も歩いた。美しい都市だったなと思う。時計台の下で仰ぎ見た札幌の空の青さだけが、今も強い印象に残っている。もう一度、歩いてみたい町だ。
石原裕次郎さんは「恋の町札幌」に特別な思いを込めていたような気がする。「時計台の下で逢って 私の恋ははじまりました」のフレーズを歌い出す時の声の響きのつや、甘さが格別だった。この歌を初めて聞いた時、高校時代に憧れた1学年上の長いお下げ髪の清楚で美しい人とイメージがダブった。美郷町六郷方面から毎朝、自転車で通学するその人とすれ違った日は一日中、胸がドキドキしたものだった。同じ自転車通学の仲間たちもその女子高生とすれ違うと「スゲー」とため息をついた。あのころは、自転車ですれ違っただけで青春の血を沸かせた。
「恋の町札幌」。退職後、どれほどのぜいたくが出来るかは分からないが、もう一度、北海道を旅してみたいとこのごろ強く思う。のんびりと札幌や富良野を歩いてみたい。寒くなった今朝、妻は起きると同時にタンスを開け、「今日からはこれを着ないと」と毛糸のチョッキを出してくれた。常に自分を守ろうとする心遣いを見せる妻。もう一度、二人で札幌の時計台の下に立ってみたいと思った。