朝霧が降りた。外へ出ると乳白色の霧が流れ、体はひんやりとした空気に包まれた。その霧の中を歩いた。霧は横手川の橋を超えるとさらに深まり、中学校の大きな建物も、その近くの家々も霧の中で白い幻覚を見ているような風景になっていた。東山は霧に隠れ、歩いているのは妻と自分、そして小さな家族のパピーだけだった。深い霧は10数メートル先を歩いている人たちを包んだ。稲刈りの終わった田んぼは、稲株だけを残してガランとしていた。霧の中から、羽音だけを残して飛び去る影があった。カラスだった。日増しに秋が深まっていると思った。
このごろ太った。タバコを止めた3年前、喫煙に成功した人たちから「タバコを止めると太りますよ」と良く言われたが、自分はタバコを止めても55キロの体重は変わらなかった。小食なので太る体質ではないだろうと思っていた。それが今年の夏ごろからベルトが合わなくなり、きつくなった。
それでも自分では太ったとは思っていなかったが、親しくしている女の人から「伊藤さん。何よこのごろ。お腹が先になって歩いてるみたいよ」と言われた。でも、次が良かった。「伊藤さんのは幸せ太りだからいいわね」と。そんな言葉をかけられると単細胞の自分は嬉しくて、「そうだよ。幸せ太りだよ」と笑って、自分の腹を見た。なるほど、お腹がポコンと前に出っ張っている。その晩、風呂上がりに体重計に乗ったら63キロになっていた。8キロも太っていたのである。自分の体なのに体重の突然変異に驚いた。
暑い夏の間はネクタイもせず、シャツもズボンもラフなのを着用していて気づかなかったが、ベルトがいつもお腹に食い込むような感じで、「どうしてこうもきつくなったのだろう」とは思っていた。ちょうどベルトも傷んでいたので買い換えた。そして9月になってそろそろネクタイを着用すべきかと、スーツ用のズボンを履こうとしたらどれもベルトが要らないほどきつくなっていた。
その結果が「お腹が先になって歩いているみたいよ」の指摘である。家に帰って、そのことを妻に報告したら「そう言えばこのごろ太ったみたい」と笑った。それにしても「幸せ太り」とはいい言葉だなと思った。
しかし、新調したベルトも10月になったらまたきつくなった。お金はないのに見栄っ張りな自分は、身に付けるものは少しでも高級品を求めたがる。ベルトも輸入品のいいものを買い求めた。自分のお腹のサイズに合わせ、慎重にカットした。そして自分の大切なオタカラにしていた。なのにそのベルトがわずか1カ月足らずで合わなくなった。情けない。かといってもう一本、新しく買い求めるのももったいない。幅を広げたズボンはどうにか履けるようになったが、ベルトはもう少し様子を見ようと思っている。
太りたいという願望はあった。大相撲の小錦や朝青龍は無理としてもある程度、年齢なりの体型であればと思っていた。映画「トラトラトラ」に出演し、連合艦隊長官の山本五十六中将を貫祿タップリに演じた山村聡や「砂の器」で主人公・和賀英良の婚約者のお父さん役を演じた佐分利信のような風格は持ちたいものだと憧れた。お二人のような渋くて、カッコいい男になりたいと望んでも、どだい無理な願望なのだが、夢ぐらいは持っていいはずだ。
しかし、8キロも太ってみたら不便このうえない。自転車を漕いだらわずか走っただけで心臓は動悸を打ち、用事があって3階建ての急な階段を一気に登ったら息が切れて受け付けの女の人と話し出せるまでしばらく時間を要した。
その上、心配事も増えた。着ているスーツはまだ夏物だが、これから秋冬用のスーツを着用した場合、サイズが合うだろうかということである。ズボンはある程度、広げることは出来るだろうが、上着を着てみたらボタンが弾け飛んでしまうようになっていたらどうしよう。太るということは無駄なお金もかかることか。自分の体をまだ重いとは思っていないが、長く歩いていると体を支えている足の裏が重さに耐えられないのかズシリと鈍い痛みを発する。深まり行く秋。天高く馬肥ゆる秋である。