こちら編集室「絵本」(10月13日)

  心待ちにしていた「十五夜」の月は雨で観られなかった。親しくしている方から「今夜のお月さんのために飾って」と、ススキと花のセットを頂いたのに雨がじゃまをした。それから数日後の夜、「今夜はどうだろう」と外に出たら東の空に丸い大きな月が浮かんでいた。ややいびつだったが、秋の夜長を飾る美しい月だった。「オーイ。月が出てるよ」と9時過ぎに妻を呼び、外に立ってしばし月見を楽しんだ。

  幼いころ、秋になって「満月の日」を迎えると横手川の堤防沿いに咲いているススキを採ってくるのが役目だった。台所に立った母が兄と自分を呼び「川さ行って、ススキ採ってきてけれナ。お月さんに飾るから」と用事を言いつけた。

  堤防に行くとどこもうっそうとしたススキが生えていた。本当に取り放題だった。堤防はススキのジャングルだった。今は雑草が生え繁ると定期的に刈り取られるため、ススキは探さないと見当たらなくなった。

  満月の日は楽しみだった。食事を終えると月光が射し入る廊下に小さなテーブルを置いてススキを飾り、ロウソクを灯し、お盆にはお菓子、料理、それにお酒の入った銚子と猪口も置いて月を迎えた。楽しみはそのお月さまを拝んだ後にもらえる菓子だった。

  父と母、そして兄たちと月を眺め、月に手を合わせ、パンパンと柏手を打った。父と母にとっては月も神さまのように崇高な存在だった。お盆の前に正座し、かしこまった顔で月の光に頭を下げ、柏手を打って家内安全、商売繁盛を祈った。月の光の差し込む部屋でシルエットとなった父と母の後ろ姿が今も目に浮かぶ。

  秋の夜長、大地を青白く照らす月の光は幻想的だった。裏庭の畑からは秋の虫たちの鳴き声が無数に響いた。そしてコオロギやスイッチョが家の中に飛び込み、それを追って遊んだ。幼いころは月を見るのも、秋の虫たちを追って捕まえ、手のひらで遊ばせるのも楽しいものだった。コオロギやスイッチョの手足からはイノコログサを握ったようなかゆい感触があった。

  そうした虫たちを手にして遊んだ月夜の世界は遠い、本当に遠い思い出になった。父も去り、母も去った。親と子。このごろは子が親を殺し、親が子を殺す時代となった。どこかが狂っている。そうとしか思えない事件が起きる。しかし、まだまだ親と子は捨てたもんんじゃない。そうした本との出会いが大曲図書館であった。

  大曲図書館はほぼ毎日通っている楽しみな場だが、本との出会いを楽しみたい時は児童コーナーにも足を運ぶ。そうして見つけたのが「さっちゃんのまほうのて」だった。田畑清一さんの挿絵、そして先天性四肢障害父母の会の野辺明子さん、志沢小夜子さんの共同制作の絵本である。

  その本の表紙は涙を流しながら、お母さんを見つめている女の子の悲しい姿が描かれている。その子の悲しい表情に心奪われ、絵本を手にした。「さっちゃん」という女の子はまだ幼稚園児である。園ではままごと遊びが盛んだった。「さっちゃん」のお母さんのお腹には赤ちゃんがいて、間もなく「さっちゃん」はお姉さんになる。だから、「さっちゃん」もままごと遊びではいつもチビの妹とか赤ちゃん役ではなく、お母さん役をやってみたかった。

  その日は意を決して「さっちゃん」自ら、今日は「あたし。おかあさんに  なる!」と宣言した。しかし、友だちは「さっちゃん」がお母さんになるのを反対する。その言葉が残酷だった。「さっちゃんは  おあかさんには  なれないよ!。だって、てのないおかあさんなんて  へんだもん」。

  「さっちゃん」には生まれつき、右手の指がなかった。みんなにはある指が「さっちゃん」にはなかった。それまでは指がなかったことも気にしていなかった。それが友だちから「手のないお母さんなんて変だもん」と指摘されてしまった。「さっちゃん」は幼稚園を飛び出し、無我夢中で家に帰る。その怒り猛った姿で家を目指して走る「さっちゃん」の姿は自分の目からは涙で歪んで見えなかった。

  「さっちゃん」は「どうして指がないの」とお母さんに訴える。抱きしめる「さっちゃん」のお母さん。そしてお母さんは「さっちゃん」にも分かりやすいよう「さちこはね。お母さんのおなかのなかで」と語り始め、手や足や心臓ができて人間の体になっていく時に「おなかのなかでけがをしてしまって、ゆびだけ  どうしても  できなかったの。どうして  おなかのなかで  けがなんかしてしまうのか、まだ  だれにも  わからないの」と話す。

  「さっちゃん」の「しょうがくせいになったら、さっちゃんのゆび、みんなみたいにはえてくる?」と尋ねるその言葉が悲しかった。お母さんは辛くても本当のことを言うしかないと決心し、小学生になってもその手は今のままよと説明する。そして「でもね。さっっちゃん。これが  さちこの  だいじなて  なんだから。おかあさんの  だいすきな  さちこの  かわいい  かわいいて  なんだから」と泣きながら話す。

  次の日から幼稚園を休み、大好きなクマの人形を背負ったり、布団に寝かせつけて一人で遊ぶ「さっちゃん」の寂しそうな姿が悲しかった。その「さっちゃん」のお母さんがやがて赤ちゃんを生み、「さっちゃん」はお姉さんになる。

  お父さんに連れられて赤ちゃんとお母さんを見舞いに行った「さっちゃん」は、お父さんに聞く。「さっちゃん、ゆびが  なくても  おかあさんに  なれるかな」と。お父さんは「なれるとも  さちこは  すてきな  おかあさんに  なれるぞ」と励ます。そして「さちこと  てを  つないであるいていると  とっても  ふしぎな  ちからが  さちこのてからやってきて  おうとうさんの  からだ  いっぱいになるんだ  さちこのては  まるで  まほうのてだね」と言う。

  悲しいが、美しく、温かい、そして涙ボロボロの絵本だった。「さっちゃん」はそれから幼稚園の先生に励まされ、そして園の男の子の友だちからもプレゼントをもらい、元気を取り戻す。障害のある子も、健常な子も普通に遊び、助け合い、学ぶことの大切さを絵本から教えられた。そして「親と子」の温かく力強い、美しい世界を学んだ。同時に「さっちゃん」のような悲しい思いをさせたくないと思った。素敵で温かいいい絵本だ。偕成社で販売している。