こちら編集室「星の光り」(10月20日)

  星空が良かった。紫色に染まった夕空に一番星が輝き、それから少し遅れて闇が一面に占めると無数の星たちが輝き始めた。空気が澄み、そのおかげで空にはこんなにも多くの星があるのかと驚くほどの輝きだった。小犬のパピーと共に横手川の堤防から「川港親水公園」へと歩き、秋の星空を眺めた。

  秋も深まって、わが家でも今では玄関の戸は閉めたままで、小犬のパピーにとって楽しみだった外を歩く人や車の流れの観測は出来なくなった。パピーはその代わりに耳を懸命にそばだて、音で自分の帰りを判断しようとしているのだろう。電動シャッターが動き出すと「アッ。帰ってきた!」とばかりに「ワンワン」と叫ぶ声が車庫にも聞こえてくる。

  多分、台所にいたであろう妻はそのパピーの知らせを受けて、小犬を抱いて「お帰り」と迎えてくれる。本来なら妻に「ただいま」と答えるべきだろうが、小犬と共に生活している家庭なら多分どこでも同じと思うが、「ただいま帰ったよ」とあいさつするのはパピーに向かってである。

  自分の帰りを首を長くして待っていたパピーは、目を爛々と輝かせ、車から持ち出したパソコンをテーブルにセットし、それから寝室に入って着替えを終えるまでの一挙手一投足をジッと観察し、散歩に連れて行ってもらえるのを待つ。亡くなった柴犬のアキもそうだった。アキもしっぽを振りながら、「待ってたんだよ」と散歩に出かけるのを意地らしく、何度も催促した。

  田沢湖高原から眺めた田沢湖一番星は家に着く手前の横手川の橋の上で、車の中から見かけた。空が茜色から紫色へと変わり、南西の空に一つだけの星がキラキラと輝き出した。子どものころ、この一番星を目にすると「もう家に帰らなければ」と少し寂しい思いをしながら、雄物川の原っぱでの遊びを止めてスゴスゴと帰ったものだった。

  あのころの原っぱでの遊びは野球だった。棒切れをバットに、ボールはテニス用の軟らかいボールだった。だから誰もが素手でボールを追い、捕まえた。棒切れに当たったボールはズボッと鈍い音を残して飛んだ。野球と言えば9人制だが、あのころは5人でも6人でも集まればそれで良かった。最初、近くの神社の境内で始めた野球だったが、次第に狭さに飽き、広い原っぱに場所を移した。テニス用の軟らかいボールでも打てば結構、飛んだ。それを追ってアウトだ、セーフだと叫んでは野球を楽しんだ。そして一番星を見つけると「もう家に帰らねば」と惜しみながら遊びを止めた。

  家に帰って着替えを済ませ、小犬のパピーを抱いて外に出るとすっかりと夜の闇は深まり、漆黒のキャンバスは無数の星たちが主役となって輝いていた。その星たちを眺め、星座を描いた昔の人たちの創造力はすごいなと思った。星と星とを線で結び、大熊座や小熊座、おとめ座、かんむり座、はくちょう座、てんびん座、へび座、そして大好きな冬の王者オリオン座などを描いたのである。

  星座はおよそ5000年前、チグリス・ユーフラテスの両大河に挟まれたメソポタミア地方で、羊の群れを追って生活していた人々が満天の星を眺め、その星に名前をつけ、そして星たちの配列から動物や人の姿に見立てたのが、ギリシアに伝わり、神話になったという。

  当時はもちろん電気もなく、夜の明かりといえば月と星の光りだけだったはずだ。それこそ原始の闇であり、月の光り、星明りは当時の人々にとっては神そのものだったかもしれない。神と思えたからこそ、星と星の配列から剣を振り上げた軍人を創造したり、椅子に座った王妃を描いたり、みずがめを手にした王子も描いたのだろう。

  昔、テレビ局主催の「少年の船」という企画があった。その船に子どもたちの引率者として乗船したことのある先生は「南の海の夜の世界で、船の明かりという明かりを全て消して、子どもたちとデッキで仰向けになって眺めた時の星空は忘れられません」と話したことがある。

  川港親水公園から眺められる星空は公園の照明で邪魔されるが、遥か遠くの世界からキラキラとまばたく星たちのかすかな光りを観ていると月と星の光りをあてに旅をした昔の人の姿が目に浮かんでくる。「月の砂漠」という素敵な童謡も思い出された。

  「月の沙漠を はるばると 旅の駱駝(らくだ)が ゆきました 金と銀との 鞍(くら)置いて 二つならんで ゆきました」

  小学校でこの歌を教えられた時、悲しくてとても美しい旋律に胸が痛くなるほど感動した。星の光り。いつかそういう世界で一夜を過ごしたい。そんな淡い夢がある。